投稿第三三号

             08年アイアンマン西オーストラリア大会参戦記!

2008年12月24日
正会員
石井 英機

          パースの南、バッセルトンで開催されたアイアンマン西オーストラリア大会へ参加してきました。
          結果12時間47分秒 年代別で幸い1位となり2年ぶり4回目のハワイ行きが決まりました。
          現地は初夏、全くフラットのバイク、ランのコース、スイムでは水温20℃波やうねりなしなどベスト
          コンデイションでした。9月に新調した27インチバイクの効果も大きかったと思います。坐骨神経
          痛もおさまってくれていました。かみさん、バイクショップの親父さん、カイロプラクテイックの先
          生や応援していただいた皆さんに深く感謝致します。

          大会前後ワイナリーツアーで美味しいワインのテイストやパースでのブラックスワンやキングスパ
          ークからのすばらしい眺望などを楽しむことができました。ツアー仲間との新たの出会いもありま
          した。来年は県協会として県内の3大会の主管に加えて新潟国体でトライアスロンが公開競技に
          なり選手の選抜やサポートなど大切な年になります。安全で円滑な運営ができるよう皆さんとしっ
          かりと手を合わせてゆきたいと思います。

          12月3日(水) 晴れ 
          自宅 9:30AM発〜東京(乃木坂)〜成田空港 9:00PM発〜パース(約8000Km
           静岡の自宅付近では桜の葉がすっかり落ち、さざんかの花が咲いています。4月は国立博物館
           でダビンチの「受胎告知」などを鑑賞しましたが今回は乃木坂の国立新美術館で開催されてい
          る「ピカソ展」を鑑賞しました。何人かの女性がデフオルメされて描かれており理解が及びません
          がそれでも見慣れたものは安心して見られました。鮮やかな赤、ブルーやグリーンの配色は印
          象的でした。隣の日展も見ました。ピカソと違い風景画など解り易かったです。完成までさぞ時
          間がかかっているでしょう。成田空港ではツアー会社のご担当にお見送りいただきました。バイク
          ケースは20Kgでしたのでスムースに通りました。いつものように大阪名物のたこやきとビール
          で夜景を見ながらかみさんと軽い夕食をとりました。

          12月4日(木) 晴れ 
          パース7:00AM着 (サマータイム採用 時差なし 所要時間 約10時間 )
          8:00AM発〜マグナ10:00AM〜バッセルトン(パース南約300Km)0:15PM着
          現地ツアー会社のCさん(日本人女性)らが迎えてくれました。日本人選手、家族は約20名です。
          通関(種などの持ち込みは厳禁)を済ませバイクも無事に出てきました。大型、小型バスに分乗し
          てバッセルトンに向かいます。途中稀に牛などが草をはんでいるのが見られますが大部分は未
          開発地?がえんえんと続きます。行き交う車も少なくGSを1軒見ましたがガス欠や故障などする
          と命を落とすおそれがあるそうです。バッセルトンのEホテルは電子レンジが付いておらず残念。
          持参したコッヘルでレトルトの赤飯やラーメンなどはできます。同年齢の氏夫妻と近くの中華レ
          ストランで昼食。アルコールは自分達で持ち込むことになり近くの店でワインとビールを求めまし
          た。4種類ほど注文して4人で分けましたが食べきれず隣のツアー仲間に食べてもらいました。
          日本でメニューが写真で表されているのはすばらしいことです。選手登録を済ませて会場付近を
          散歩。風が強く海では白波が立っていました。スイムコースはジェッテイ(桟橋)を先端まで行って
          帰ってくることになっていますが1.8Kmの長さは南半球で最も長い木製脚の桟橋のようです。約
          3m幅のコンクリート床にレールが設けられておりエンジン付のトロッコ(日本製)が走ります。
          入場料は2.5$。レース当日観客は最初から最後まで選手を見ることができます。スーパーで
          パンや果物、アルコールショップでビールなどを買いました。オーストラリア$は4月には約100
          円でしたが今は60円台で大変お得です。

          12月5日(金) 晴れ 
          バッセルトン6AM起床。よく眠れました。外は12℃で寒い。T氏と試泳に行きました。徒歩で5分位
          です。水温は20℃波うねりも僅かです。透明度良好、小魚の群れや海草が見えます。30分位泳
          ぎまずは安心しました。ホテルのレストランで朝食が出ます。シリアルについでトースト、ハムエッ
          グやコーヒー、ジュースなどで満腹します。カーボやアワードパーテイーでの食事とは違い上等で
          す。海岸沿いをバイク試走、風はかなり強く日照はありますが寒さを感じます。ツアーのメカ役のO
          氏にチェックしていただきましたが問題なしとのことで安心しました。カーボンの場合指示されてい
          るトルクを見て締め付け過ぎないようご注意をいただきました。正午近く7〜8名のツアー仲間で
          半日のワイナリーツアーに出かけました。ドライバーのD氏は息子さんが日本女性と結婚して松山
          に住んでおられる様子、広島のお好み焼きが大好物という親日家です。最初のワイナリーでは5
          〜6種テイスト、かみさんはピンクのシャツを買いました。葡萄畑の葡萄粒は豆粒より小さかっ
          です。それにしてもハエが多いです。牧畜が盛んなためでしょうが頻繁に顔にまとわりつき全く悩
          ましいです。チーズ、チョコレート、アイスクリーム、オリーブ石鹸や最後のワイナリーなどで充分
          テイストしました。途中国立公園になっているすばらしい海岸なども楽しみました。4時半過ぎホテ
          ルに戻りすぐアイアンマンパレードに参加しました。ジャパンのプラカードを持ったお嬢ちゃんを先
          頭にして10名位の日本の選手や家族が行進し暖かく迎えてくれた市民と挨拶を交わしました。
          持参した日の丸の小旗が役に立ちました。5時半からはカーボパーテイです。ジャガイモは生煮え、
          料理は今一でした。ハワイでは持ち込み禁止でしたがアルコールも販売されていました。セレモニ
          ーでは国別参加者、IMフイニッシャー106回の選手、最高齢79歳の選手の紹介、アクロバットの
          演技で楽しんだ後男女2名のトップ選手のトークなどがありました。

          12月6日(土) 晴れ 
          バッセルトン試泳せずゆっくりとホテルのレストランで朝食。9時半から競技説明会に参加。特に
          バイクのドラフテイングの説明が3台のバイクを使ってありました(4車間空ける)。3周回であって
          その周回のペナルテイボックスで5分間のぺナルテイを受けないと失格となります。昼食後バイク
          とギアーの預託。バイクはラックに自分で架けます。ギアーのチェックなし、自己責任です。かみ
          さんと土産物を物色、はえがまとわりつき厄介です。アルコールなしの夕食後早々に就寝しました。

          12月7日(日) レースデイ 晴れ 
          バッセルトン3AM起床。よく眠れませんでしたがかみさんは大きな鼾をかいていたと言います。朝
          食は赤飯と味噌汁などしっかりとりました。バイクで食べる梅干いり赤飯のおにぎりをかみさんが
          つくってくれ感謝です。4時半会場へ、ナンバーリングはエイジを示す「J」を右太ももへ。ラン時に
          は消えかかっており役に立ちません。バイクのエアー入れ、おにぎり、湯べし、羊羹や飴を搭載後
          ホテルに戻ります。念入りにべビーオイルとグリスを塗りウエットスーツを着ていよいよ出発です。

          スイム: 1時間24分45秒 (4月豪大会比 △5分21秒)  
          総合902位/1023人 年代別5位/6人
          女性ボーカルのオーストラリア国歌が流れた後6時プロがスタート。水温は20℃、波はなくありがた
          い。アップも充分しました。6時15分帽子の色で4組に分けたエイジグルーパーがホーンの合図で
          スタート。長い一日が始まりました。往路は桟橋の左手西側を泳ぎますので左オープンでもまぶし
          くありません。海底の海草が見えます。バトルは全くありません。ドラフテイングに適した選手は見
          つかりませんでした。後で記録を見ますと後ろには100人位しかいませんでした。復路は太陽の
          光が強烈なため右オープンです。なかなか進みません。今まで疲れがでてきますと左右に曲がっ
          てしまいましたので頻繁にヘッドアップしてロスを防ぎました。それほどの疲れもなく上陸、時計を
          見ますと1時間24分でしたから上出来です。

          バイク: 6時間59分56秒 (同上 △1時間10分34秒) 
          総合956位 年代別4位
          ラックにはバイクがぱらぱらです。トランジションでは迷いなく長袖とタイツを着用しました。なにせ
          乾燥しており日射はきついですが風があると寒いです。15分位かかりましたが結果的には良かっ
          たと思いました。1周60Km全くのフラットコースです。郊外では両側5〜6m高さのユーカリ?の
          木が風を防いでくれます。美しいビーチが見られ市内では盛んな応援があり、10Kmおきのエイド
          ステーションでは学生さんが水、ドリンク、バナナやクッキーなどチャージしてくれ大変ありがたか
          ったです。持参した赤飯のおにぎり、湯べし、羊羹などは完食しました。塩分と糖分をとれ日本食
          はいいと思います。路面は一部荒れていましたがよく整備されていました。それでも5〜6台のパ
          ンクを見ました。新調したバイクはよく走れかつノートラブルでした。1周目は28Km/h、後半疲れ
          がでてきて結局26.6Km/hに落ちてしまいましたが自分としては上出来です。折り返しは2箇所
          ありぱらぱらで記録を見ますと50名しかなかったことになります。

          ラン: 4時間22分54秒 (同上 △4分55秒)  
          総合378位 年代別1位  計:12時間47分36秒(同上 △1時間20分39秒) 
          総合742位/完走1023人/出場1076人  年代別1位/完走6人/出場6人
          トランジションではタイツはそのままラン用の長袖を着用しました。後半になり風が出てきましたの
          で成功だったと思います。美しいビーチに沿いで時には林に入りますが殆どフラットのコースです。
          2KmおきのエイドステーションでのサービスもGOODでした。3周回で会場付近では日本の応援団が
          盛んに応援してくれ力になります。エイジを示す右ふくらはぎの文字は全く消えており、私もタイツ
          です、レースNO.がエイジ順にもなっていませんから誰が同エイジかわかりません。顔つきやよた
          よたしているかどうかで判断するしかありません。歩いている選手が多く見られましたがひたすら
          走りました。自分の後には280名がいたことになります。かみさんが振っている日の丸の小旗を
          受け皆さんの盛んな声援をいただきながらフイ二ツシュできました。サマータイムを採用しています
          ので7時でも充分明るい内安全に走ることができてラッキーでした。完走メダル、Tシャツをいただき
          バイク、ギアーのピックアップをしてかみさんと一緒に早々にホテルに戻りました。シャワーを浴び
          ラーメンを食べながら缶ビールとワインを飲むことができました。いつもならアルコールなどとても飲
          めませんでしたがコースが楽だったため内臓疲労が少なかったためでしょうか?さてさて明日のリ
          ザルト発表が楽しみです。11時15分花火が上がり長い一日が終わりました。

          12月8日(月) 晴れ 
          バッセルトン時リザルト発表が掲示されており年代別1位と分かりやれやれでした。2位選手とは
          24分差でした。ランスタート前46分差、ランで70分リードしたことになります。特に新バイクで左右
          の蛇行が少なく大腿二頭筋を意識して回すことができるようになったことが大きかったと思います。
          3位にはツアーで一緒のT選手が入りよかったです。ハワイ登録は555US$(2年前は475US$
          でした)をカードで支払いインターネット登録時のIDNO.をもらうだけでさばさばしたものです。
          6時からアワードパーテイー。ツアー仲間と一緒にビール、ワインやオージービーフなど味わいなが
          ら健闘をたたえ合いました。エイジ表彰は最長令73歳のK氏が真打ち、その前が我々3人でした。
          最後はプロです。男女チャンピオンはボラやスポンサーに感謝しながら何か?スピーチしておりまし
          た。明るいさわやかな感じでよかったです。

          12月9日(火)〜10日(水)
          バッセルトン〜パース〜成田〜自宅着2:00PM
          9時半過ぎホテル発、フリーマントルでは王朝風の建物、パースから伸びている鉄道を見てボリュ
          ーム満点のフライドポテトで昼食。ここでも日本のお嬢さんががんばって働いていました。パースは
          44万人の都会です。日本企業も進出しています。まずスワン川に行きました。ラッキーなことに1
          羽のブラックスワン(黒鳥)に出会いました。手を伸ばせば届く距離まで近ずくことができました。
          羽根の黒とくちばしの赤のコントラストがいいです。ポートマックォリーではペリカンが同様に野生の
          まま保護されていました。日本ではときが絶滅してしまいましたが大いに見習わなくてはなりませ
          ん。キングスパークからのスワン川と市内の建物の眺望は誠に素晴らしいです。ツアーガイド(日本
          女性です)はこの雰囲気の中でプロポーズされて結婚したと言っていました。日本女性は大人気の
          ようで今回のツアーで5組見ました。市内ではXマスツリーが飾ってありましたが日本ほど派手さは
          ありません。案内された上海レストランでアジア風カレーとヌードルの夕食をとりましたが早く日本で
          食事したいと思いました。9時半無事成田着。荷物も無事に出てきました。ツアー仲間に再会を期し
          ながらお別れしました。東京駅では待望の深川弁当や愛知のひつまぶしを求めおいしくいただきま
          した。大変楽しく成果のあったアイアンマンツアーが終わりました。お世話になりました大勢の皆さ
          んに深く御礼申し上げます。

      (大会開催日:2008年10月11日)



投稿第三二号

       2008 FORD IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP!

2008年11月20日
正会員
的場 健一


      6/22 IRONMAN JAPAN(五島)で挑戦権を獲得しUSAHAWAIIKAILUA-KONAビックアイ
      ランドハワイ島カイルア・コナ10/11開催の第30回記念アインマン世界大会に挑戦し
      て無事に完走したレポート。アイアンマン憧れの世界大会に参加して何故ハワイな
      のか、それは途轍もないビックイベントでありその規模の大きさと多数のボランテ
      ィアと応援にプロとアマチュアと障害者が同時に挑戦する、三種目の競技ロングで
      スタンス140.6mil-226.2KSWIM2.4mil-3.86KBIKE112mil-180.2KRUN26.2mil-42.2K
      約1800名の多数の選手が参加されて、また派手な歓迎パーティにもびっくり仰天感
      激して多くのトライアスリートが、目標にしているアイアンマン世界大会に挑戦す
      る夢も満たされて、何故か不思議な素晴らしい魅力に取り付かれて、また再挑戦の
      意欲が湧き立ってきました。

      
10/08(水) バイクケース(30Kg)リック手荷物を阪神西宮からリムジンバス19
      :00発-19:55関空着JL078関空発22:00-10:20着ホノルルHA258発12:38-13:21ハワイ
      コナ着SeasideHotelにて早速BIKE組立、RUNコースをRUN試走9Km42minシャワーの後
      夕食、17時間の時差のため9時頃に暴睡。

      
10/09(木)朝食後7:00にSWIMコース試泳2Km60min、9:00選手登録会場で通訳の
      親切な美人由美子さんと出会い登録無事に完了、14:00よりBIKEコース試走22Km46
      min、18:00にカーボパーティ参加後、ホテルでスイムバイク、ランバックを点検、
      収納し9時就寝、大会の前にて何故か興奮し寝られない。

      
10/10(金)早朝5:30RUN12Km56minしたが、大会前日は休養する日、12:00より
      トランジションにBIKE等各ギャバックをボランティアの案内で預託、ホテルにて明
      日の大会に向けてゆっくりと休養20:30に就寝。

      
10/11(土)早朝3:30起床、朝食後大会会場4:30最終の選手登録No264プレス
      イムギア預託スタート前の緊張@SWIM-STRAT 7:00米国海軍航空機落下傘部隊三
      名のパフォーマンス、大砲による号砲約1800名がスイムウェーブスタート初挑戦の
      ために後方よりゆっくりと2Km先の折返ヨットを目標にして熱帯魚とダイバーやラ
      イフセーバーに見守られてターン、大きな波のうねりと潮流に逆らい苦戦して3.8Km
     
SWIM-GOAL(1:49:29)4:29OVERバイクトランジションまで親切なボランティアに
      誘導され、バイクシャツ、ヘルメット、ソックス、シューズ、サングラス等を急い
      で装着してバイクラックまで小走りに急ぎバイクスタート地点、いよいよ180Km長丁
      場の挑戦です。
      ABIKE-STRAT通行止した延々直線の高速道19号にてコナウインドウを初めて経験
      して恐怖の横風にて反対車線まで流されて、また長い登り坂で迎え風に逆らいなが
      ら折返点56mil90.1Km(5:49:43)海岸沿いの直線を延々登り下りし88mil(141Km)
      7:42:35
遠くにはコナ空港が見えて頑張ろうと気合を入れて美人アスリートをスト
      ーカーし180.2Km
BIKE-GOAL(9:26:21)26:21OVERランニングギア着替える。
      BRUN-STRAT直後に交差点を右折、多数のランナーに吊られて左折すべきなのに右
      折して多くの観客で引き返されずにゴールゲイトをフィニッシュ、コースミスにて
      通訳のボランテァ由美子さんに再挑戦の交渉を依頼して約25分経過後、マーシャル
      の粋な計らいでやっと承諾されて、親切な黒人が運転する小型バギーカーにてラン
      コース内を左折交差点まで送られて再スタート(10:07:36)が出来ました。ホット
      してピッチを上げて走る、孤独なランナーとなり不安でコースミスが甦り混乱と完
      走したい気持ちとが入乱れて黙々と走り続けて折返しの発電所7.6mil(28.3Km)12
      :58:29(65:29OVER)
より暗闇のランコースをゴールまで簸たすら走り続けてやっ
      とフィニッシュ42.2Km
RUNGOAL(14:24:44)目標の14:00:00を24:44OVERしたが怪
      我もせず無事に完走出来ました。バンザイVVVVVV完走メダル、キャっプ、ボランテ
      ィアのアロママッサージとピザ、ケーキ、ドリンク等サービスされホテルのシャワ
      ーにて汗流し終え、制限時間深夜24時に最終ランナーを迎えるためフィニッシャ
      ーゲートに行き、多数の観客が応援されてそれは表現できない感動のシーンでした。
                 
      10/12ケァホービーチ散策 アワードパーティ  10/ 13キラウェア火山観光 
      10/14-15日本に帰国

       SWIM (3.8Km)  1: 49: 29     TOTAL(226.2Km)TIME 14: 24: 44
      BIKE (180.2Km) 7: 24: 39      Age60-64  23/38
      RUN(42.2Km)   4: 47: 48     TOTAL.RANK  1480/1736




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   FORD IRONMAN CHAMPIONSHIP 2008 AT KONA Oct.11,2008

2008年10月31日
準会員
松本 充氏

       10月11日(土)
      レース当日、午前3時半起床後、赤飯をしっかり食べて4時半コンド出発。Body No.を
      書いてもらい、ドリンクや補給食、Bikeの最終チェック。ヘリコプターが飛び、音楽も乗
      りが良くテンションが上がってきた。NBC TVのカメラも沢山取材している。
      (2月全米放送予定)


      Swim 2.4Mile(3.9km)
      スイム・スーツに着替え、Gateをくぐり軽く泳ぐ、少し冷たいかな? 今年もSeal(Navy
      特殊部隊)が落下傘降下。ビーチで合衆国家がアカペラで歌われ、6:45プロスタート
      後スタート位置まで泳ぎ、前から4-5列目で立ち泳ぎしながらスタートを待ちます。横
      の人にLast 1min.uteとか話してるといきなり大砲の音がしてスタート、1700人同時ス
      タート。
相変わらずすごいバトルだ。何回も外人の太い腕で頭にパンチをくらう。いくら
      泳いでも集団の密集度が高い、スタートダッシュで過呼吸気味ゆえ少しスピード落とし
      心拍を落とす。1kmくらいで回りも落ち着いてきた。前のほうからスタートしたおかげか
      ?自分を抜かして行く速いペースの人の後ろに付いて泳ぐ。復路は潮の流れが変わ
      ったか?余り進まない。自分では1:10前半か?と思ったが意外と時間がかかっていた。

       1:15:54 Age 20/59  Swim-Bike Tr1 5:35


      Bike 112mile(180.2KM)
      ノースリーブジャージに着替えてBike Transitionへ走る。Bikeに乗ると結構足は軽い。
      今日は行けるかも??最初の折り返しまではKonaの町を走ります。きつい登り坂の
      パラニ・ロードは凄い声援でつい頑張ってしまう。QK HIGHWAYを北進, いきなりチェ
      ーンがトップギャー外に落ちた。止まってなんとか直す。追い風で40km以上出ている。
      良い感じだ40mile地点のワイコロア・リゾートで5:30ペース。ここから横風が強くなって
      きた。港の左折で5:40ペースだんだん辛くなってきた。最北Hawiの折り返しまでの登
      りと風で体力を奪われていく。周りではドラフテイング・ペナルティーを厳しく取られて
      る。(前後7m以上空けて走らないと15秒でペナルテイー、2回で失格)

      Pro選手が折り返して来る。Topは白装束Juhanson。優勝候補Normanは3番手?河
      原proに激をいれる。女子は前年度の覇者Chrissieがダントツ。折り返しに近づくにつ
      れ斜度が強く風も強くなっていきエアロヘルメットの後ろが風に持って行かれる。へろ
      へろになりながら折り返し、下り坂で54x12のギャーで駆け抜ける。Bikeの空力が良
      いせいか一生懸命漕いでいる人を足を止めたエアロポジションで抜いていける。港に
      近づくにつれ向かい風に変わってきた。港を右折したら強風の向かい風、下りでも漕
      がないと前に進まない。延々と見える上り坂がこれでもかと苦しめる。ワイコロア・リゾ
      ート付近ではBeerを飲みながら
KEEP GONG GOOD JOBと声援してくれる。前
      方に友人発見、少しふらふらして苦しそうだ!
一緒に行こう!“と声をかけ自分を奮
      い立たせる。DHポジションで淡々と踏みバイクゴール。きつかったが後半も集中して
      乗れた。

       6:14:14:09 Age 26/59  Tr.2 6:06

      RUN 26.2mile(42.2KM)
      Bikeで消耗したせいか?ランに行きたくないと初めて思ったが、走り始めたら何とか
      走れる。最初の折り返しのケアホーまでのAlii Dr.は応援する人も多い、Kona在住の
      友人は何とハローウインのパンプキンの格好で応援。友人や奥さんの声援を受けな
      がら南に走る。先ほど抜いた友人に“有難う”と声をかけられ抜かれる。足取りは軽そ
      うだ。しかし暑い、1.6kmごとのAid(給水所)で走りながら冷水に付けたスポンジを3−
      4つウェァーの中に入れ、水を二つもらい飲み残りを頭にかけ、氷をウェァーやパンツ
      の中に入れ、ジェルなどを貰うなど忙しい。1kmも走るとウェァーも乾き体が火照って
      くる。日本人がAidで止まっていた。苦しそうだ脱水か?ケアホーを折りかえしKonaの
      町中を抜け、激坂のパラニ・ロードを上る。応援の人が多く、路面に日本語で応援メッ
      セージが書かれている。K.Q.HIGHWAYに出ると折り返して来たプロやAgeとすれ違う。
      日本プロも集中の走りだ。

      午後4時過ぎると気温の下がってきたQK HIGHWAYをひたすら走る。最後の折り返し
      のNatural Energy Lab.はまだ明るく折り返し地点近くで友人とすれ違う、苦しそうだ。
      折り返しで預けてあったSpecial Foodsを貰い飲む。NELの出口の電光掲示板に
No.
      326 M.Matsunmoto Keep going
と電飾が照らし出される。35km地点で友人とすれ違
      いハイタッチ、Kona手前の上り坂が辛い。パラニ・ロードを下ると
Good jobYou are
      an Ironman
などと声援が凄く、Alii Dr.に出てラスト500mは凄い観客だ。子供たちが
      フェンスから乗り出して手にハイタッチしながらゴール! 思わず万歳!辛かった!

       Run: 4:21:18

      総合 12:03:02 Age (55-59) 21/59 総合 1134/1736
    今年もシーズンが終わりました。来年のKailuaの海に帰ってこれるように切磋
    琢磨します。



投稿第三十号

             家族と参加したアイアンマンハワイ!

2008年10月28日
準会員
堀野 正明氏

      初めまして
。金沢の堀野と申します。皆様の何人かの方々とは今年のハワイのカーボパーテ
      ィでお目にかかりました。横浜の松本さんに誘っていただき、皆様とご一緒させていただき、楽
      しい時間を過させていただきました。有難うございました。


      スポーツ歴から申しますと、中学、高校はバスケットボール。後はスキーとゴルフをしていたぐら
      いで、それ以上特別なトレーニングはしていませんでしたが。元来身体を動かす事は好きな
      方でした。この競技との出会いといいますと。ゴルフエルボーのリハビリに、45歳のころに入った
      スポーツクラブで誘われてトライアスロンを始める事となりました。

      
初レースは地元、96年第7回珠洲大会Bタイプ。苦手のスイムを終え、バイク、暑い中の
      ランそしてゴールした時の爽快な達成感はこれまでにないものでした。それ以来98年には宮
      古島の初ロング。初アイアンマンは2000年にはIMカリフォルニア。01年から04年までジャパン
      にも参加しました。5月の五島よりトロピカルな宮古島のほうが開放的で楽しいので、あちら
      の方に参加する事が多い近年でした。


      しかし、今年は久しぶりにIMジャパンに出ようという地元の仲間も多かったので連れ立って6
      月に参加しました。結果はまったくのラッキーで2位(55−59)となり、ハワイのスロットをい
      ただきました。結果的には、北陸地方の選手にとって4月の大会に上手く調整するのは難
      しく。6月の方がむいている事も実感しました。

      
それはさておきハワイ出場となると、こんなことは二度とないだろう、と周囲も言いますし自ら
      もそのように判断し家族で参加する事にしました。87歳の父も同行したため、飛行場では
      クルマ椅子のお世話や、特に大会当日は滝さんのご好意で休憩にお部屋を貸していただい
      たりしてご迷惑をおかけいたしました。


      ハワイでのレース結果はエンジョイしすぎて、思いもよらないほど時間がかかりガッカリもしてい
      ます。こんなはずではなかった、の反省もあります。その気持が次のレースにつながれば良い
      のですが・・・。ともあれ今後ともいろいろみなさまのお世話になることと思いますが、宜しくお
      願いいたします。
     (大会開催日:2008年10月11日)



投稿第二九

              アイアンマン完走記!
2008年10月27日
正会員
山本 伸子氏

   
  2005年、ハワイを時間半で完走してもうこれより速くはハワイは走れないな
    と思ったら、なんとなく、もうハワイはいいかな・・と思うようになりました。
    でもJICに参加して皆さんのアイアンマンマレーシアの参戦記を読んで、ま
    たハワイに行くように頑張ってみようかと思うようになりました。でも家庭の
    事情や、仕事の忙しさなどでジャパンに向けての練習もままなりません。おそ
    らく皆さんの練習の4分の1もできないで、ジャパンに参加してしまいました。
    でも気候も幸いして思った以上に走れました。これが私を甘やかしたのでしょ
    うね。この夏もほとんど練習せずにハワイに行くことになりました。


     今回は、家族も友達も同行しなかったので、たった一人でバイクケースを引い
    て成田を出発しました。JICの皆さんに現地で会えるのが、楽しみでした。
    メイストームのミネ君にバイクを組み立ててもらったり、同室のシバさんや、
    お隣のマツダさんにもすっかりお世話になりました。

    3回目なのであまり緊張せずに、スタートラインに立ちました。スイムは、外
    人のスピードに驚きました。黄色のキャップの障害のある方や、グレーの70歳
    以上の方もぐんぐん追い抜いていきます。ハーフの船の所で分。でも帰りは
    海がうねってなかなか進みません。顔あげ平泳ぎで泳いでいるおじさん(この
    方は眼鏡をかけたまま泳いでいました)について岸に上がったら、時間33分。
    最悪。でも最終スイマーでなくてホッ・・・。

    バイクは、練習してないのでゆっくりスタートしました。風が、吹かないよう
    に祈っていたのに、55キロ過ぎたら吹き出しました。あっという間に失速です。
    力のない腿の筋肉は、すぐ悲鳴をあげて攣りそうになります。水で冷やしたり、
    痙攣止めのスプレーを使ったりして、何とかハヴィに向かいましたが、あの向
    かい風の中の上りはつらいですね。折り返すと横風で吹き飛ばされそうです。
    バイクにイラつきながらも、練習してないから仕方ありません。ランコースと
    重なるハイウェーでは、前にも後ろにも誰もいません。10時間半でバイクカッ
    トのはずと、ドキドキしながらバイクフィニッシュ。ランに行けてホッ・・・。

    ランは得意なのですが、7月に足底筋を痛めてこれまた練習できていません。
    すでに両足とも攣りそうなので、無理しないようにスピードは出せません。幸
    い踵が痛まないのがうれしい。痙攣は何度も経験しているので、対処の方法は
    何とかなります。今年は例年より早く日が暮れたので、アーリードライヴです
    でに真っ暗です。ハワイの暗さは、特別です。自分を信じる者しか、あの暗さ
    の中は走れません。そして歓声の中に迎えるゴール。胸が熱くなりますよね

    ひとりでハワイに行ってアイアンマンを楽しんでくる事。皆さんとのつながり
    のなかで成し遂げました。ベストの2005年より時間も遅かったのですが、気
    持も身体もゆとりを持ってゴールできました。そしてもっと練習してからまた
    ハワイの地に立ちたいと反省しています。
     (大会開催日:2008年10月11日)




投稿第二八号

                  Anything is Possible!
2008年10月24日
正会員
松田 喜美子

      今年のKONAはKONAらしくない。キラウェア火山の噴火の影響で空はどんより曇りその
      為海の色も青くない。

      私、今年は3年振りのIRONMAN RACEです。2年前に循環器系の不具合で手術をし、そ
      の年はno race 昨年short  half に参戦。今年は夫婦共に還暦を向かえ、IRONMAN
      HAWAIIも30周年ということもあり是非行ってみたい。。。それでマレーシアで出場
      権を獲得。

      ところが5/1自転車で走行中信号無視のオートバイの轢き逃げに合い腰椎3本圧迫
      骨折、もう絶望でした。事故後1ヶ月目からSWIM再開。
          2ヶ月目からRUN(Dr.はキロ10分で走れ)
          3ヶ月目からBIKE
      もうこんなに長く休むと筋力は衰え、BIKEにまたがると20キロも行くと腰痛で乗っ
      てられない。毎日、毎日筋力UPのトレーニングの始まりです。そんな訳でスタート地
      点にたった時は感無量でした。

      SWIMは海のうねりを感じ折り返しからは全然進まない、SWIM UPしたとき
      時計を見てびっくり10分くらいオーバーかな?BIKEは今年もKONA WIN
      Dと戦いながらいつもどうりFINISH
 (といってもRUNは苦手)
      
      出発前に息子に言われた言葉お母さんは余力を残して帰ってくるからダメ! 自分の持って
         るもの全て使い切ったら少しは記録ものびるよ
この言葉が脳裏にあり、エイド以外で歩く
      のは止めよう
(いつもは歩いたり、走ったり、歩いたり。。。)


      KONAの町に帰ってきてゴールのアナウンスが聞こえ始めたら涙、涙。。。。手術
      を執刀してくださったDr.高木、現在リハビリに通っているスポーツクリニックの
      Dr.柳田、トレーナー達。自由に遊ばせてくれる主人etc、もちろん世界中から自費
      で来られてるボランティア。もう本当に感謝です
      (大会開催日:2008年10月11日)

              



投稿第二七号


           08年佐渡国際トライアスロン大会参戦記!
2008年9月18日
正会員

石井 英機

       01年以来7年ぶり9回目になる佐渡(20周年記念)大会に参加してきました。年代
       別で1分37秒という僅差で1位となりラッキーでした。しかし7年の加齢で2時間遅く
       なったことになりがっくりです。バイクで一時大雨にあいましたが1時間6分遅れ、ラ
       ンでアップダウンが増えましたが47分遅れでした。
       会場から5Km離れた旅館で6名の選手とお仲間になれて大変楽しく過ごすことで
       きました。宿の食事も豪華で地魚の刺身や新潟米のご飯はとてもおいしかったです。
       大会の運営、役員やボラの皆さんのサポートもすばらしく安全で楽しいレースでした。
       かみさん、バイクショップの親父さん、カイロプラクテイックの先生、直前のバイク事
       故で腕を怪我しましたが適切に治療してくれた先生や応援してくれた皆さんに深く感
       謝致したいと思います。
       今後県トラ協最後主管の9月28日サンライズイワタ大会のボラをした後12月7日
       のアイアンマン西オーストラリア大会をめざして新たな取り組みをしてゆきたいと思
       います。
 
       9月4日(木)晴れ 
       自宅8:30AM発〜東京、新潟、佐渡両津経由 佐渡真野町着4:00PM
       上越新幹線で越後平野に来ると黄金色の稲穂が続く。周りはビジネス客、恐縮です
       が持参したおにぎりとビールで昼食をとらしてもらいました。 新潟港からはジェット
       フオイル、風がやや強いが波はそれほどでもなし。1時間で両津着。宿までバス。
       稲はまだ真黄色でなし。1時間弱で宿着。今日のトライアスリートは自分1人。風呂
       に入りバイクの組み立ても順調に済んだ。1人だったが豪華夕食、鯛のかま、親子
       鍋、刺身、コロッケ、サラダ、ジャガイモとたけのこの汁などでビールと冷酒天領盃を
       飲み大満足。ご飯がおいしい。歩いて数分で真野新町海水浴場、真っ暗で人は全
       くいない。海岸沿いの人家の明かりは見える。時間帯は違うがこの近くで曽我ひと
       みさんが誘拐されたのだ。
 
       9月5日(金)晴れ 
       5AM起床、軽くストレッチ後海岸へ。持参した温度計では気温24℃、水温24.5℃、
       波うねり全くなしウエットスーツを着て20分位泳ぐ。遠浅、魚影なし、たまにチクリと
       したのはくらげだ。朝食後バイクで近くの観光案内センターに行きお勧めスポットを
       教えていただく。大膳寺では能舞台がいい雰囲気、妙宣寺五重塔では小牧から来
       た御夫婦と話し込む、国分寺、6年連続金賞の真野鶴酒造、順徳天皇の御火葬塚
       のある真野御陵などを見学した。この間約25Km。
       新町から会場まで5Km約15分だ。当日はバスでなく自走としよう。バイクラック、海
       はブイなどの準備ができていた。アミューズメントセンターではテント村が並んでい
       る。MS社のON氏がバイクのチューンアップをしており早速お願いした。おかげでレ
       ースではノートラブルだった。1PMから選手登録、ギアーバッグなどスムースに受け
       取った。スーパーで弁当、ビールなどを買って海岸で昼食。おばちゃん(元海女さん
       か?)が現われパンツいっちょで水浴びを始めた。次は一人のトライアスリートが現
       われ脇を通って沖に向かって泳いでいった。戻ってきた彼と4PM近くまで話し込ん
       だ。
       4PMから競技説明会に参加。初参加者のための追加説明会をパスしてしまい(パ
       ンフレットにも書いてあった)レースバンドを使用した場合でもレースNO.はラン時
       には前後2枚付けることとあったのを無視して1枚で済ませようとしたがトランジショ
       ンでマーシャルにしっかり警告を受けてしまった。22回のIM大会では全て1枚でO
       Kだったがローカルルールでやむを得ないか?宿では同室のA氏(相模大野からの
       41歳)が来ていた。佐渡は初、サンライズイワタに出場しているという。一緒に夕食、
       彼はアルコール抜きえらい。豆乳の鍋、刺身などビール1本(中ビン)で我慢した。
 
       9月6日(土)晴れ 
       5AM起床。再び15分位試泳、水温24.5℃、べたなぎで全く泳ぎ易い。朝食後同宿
       の選手とバイク談義。近くのスーパーへA氏と行き弁当を買い昼食は宿でとる。午
       後は開会式も欠席し読書をしたりのんびり過ごす。ギアーの点検を済ませアルコー
       ルなしの夕食をとる。レトルトの赤飯を厨房でチンしてもらいバイクで食べるむすび
       をつくる。さしたる緊張もなく9PM前には就寝。
 
       9月7日(日) レースデイ 曇り 一時大雨 後曇り
       5AM起床。よく眠れた。いびきをかいたか自分にはわかりません。既に暖かいご飯
       と味噌汁、おかずが用意されており全くありがたい。出すものを出して4AM過ぎ5名
       で会場へ自走、懐中電灯は必携です。4:30AM会場着。ちょうど登録開始だ。写真
       付IDカードを見せバイクラックに行きPボックス内にバイク、ランギアーを格納する。
       一般的にはバイクやギアーは前日に預託するが当日持込みは主催者側の負担が
       軽くなりいいことだと思う。腕にレースNO.をマーキングしてもらう。一般的には脚に
       エイジを示すアルフアベットもしてもらうのだが2枚のNO.プレートで代用するのだろ
       う。エコをテーマにしていることだしもったいないと思うが。タイミングバンドを支給さ
       れ試泳、水温25℃とアナウンスされた。べたなぎでありがたい。腕をくらげに刺され
       ている選手がいた。以前電気くらげに絡まれて大変痛い目にあった。フルウエットが
       お勧めだ。
 
       スイム:1°22′49″総合420位/742人 年代別3位/10人 
                (年代別トップとの差:▼7′31″01年との差:▼2′56″)
       時計回りに1.3Km沖へ、平行に1.1Km、帰り1.4Kmの逆三角形のコース。ブ
       イ(距離が表示されている)やロープがしっかり張られているところがありがたい。自
       信のある選手は前に、自分は最終列に位置し6AM号砲一発浜からスタートする。遠
       浅のため2分位走る(?)ことになる。直後はかなりバトルがあったが幸い蹴られた
       りゴーグルをとばされたりすることはなかった。曇りで太陽のまぶしさがなかったの
       で少しは早く進める左オープンを続けた。ドラフテイングを意識したが相手も曲がっ
       てしまうなどしてなかなかうまくいかない。塩水とウエットスーツのためよく浮き自分
       のバランスの悪さがよくわかる(左脚のビ―トが足りない)。いつも右へ右へ曲がる
       のだが今回は左へ曲がるロスをしたのは修正オーバーだったか? 心配したくらげ
       にあわずよかった。最後はバテバテでフイニッシュ。1時間22分台は上出来だ。トラ
       ンジションでは雨に備え長袖着用。首、腕が出るように穴を開けたポリのごみ袋も
       持った。
 
       バイク:8°09′37″総合598位/716人  年代別4位/9人 
           (年代別トップとの差:▼48′30″01年との差:▼1°05′40″)
       ドンドン抜かれる。リザルトによると159人に抜かれ420位から579位になった。
       5〜10Km地点で予報どうり大雨となった。以前雨にあい気管支炎になりランでつ
       ぶれており用意したポリ袋を早速かぶった。バタバタ音がするが雨をはじいてくれ
       いい感じだ。左手は自然が作った奇岩、怪石と真青な海が続く。大野亀手前と大
       野亀(いつ見てもすばらしい景観だ)の2箇所の100mの上りが前半の山だ。なん
       とかクリアーする。両津市内ではおまわりさんが交通規制をしてくれており市民の
       盛んな応援がうれしい。雨も止み村(?)毎におじいちゃん、おばあちゃんらが鐘、
       太鼓を鳴らして応援してくれる。持参した赤飯のむすび、ゆべし、羊羹、飴をしっか
       り食べた。エイドステーションでは中高生がドリンク、水、バナナ、パン、オレンジな
       ど上手に供給してくれる。小木からは140mと90mの後半の上り。お互いに励ま
       しあって何とかクリアーする。この辺りでは平均時速24.2Km/h、7年前には28
       .5Km/hでありがっくり。会場近くに来ると既に多くの選手が走っている。8時間
       かかってやれやれのフイニッシュ。
 
       ラン:4°30′25″総合185位/635人  年代別1位/5人 
              (年代別2位との差:△57′38″01年との差:▼47′35″)
       計:14°02′51″総合357位/635人  年代別1位/5人
             (年代別2位との差:△1′37″01年との差:▼1°56′09″)
       リザルトによると579位から357位になり222人を抜いたことになる。前半はまだ
       明るく気持ちよく走れる。国仲平野の稲穂はたわわだがまだ刈り入れには早い。8
       Km先いつもの私設エイドではしっかり冷えたおいしいスイカをいただいた。7年前と
       はコースが変わっておりアップダウンがかなり増えた。ほぼ5Km間隔で表示がでて
       おり25Kmまでは28分〜31分ペースだったが以降35分ペースに落ちてしまった。
       暗くなってから渡されたたすきは自発光タイプでなく先行者がわかりずらかった。ペ
       ンライトなど自発光タイプを採用したいものだ。エイドステーションではおばちゃんた
       ちが頑張ってくれていた。お茶や小さなむすびなどが有難かった。河原田本町の街
       中では両側から盛んな声援がありうれしい。アナウンサーに紹介されながら14時
       間2分でなんとかフイニッシュ。メダルとタオルをかけてもらいやれやれ。寒さもなく
       ストレッチをして重いバッグを背にして5Km先の宿へ自走。宿ではまず入浴、幸い
       豆もできていない。先着していたA選手と遅い夕食、IMでは全く飲めなかったが集ま
       ってきた5名の選手と健闘を祝いながらビールと焼酎のお湯割り2杯を飲むことがで
       きた。内臓疲労は少なかったようだ。バイクのパッキングを済ませて0:30AM就寝し
       た。
 
       9月8日(月)晴れ
       佐渡真野町発8:30AM〜佐渡両津、新潟、東京経由 自宅着 7:00PM
       晴れ、暑くなった。レースでこんなに日差しが強かったら大変だった。同宿のお仲間
       と集合写真をとり再開を楽しみにお別れした。バスで会場へ行きリザルトを見るとな
       んと2分弱差の1位に驚いた。2位選手には気の毒した。佐渡では2位、3位が何度
       かあるが1位は初めて。新潟産コシヒカリが楽しみだ。壇上では日本選手権、リレー
       やエージトップなど大勢が表彰される。日本選手権女子3位でJICメンバーのKB選
       手にご挨拶した。20周年記念大会が事故なく盛大に行われたことに大会関係者、
       ボラや住民の皆さんにお祝いを申し上げ 深く感謝致します。
       今後30、40周年とますます発展されることをご祈念申し上げます。



投稿第二六号

                 北京オリンピック報告!
2008年9月7日
チームブレイブ

監督:八尾 彰一

    日頃から私達の活動にご理解と御支援をいただき感謝申し上げます。
    このたびの北京オリンピックの参加に際しまして、私達が全力で戦え
    るようにと格別のご高配をいただき嬉しく思っております。簡単では
    ございますが標記大会の帯同報告をさせていただきます。

    日本代表チームは今回、8 位以内を目指し北京に入りました。女子は
    井出5位、庭田9位、上田17位と素晴らしい成績が残せましたが男
    子につきましては、山本30位、田山48位とアテネオリンピックよ
    りも順位を大きく下げ皆様の期待に応えることができなかったと反省
    し、悔しい思いでいっぱいになりました。

    田山は、アテネオリンピック以降、苦手種目を克服する為に海外合宿、
    ワールドカップ転戦などを経験し肉体的・身体的には著しく成長した
    事が認められます。その事は、昨年のワールドカップ・エイラート大
    会で日本人初の優勝で実証されました。

    オリンピックまでの練習において更に強化を積み上げるためチームや
    多くの方の支援を受けて仲間が一丸となって合宿を繰り返しました。
    その間、杉本宏樹を軸とした練習パートナーの存在がより田山の身体
    能力を高め、最終調整合宿においては、地元の支援を受け心の部分に
    おいても充実した練習ができました。

    北京に入ってからは村上、小原両コーチ、吉田トレーナー、尾山メン
    タルトレーナーのお陰で大きな怪我や故障を未然に防ぎながら肉体的
    ・身体的に万全の仕上がりで本番の朝を迎えることができました。
    にもかかわらず48位の結果には、田山本人はもちろん誰もが納得で
    きず私やコーチ達は、なぜこんな結果になったのか、その原因につい
    て理解できない期間を過ごしておりました。

    今一度、冷静にアテネからの4 年間を振返ってみたところ、やはり身
    体的・技術的な面の強化では明らかな成長が見受けられたものの、こ
    こ一番の試合で大きな力を発揮するために必要な精神的な部分の強化
    においては、まだまだ世界レベルに達していなかったのが、今回の結
    果に至った原因と考えております。

    今後につきましては、田山は母校の流通経済大学の職員として選手活
    動を続けることが決まりました。まだ移籍先(就職先)が決まってな
    い者もおりますので当面は支援者、支援企業を探してから再スタート
    したいと考えております。

    最後になりますが、情熱と誇りを持って戦えたのも皆様からのご支援
    があってのことと御礼を申し上げます。また、廃部に当たり支援金や
    励ましのお言葉を頂き元気に毎日が過ごせましたことご報告申し上げ
    オリンピックの帯同報告ならびに感謝の気持ちといたします。
    みなさま本当にありがとうございました。

     男子結果
      1 位 ヤン・フロデノ(ドイツ)/1:48:53.28
      2 位 サイモン・ウィットフィールド(カナダ)/1:48:58.47
      3 位 ベバン・ドカティ(ニュージーランド)/1:49:05.59
      30 位 山本良介(トヨタ車体)/1:52:11.98
      48 位 田山寛豪(流通経済大学職員・チームブレイブ)/1:56:13

     八尾彰一 連絡先
      666−0115 兵庫県川西市向陽台3−6−31
      メイルアドレス:dada2@jttk.zaq.ne.jp
      携帯電話:090−9049−4181

       事務局より:これからは、ロンドンオリンピックそして東京オリンピックで国民
       の期待に応えられるよう、選手強化の出来る実業団としてトライアスロンチーム
       を創ってくれる支援企業を探されています。
       素晴らしいスポーツのトライアスロンに興味をもたれ、チームブレイブを応援し
       てくださる会社経営者がおられましたらご支援してください。




投稿第二五号


              スポーツと偽薬効果について!
2008年8月15日
正会員
宗政 義仁氏

     
  あまり聞きなれない言葉だが偽薬効果とは、医療・医薬品業界では患者自ら効果
       があると思い込むことにより、
偽薬(にせくすり)を飲んだとしても薬だと信じ込む事に
       よって何らかの効果が有る事をいい、非常に重要視されてる。

       医学的には臨床試験などでその効果を認められるべきであると言う意見や、症状を
       改善する効果はないとか、倫理的に認められないと言う意見が対立していて、現在
       でもなお標準的な治療法とはなり得ていない状況にある。

       ひるがえってこの効果をわれわれスポーツの世界で評価すると、どうなるでだろうか?
        昔から言われる諺のように「気は心」「病は気から」との自己暗示や、また「喜怒哀
        楽」による改善などもこの偽薬効果と言えるのではないか。「何々を食べたから
       「何々を飲んだから」「願を掛けたから」「占い師に暗示を掛けられたから」「
        起かつぎ」などと、運動能力の向上とはあまり直接関係ないと思われる事なのに、
       思いの外精神が安定したり突然に記録が良くなったりすることもあって、全く無意味
       とも思えない。

       だがそれ以上の効果向上を願って「困ったときの神頼み」「信ずれば救われる」と
       いくら願を掛けてみても、根本的には解決できる訳けではない。重要なことは多くの
       貴重な体験による学習効果や、裏打ちされた努力の積み重ねによる運動能力の向
       上、そしてそれらの繰り返しによってこそ精神的な安定や満足のいく結果が得られる
       のであると・・・

       スポーツに接し記録に挑戦し目標を達成する事は大きな励みであり喜びではあるが、
       先ずは心からスポーツを楽しむ気持ちが大切である。そのめには目標に向かって楽
       しみながら繰り返しながらの努力が最も大切である考える!
       <<でも本音としては・・・少しだけ偽薬効果に期待したい気持ちも捨てがたいのだが(^ム^)・・・>>

           余談では有るが・・・
           「音楽・匂い・カウセリング・森林浴・マッサージ」等五感を刺激する
           ことによったり、我々がランニング中に時々経験する「ランニングハイ
           等によっても癒し効果があり、運動能力の向上に繋がっていると思わ
           れる事も経験している。

           また、学生(実業団)のときクラブ活動に熱中し「寝食を忘れるくらい
           努力し、時には「ヘドを吐くくらい」一生懸命にやり、中には素晴らし
           実力を持つに至ったにも拘らず、社会人に成ったとたんに止めてしまう
           人が殆どである。これって「本当のスポーツの楽しみ方」なのかよく
           考えてみて欲しい!
           「楽しみながら」「健康を維持ししながら」「生涯継続していく」スポー
           ツこそ、真のスポーツの有り方と言えるのではないか!

                 (参考)偽薬効果とはプラセボ効果とも言い、ラテン語placeboで
              「私は気に入るでしょう」の意味。




投稿第二四号


      二足のわらじ =現役選手と「うみがめトライアスロン大会」の運営=
2008年8月2日
正会員
安喜 保

    トライアスロンをしたくて仲間にいれてもらったのに、気がつけば何も解らな
    いまま、協会の役職を引き受けてお世話することになっていました。


      初めて出場したアイアンマンが2000チェジュでした。その同じ年、徳島県
    内で
JTU主催のショートの大会として「ひわさうみがめトライアスロン」が開
    催され、運営のボランティアとして参加して以来、今年で早くも9回を迎える
    ことになりました。


      第1回の参加者数は287名でしたがその後、美波町(旧町名/日和佐町)の
    自然環境やアットホームな大会運営に賛同を得て年々参加者が増え、今年の第
    9回大会では総数674名にもなりました。


      始めは、競技のことがよく理解出来てないので、事務局サイドの総務関係の仕
    事であれば、自分もいままでの経験を生かして、お世話出来るのではないかと
    思い、理事長という職をお引き受けすることになりました。一旦理事長という
    役職となると、やはり大変でした。県体育協会や四国の各県協会、
JTUとの関
    係が出て来て、事務処理だけではすまなくなりました。


      大会が開催される数ヶ月前から打合せ会等があり、大会開催月は、審判員の確
    保や町村との打合せ等の電話連絡や会議で忙しくなり、トレーニングも予定の
    50%以下となり、特に6月や7月のアイアンマン大会にエントリーした年度
    は、大会運営の準備不足が目立ち、周りの人達に相当迷惑をかけることになり
    ました。


      大会を運営して痛切に感じるのは、県内外から応援に来ていただける審判員の
    方々や、この大会のために審判員資格まで取得して下さった仲間の熱意とご協
    力があったからこそ、大会が順調に運営され、参加された選手の皆さんにも喜
    んでもらえたと思います。


      県内のトライアスロン協会以外の仲間(ランニングクラブ、自転車協会、トレ
    ラン仲間達)からも温かいご支援を得ることが出来ました。また、町役場の職
    員の方々の献身的な準備、運営がなければこうした大会の開催は無理だと思い
    ました。


      炎天下での中学生等のボランティア、婦人会や消防団、漁師の方々、あげてい
    けばきりが無いほどの人達がいて、大会が支えられていることを、肌身で知る
    ようになりました。一人だけの力は、知れていますが、大勢の仲間が集合して
    発揮する力は、計り知れない大きさをもっていて、驚くばかりです。


      大会に選手として出場した時に、誰でも、大会運営者やボランティアの方に感
    謝の気持ちを持つと思いますが、1年に1回でも、トライアスロン競技に係わ
    るボランティアをして行こうではありませんか。自分の練習時間を少しは削る
    ことになりますが、トライアスロン界が発展して行くうえで、一人一人の力が
    必要なのではないでしょうか。

    具体的には、年間の目標を立てる際、出場する大会の他に、何かボランティア
    活動を入れてみてはどうでしょうか。それが、クラブの練習会でのお世話役で
    あったり、大会のボランティアへの参加であったり、どんな内容でもいいので
    はないでしょうか。選手として出場した時の大会運営等に対する感謝の気持ち
    をお返しする気持ちが大切だと思います。


      大会のボランティアはほとんど無償です。お弁当とかサポートTシャツとかは
    支給されますが、宿泊費とか交通費とかの持ち出しの費用は結構あります。
    そうした金銭的な枠を越えて、自分が出来る範ちゅうでのお手伝いすることは、
    人としてとても大切なことではないでしょうか。




投稿第二三号


         
「乗物酔止薬」の服用について!
2008年8月1日
正会員

宗政 義仁

      先ず最初に結論として、スポーツ競技特に生命に関わる危険な状態が発生する
    と思われるスポーツ競技をする場合は、「乗物酔止薬」の服用をやめるべきと
    考える。

    この事は特に目新しい内容ではないが、この度の「皆生トライアスロン」で私
    が体験した事を少し書いてみたいと思う。私は子供のときからブランコ・回転
    遊具、そしてバスや船に乗ると決まってひどく酔ってしまい、フラフラ状態に
    なったり吐いたりしていた。大人になるに従って少しはましになってきたが、
    今に至ってもなお酔ってしまう事には変わりない。

    これまでのトライアスロン競技においも、スイムパートで波やウネリに悩まさ
    れてきた。スイムが終わり陸に上がって来たとたんに酔いが顕著に出てきて、
    フラフラ状態になったり吐いたりしていた。そうすると、その後のバイクで足
    に力が入らなくなりペダルが回せなくなる。これまでに各地の大会で何度もこ
    んな経験してきた。そして何時かは「乗物酔止薬」を飲んでみよう試してみよ
    う・・・と思いながら18年間が経過していた。

    かくして今年の皆生トライアスロンに至った。今年の皆生トライアスロンはそ
    う気にする程の波は無かったものの、約1.5m程のウネリが有ったため大会
    本部は安全確保のため上陸地点を砂浜に変更するなどの対策をこうじた。そう
    いう海の状況だったため、初めて「乗物酔止薬」を飲んでみよう!・・・と1
    8年目にして初めて決断したのだった。

    バイクパートに移っても暫くは特に何も感じること無く漕いでいた。ところが
    40km位からの上り坂に差し掛かる頃から眠気が襲って来るようになってき
    た。「乗物酔止薬」を飲んだ事などとっくに忘れ『キット暑さのせいだろう!
    』・・・などと勝手に思っていた。そうこうしてる内に睡魔の訪れる間隔が短
    くなり、段々と酷くなってきたのだ。『こりゃーヤバイな・・・』と思いつ
    つ『降りようかどうしようか・・・』などとも思いつつ、何とか最初の大き
    なアップダウンを過ぎ70Km位に差し掛かっていた。

    突然ズド ド〜ン!なぜか「茶色のスクリーン」が頭の上から落ちてきて、そ
    の瞬間に無意識に両ブレーキを握り締めていた。危なかった!・・・転倒は免
    れたが危なかった!”幻覚(幻視)”を見たのであった。幸いなことにそこは
    直進で且つ平坦な所だったので事なきを得たが、これが急カーブの下りだった
    ら・・・と思うと、ゾ〜〜〜とする。

    選手の皆さんの中で私と同じような体験をされたり、同じような体質の方もい
    らっしゃると思うが、その様な方々は波やウネリの大きい時には『これがトラ
  
  イアスロンなんだ!』と諦め、「乗物酔止薬」の服用を止めるべきと考える。

 
    (補足)本件に関する主張は私の個人的な判断である。「乗物酔止薬」の効果は
         個人差があり、また服用する薬の種類によっても差異があり一律ではな
         い。当然のことながら最終的な判断は自己責任で服用することになる。
         ちなみに製薬会社の説明書には「服用後、乗物または機械類の運転操作
         をしないで下さい」と書いてある。




投稿第二二号−5

          
T A K U M I 便 り !
2008年12月29日
準会員
小原 工

       寒い冬真っ只中ですがみなさん元気にトレーニングされていますか?こちら米子は
       何度か雪が降り大山はきれいな雪化粧。今はだいぶ解けてしまいましたが見てい
       るだけで心が安らぎ気持ちが癒されます!天気の良い日にバイクに乗れば空気が
       おいしくα波を感じながら景色を楽しむことができます。ココ最近は昔練習していた
       大山周辺の秘密の?コースを久々にバイクではしりに行き、トライアスロンを始めた
       頃のことを思い出しています。あの頃は私のトライアスロンの師匠たちに連れられ
       て何も考えずにただひたすらペダルを回していたけど、米子は本当に自然環境に
       恵まれた所だと改めて感じています。子供を育てるにもスポーツの練習をするにも
       ここの生活環境は抜群です。この自然をうまく有効利用すれば強い選手が必ず育
       つはずです。自分はここで強くなれたのだから!

       さて、平成20年もあっという間に終わろうとしていますね。みなさんはどんな年だっ
       たでしょうか?私の方は今年もいろいろな経験をした年になりました。恒例だった
       宮古島合宿、篠山マラソンで失速したこと、チームの突然の廃部、それを乗り越え
       北京オリンピックまでチーム全員でがんばったこと、米子へ活動拠点を移したくさん
       のイベントに参加したことなどなどいろいろな変化を体験した年となりました。今ま
       でどんなときでもどんなことが起ころうとも前向きに物事を捉えられるようになった
       のも、トライアスロンという競技を続けてきてたくさんのことを学んできたからです。
       いつも私の周りには明るく前向きな人達が多かったのも大きかったでしょう。これ
       からもその気持ちを忘れることなく挑戦していきます。

       ●ライフセービングベーシック講習会体験
        「今しかできないことを一生懸命やる」これがこの11月の私の課題でした。その
       ひとつの挑戦としてまずはベーシックの資格を取るため5日間の講習と筆記、実技
       試験を受けました。レースでいつも泳ぐ皆生の海に恩返しをしたいという気持ちと、
       水辺の安全を守ることに役にたちたいと思っていたからです。あるトライアスリート
       が「人の役に立つため、人を守るために」と立ち上げた皆生ライフセービングク
       ラブの存在も大きかったですね。私は生まれ変わったら「海猿」になります。映画の
       影響が大きいかも知れないですが、まさに海を守る男の仕事ですよね。現実はあ
       んなにかっこいいものではないと本当の海猿の方に聞いていますが、それでも生
       まれ変わったら試験を受けて海上保安庁に入ることに決めています。これまじです!

       話はとびましたが、実際講習会を受けてみていろいろな知識と技術を身につけるこ
       とができました。午前中は教本に沿ってライフセービング概論や心掛け、海の知識、
       サーフパトロール、レスキューなどの知識を学び、午後から11月の海に実際に入り
       (少し寒かったですが・・・)、技術を学ぶというもの。知っているつもりが、分かって
       ないこと、できるつもりが実際できないことが多く、やはり日々の勉強とトレーニン
       グが必要なのはなんでも同じでした。特にサーフボードを使ってのレスキューは一
       人で操作するにはなんともなくても、溺者を乗せてパドリングしながら操作するの
       はなかなか思うようにいかず、普段からのトレーニングが必要と強く思いました。
       オーストラリアなどのライフセーバーが走っても泳いでもボードに乗っても速い訳が
       良く分かりましたね。私も本物のライフセーバーを目指したいと思いました。でも、ラ
       イフセービングで一番大事なことは人命救助をすることではなく事故を未然に防止
       することなのです。ライフセーバーになることはトライアスロンにも役立ち、トライア
       スロンはライフセービングにも役立つのではないかと思います。今回受講したタイ
       人の中にトライアスリートは3人いました。皆さんも自分をひとつ高めるため挑戦して
       みてはいかがでしょう。
                  

       ●ハワイトライアスロンin湯梨浜(ゆりはま)大会
       鳥取県初のオリンピックディスタンスの大会が来年5月24日に開催されることが決
       定。ここは旧羽合(はわい)町と二つの町が合併した町で、その名のとおり温泉と
       梨と浜(海岸)があるのが特色です。これまで毎年、ショートトライアスロンinハワイ
       という記録会を鳥取県協会がやっていたのですが、これから湯梨浜町の一大イベ
       ントとして行われることになりました。この大会は県中部の自然豊かな東郷池(湖
       のような)を舞台にそのまわりを使ってのコース設定がされています。先日コース
       試走をかねてのバイク+ランを地元トライアスリートの石川さん(家がコース上にあ
       る)に案内してもらい走ってきました。バイクはスタートしてすぐ小さな峠(1.5キロほ
       ど)を上り、それを下るとあとはほとんどフラットな湖畔をはしるスピードコースで1周
       13.5キロを3周回するもの。ランはその周回を約1周しコース上にある燕趙園(えん
       ちょうえん)という中国庭園の前広場がゴール。走った感想としては湖畔を走るの
       でとにかく気持ちがいいのと峠の頂上の景色が最高!でした。スイム会場とトラン
       ジットエリアはあやめ池スポーツセンターというトレーニング施設と体育館、カヌー
       の練習場になっている場所で公園も隣接しています。コース上にはいくつかの公
       園と羽合(はわい)温泉などの宿泊施設もたくさんあり家族で来ても楽しめると思い
       ます。来シーズン前半のレースにみなさんいかがでしょうか。中国ブロックの国体
       予選会と学生選手権の西日本予選もかねて行われるので盛り上がること、楽しめ
       ること間違い梨(ナシ)です。スイムコース、大会の詳細の情報はまた分かり次第
       お伝えしていきますね。

       ★今年からではありますがTAKUMI便りを読んでいただきありがとうございました。
       来年からは選手活動とともに新たな指導活動の場も広げていきます。来年もよろ
       しくお願いいたします。みなさん良いお年をお迎えください!!!   



投稿第二二号−4                    2008年11月22日

      みなさんこんにちは。今週から大変冷え込んできましたがお元気でお過ごし
    でしょうか。JICのみなさんのご活躍はホームページで見ております。
    ハワイ全員完走おめでとうございました。私もまたハワイに行けるよう精進
    します。


      さて、私の方は10月より地元鳥取県米子市へ活動拠点を移し、来シーズン
    からの選手活動・指導活動に向けて計画、準備を進めております。


      こちらは、昨日から雪が降り始め、今日の大山はすっかり真っ白な雪化粧を
    して冬本番といったところですね。もうスキーができそうですよ。この冬は
    寒くなるのかなー。

    10月は米子を中心にたくさんのスポーツ行事が行われ参加してきました。
    5日は大助・花子の健康ウォーク大会でMTBに乗り誘導係、12日は障害
    者・児によるチャレンジアクアスロン皆生大会の選手のパートナー役(この
    詳細は鉄人皆生通信に掲載、19日は第1回の大山MTB3時間耐久レース
    にチーム(車選手、井藤選手、富田選手)4人で参加。26日は日本選手権
    で田山、杉本選手のサポートなど毎週日曜は何かあるといった感じでした。


    そして、11月もそれが続いています。1、2日と15、16日と22日の
    5日間はライフセービングの講習会に参加。水辺の安全を確保するための心
    掛け、海の知識、サーフレスキュー、パトロール、蘇生法、応急手当などの
    勉強をし、レスキューの実技なども実際海に入ってサーフボードに乗ってや
    っています。明後日の22日には検定試験があるのですが、この分だと雪の
    中、寒中水泳のときのような中で海に入って試験を受けなければなりません。
    まぁ毎年、寒中水泳やっているから大丈夫かと安易に考えていますが、一般
    の人達は大変でしょう!でもこれに受かれば晴れてベーシックライフセーバ
    ーとなるわけです。22日はがんばります!!


    そんな寒い米子ですが、10月は快晴の日が多く18日には家族で大山登山
    に行ってきました。本当は毎年8月、父親の命日の前に登っていたのですが、
    今年はオリンピックがあったので登れずにいました。でもこの空を毎日、目
    の前にして「明日登ろう!」と急に決め66歳の母と3歳の娘を背負って行
    ってきたのがこの写真です。12年半ぶりに米子に帰ったわけですが、やは
    り田舎は自然が多く最高です。海あり山ありこの自然を有効に利用して、子
    供たちをのびのびと育て、自分の経験を生かして精神力の強い選
手を育てたい
     と思います。皆さんも是非、米子へおいで下さい。それではまた!

                  
             チャレンジアクアスロン皆生大会
             http://www.kaike-triathlon.com/cgi-bin/topic/v.cgi?id=316



投稿第二二号−3                    2008年9月11日

    JICのみなさんお元気にお過ごしのことと存じ上げます。このたび北京オ
    リンピック出場に際しましてはたくさんのご支援とご声援を承り誠にありが
    とうございました。たくさんの方々のお陰で3度目のオリンピックの舞台を
    経験でき、チーム員一同本当に感謝しております。大変遅くなってしまいま
    したがご報告させていただきます。


      オリンピックで訪れた北京の空は昨年まで訪れた時と違って青空で空気も透
    き通っていた。車の使用制限、工場の営業停止だけでこんなに変わるものな
    のか?やはり本当にミサイルを空に撃ち込んでいたようで、トライアスロン
    会場も昨年とは景色が違って見えた。


      レースの方はみなさんテレビで観戦していただいたとおり女子は過去最高の
    成績を収め、現場で応援していた私も手に汗握り興奮して応援していた。素
    晴らしかったと思う!
翌日の男子もこの勢いにのってと期待していたが、山
    本、田山両選手とも思ったようなレース運びが出来ず残念な結果となった。

                    

    田山とはこの5年同じチームで先輩選手としてコーチとして一緒に活動して
    きたが、羨ましいくらいすばらしい身体能力の持ち主であることは間違いな
    い。それを本番で生かすにはどうしたらいいかを考えながら、アテネを終え
    てからやってきた。トライアスロンはどんなに3種目の力があっても「強い
    精神力
」がなければ世界では通用しない。そこで戦うためにはどんな状況
    でも安定して自分の力を出し切れることが必要だ。そのことは今回の激しい
    トップ争いを観た方ならご理解いただけるのではないか。ランに移ってから
    のサバイバルレース。シドニーで金メダルを取ったウイットフィールド選手
    の後方からのスパートは誰をも痺れさせたのでは・・・と思う。レースは自
    分の思い通りにならないことばかり。それを伝え切れなかった私はコーチと
    して力不足だったと痛感し反省している。もちろん一番悔しいのは本番を戦
    った田山本人で、これまでを振り返り、考え、悩んでいるのではないかと思
    う。これを乗り越え近い将来、「このオリンピックの悔しい経験があった
    から強くなれた
」と思うことができれば苦い経験は良い経験に変わる。そ
    うなるようそれぞれが努力していかなければいけないと思う。

    最後になりますが、元チームが廃部になった中、なに不十なくオリンピック
    に向けて活動できたことを報告するとともに皆さんに本当に感謝申し上げま
    す。ありがとうございました。これからまたチーム員それぞれ新たな目標に
    向けて精進してまいりますので、これからも応援よろしくお願いいたします。

                                   (つづく)



投稿第二二号−2                     2008年8月11日

    JICのみなさんこんにちは。暑い日が続いておりますがいかがお過ごしで
    しょうか?私の方はオリンピックに向けた最終の篠山合宿を終え、北京に行
    く準備に取りかかっているところです。田山はここまで順調にトレーニング
    をこなしており、あとは疲労を抜きながら心身を一致させていくことが大事
    になると思います。最高の状態でレースに望めるようサポートしていきます。


    713日のジャパンカップ舞洲大会ではたくさんの応援をいただきありがと
    うございました。
1年ぶりのレースは楽しいというより、スタートした瞬間
    からずっと苦しかったですが、
41歳のおやじへの声援が多く、最後まであき
    らめず、何とかゴールにたどり着くことができました。
13人中5位はまずま
    ずだったと思います。

    ●28回全日本トライアスロン皆生大会
    今年の大会には過去最高の814名の選手が参加し、久しぶりの灼熱の中、熱
    いレースが繰り広げられました。私は今回スタッフとしてできる限りのお手
    伝いをしようと考え、バイクラック設営、コース下見案内(初参加選手・海
    外選手)、ランのエイドでのボランティアやケーブルテレビの生放送の解説
    などなどをさせてもらい大変良い経験ができました。特にエイドに入っての
    ボランティアは初めてで、熱中してやっていた息子の北斗にはすごく良い経
    験になったのではないかと思います。


    男子は圧倒的な強さで藤原さんが優勝。2位の選手に24分の差は過去最高の
    差ではないかと思います。もう少し他の選手にはがんばってもらいたかった
    ですね。女子も堀陽子選手が他を寄せ付けず優勝。旦那さんの直之選手も
10
    位と健闘。
44歳にして進化している藤原さんには見習う点が多々あります。
    あの暑さの中、なぜあのように強いのか他の選手は考えなければならないで
    しょう。

             
    今回暑さも影響し150人以上の選手が途中リタイア。宮古島から参加された
    下地さんはマラソンのとき私に「宮古島より暑いです!」とつぶやいてい
    ました。それだけ過酷な条件だったということ。制限時間に間に合わなかっ
    た方、勇気あるリタイアをした方、トラブルのあった方いろいろだと思いま
    すが、皆さんのまたの挑戦を待っています。私もできれば来年選手として藤
    原さんにチャレンジします!

    それではJICのみなさんくれぐれもお体に気をつけて。また報告いたします。



投稿第二二号−1                     2008年7月26日

      JICのみなさん、今年のトライアスロンシーズン、トレーニングにレース、
    さまざまな活動に励まれていると存じます。そして、日頃より元チームテイ
    ケイのメンバーをご支援、ご声援いただき誠にありがとうございます。事務
    局の宗政さんをはじめ、たくさんの方々に激励していただき本当にチーム員
    一同心より感謝申し上げます。


      これまで、私も一度みなさんに活動報告をしなければと思っていながら、な
    かなか実行できずにおりましたが、これから少しずつでも報告させていただ
    けたらと思います。


      我々チームブレイブのメンバーはたくさんの方々のご支援のお陰で、オリン
    ピックまでこれまでと変わらずの活動が出来ております。先日は北海道合宿
    に
12日間、ジャパンカップ大阪舞洲大会5名出場、現在は長野の志賀高原で
    
9日間の高地合宿に入っています。北京オリンピックに向けて田山寛豪は最
    高のトレーニングを積めることが出来ていることをご報告しておきます。


      北海道士別合宿
    
630日から711日までの日程で北海道の士別に行ってきました。ここは旭
    川から北へ
50キロほどいったところで、合宿の里といわれるほど受け入れ態
    勢と環境が整う場所で昔から陸上の実業団チームが夏になるとたくさんやっ
    てきます。私たちトライアスロンチームが行くようになったのは、
2000年の
    シドニーオリンピックの年、夏の暑い時期にどこか
3種目の練習できる良い
    場所が無いかと、その当時のスタッフのみなさんが探し当てた場所でした。
    水、空気、食事がおいしく、果てしなくまっすぐ続く道に惚れてしまい、そ
    れから毎年夏になると合宿で訪れています。

    今回もマラソン日本代表の尾形選手、佐藤選手が走っているのを見かけまし
    た。トライアスロンからは田山の他に、山本選手(トヨタ車体)井出選手(
    トーシンパートナーズ・チームケンズ)のオリンピアンが同じ場所でトレー
    ニングに励みました。

    今回の合宿の最大のテーマはランでのレースペース(
1キロ3分)を楽に走れ
    る感覚を磨くことで、レースペースよりも速いペースで反復することにより
    感覚を研ぎ澄ましていきました。今年の士別はいつにも増して暑かったこと
    が影響し、田山は合宿前半くじけそうになりながらも、必死で監督の立てた
    メニューを消化していき、後半には設定タイムもクリアーできました。私は
    というと、スイム、バイクはトレーニングパートナーとしてほぼ田山と同じ
    メニューをこなし、ランは遅めのペース走のときだけ田山をひっぱり、給水、
    声かけなどできることを精一杯やってきました。

    この
12日間は田山にとってきつかったものの、マイナスイオンを浴びながら
    最高の合宿になったと思います。これを次の段階の合宿に繋げていきます。



投稿第二一号


            
2008 Ironman Japan Jigsaw puzzle!

< 2008年7月2日
MIGHTY TRIATHLON CLUB
内藤 聡之助氏

    
遥か彼方、いつ手が届くか分からないようなIronman Hawaiiを目指して日々トレーニングを
    重ねてはや6年。現在の自分の実力では、どこのIronman Raceに出場しようとも、上位選手
    の殆どが落車などの偶発的事故で途中Give-Upするか、「世界記録!20人以上のロール
    ダウン
」でもない限りChampionshipの出場権を獲得するのは無理だろう。

    
Ironman Japanの開催地、五島列島の福江島は実にいいところだ。 緑が豊かで、鬼岳や山
    海が織りなす造形は美しく、マイナスイオンが島中にあふれている。 海の幸も豊富で、何
    処へ行っても住民は人情にあふれていて優しく迎えてくれる。毎年4月末の開催で、亜熱帯
    を感じさせる宮古島大会は島を挙げてのお祭りで、緊張感よりも宮古らしいユルい空気がど
    こかしら漂い、そこにいるだけでとても癒される気になります。

    
一方、ここ福江島のI.M.Japanは、Hawaii Championshipの予選レースであるがゆえに、お
    祭ムードの割合はぐっと抑えられ、終始いい緊張感が漂っている。 同じ日本の、たった二
    月をあけて開催される西日本のロング・ディスタンス・レースであるのに、大会全体を通し
    て性格は全く異なっている。 共通するところは、どちらのレースも、完走すれば200k
    m以上の距離を自分の力で走りとおした満足感を得られるところ。 レースが自分の思い描
    いていた通りの結果であれば、どんな条件のレースであっても最高の気分に浸れるのがロン
    グのレースだろう。

    
福江島のコースは年々道が整備され、登坂の高低差がだいぶ少なくなったとはいえ、バイク
    もマラソンも感じ方の多少はあるにしても他の国内ロング・レースに比べるとキツイ方では
    ないかと思う。天気がよければ、鬼岳と東シナ海のきれいな景色を楽しめる選手もいるだろ
    うが、今年のようにバイクコースは殆ど霧雨といった天候になると、余裕のあるなしに関わ
    らず景色を楽しむことは殆どない。レースに集中するだけだ。 

    
かたや東平安名崎、来間大橋や池間大橋を擁して開放感あふれる景色をみせる宮古島は、多
    少天気が荒れたとしても、遅かろうが早かろうが選手の心を震わせてくれるものがある。た
    とえ終日悪天候に見舞われてた日でも、満足のいく結果が得られなかったとしても、宮古島
    であれば沿道のエイサーやサトウキビ畑、前出の雄大な景色などといったものが心を満たし
    てくれる。ゴール会場の華やかさに心躍らせたり、琉球・宮古のゆるい時間感覚と開放感に
    つつまれて「癒し」を感じてリフレッシュできたりもする。

    
今年のIronman五島長崎は、出場選手も大会関係者もみんな、終始悪天候のままレース前後
    の5日間を過ごした。 私は、怪我で十分な準備もできないまま自らレースに臨むことにな
    り、よって「当面の目標」である成績を残すことはかなり難しい状況でした。 そのせいか、
    「ここに来てよかった」と思える、何かしら満足感を得られるものをなんとなく探してい
    ました。 私にとって今年のIronman Japanは、そんなフラストレーションを抱えたままに
    臨んだレースでした。スタートから12時間と少し経過した後にゴールした私は、ゴールゲ
    ート後方にしつらえたテントの中にあるシャワーもそこそこにして、ゴールに続く青絨毯の
    両脇にこしらえられたスタンドの応援席に立ちました。

    
海こそ凪いでで泳ぎやすかったものの、霧雨でサングラス越しの視界も最悪のバイク・パー
    ト、遅い人は寒く感じる人もいるのではないかと思う気温のマラソン・・・残り約1.5km
    の武家屋敷通りあたりからジワジワとにじみ出す満足感に浸り、福江市街で女子高生の替え
    歌応援歌に心弾ませ、沿道の坊主たちとタッチして喜び、今日一日、沿道の応援にゴールが
    近いことをあらためて確認し、感謝する・・・。 長かった226kmを最後まで自分の力で
    走りぬいて次々とゴール目指してやってくる選手達を、私はチーム・メイトとともに応援し
    ました。 「ワシら(マイティ)の会長は、まだ見えんのけ!」と、やや焦りながら。


    
MCは、ご存知ウイット・レイモンドさんと、地元TV局の女性アナウンサー。 ふたりとも
    、朝の6時から今の今まで13時間以上も声をからして選手とボランティア、スタッフを鼓
    舞し続けています。 選手の名前を叫ぶ声の後ろには、軽快でノリのいいロックが、選手に
    最後の力を絞り出す触媒となって鳴り響く。 私たちのいる青絨毯の両脇スタンドは、満員
    御礼とはいかないまでも、協賛企業の名前が入った細長い長風船を手にした観衆が、その風
    船をたたきながら、ある人は声をかけ、またある人はハイタッチをしてゴールに向かう選手
    を応援しています。 

    
観客席で待ってくれていた知人を見つけて思わず涙があふれだす女性。一刻も早くこの苦し
    さからのがれたいと顔をしかめつつ力走する若い男性。すべての力を絞りだそうと全速力で
    駆け抜けるベテラン選手。家族や友人達に囲まれてみなに感謝しながら笑顔でゴールする地
    元の選手。初参加らしい若い選手、屈強なベテラン選手、男、女。遥か彼方から東方見聞に
    やってきた海外選手。地元の期待を一身に背負って走った選手・・・。 一人ひとりの、今
    日一日の奮闘がゴール前で次々と光になって昇華していく・・・。

    
MCのウィットさんは、青絨毯のウィニング・ロードにおりて選手のレース・ナンバーと名
    前を叫び、続いて女性アナがその誇り高き彼・彼女の出身地を読み上げるところにグッドタ
    イミングでエコーが入ると、その声は石田城の夜空に渦巻いて響き、福江市内こだまします。
    まだ走っている選手は、この声を聞いて「やっと着いた!」と思うのか、「まだあと●●
    キロもあるのか…
」と思うのか。私とチームメイトは、ゴール後に汗もろくに流さぬまま
    フィニッシャーズTシャツなどを羽織り、帰ってくる選手をサンダル姿で音楽にあわせて踊
    りながら声を振り絞ってずっと応援し続けました。チームメイトのゴールは、それはそれは
    とても盛り上がって嬉しいものですが、名も知らぬ「戦友」のゴール姿にも、十分に心震
    わせられるものがあります。 大きな声で、笑顔で心から声援を送れるものです。

    
対面のスタンドには、宮塚さん、松丸選手、優勝したL.マッケンジー選手とチーム・オー
    ジーの大勢の選手&応援団、女子優勝の今泉選手、西内選手、河原選手ほか、多くのエリー
    ト選手や海外選手とその家族がいて、みんな真剣に声援を飛ばしています。恐らく、宮塚さ
    んは初め「スポンサーの宣伝業務」としてスタンドに立ったのかもしれませんが、今は結
    構楽しそうに、かつ真剣に応援しています。引退しても、やはりIronmanの血がわわぐのが
    良く分かります。 

    
今泉さんほか上記上位入賞者も、何度か名前を呼ばれて青絨毯の上におりては腰をフリフリ
    踊っています。 ウィットさんはというと、選手が途切れた時間にバックミュージックにあ
    わせてエアギターをかき鳴らしてエビ反るし! 隣にいたチームメイトがわたしの方を見て、
    ズンズンと音楽が鳴り響く中で「アイアンマン、最高ですね!」と笑顔満面で叫びました。
    スタンドの観客が一丸となって、ゴールまであと50mと迫って走りゆく選手たちを称えて
    います。 「おかえり!」「よく頑張った!」「オメデト〜ウ!」。 ウィットさんが
    叫びます「レースナンバー ●●●、 ※※※※選手、ナ、ガ、サ、キー、フクエー!
    You are、the Ironman!
」 

    
一日中頑張って走り通しゴールを目指す選手にも、Ironman の称号を手にするには絶対の
    条件があります。 その15時間の制限時間まで、あと5分と迫った頃。 今泉選手らがス
    タンドを飛び越えて青絨毯の花道に下り、後方のスタンド席に向かって目で何かを合図する
    と・・・選手、観客ら大勢が花道におりてきて左右に並び、細長い風船を屋根に見立ててト
    ンネルを作りだしました。 たしか、去年も左右に4−5名ずつトップ選手が並んで同じこ
    とをしてくれていましたが、今年のそれはもっと長い! もっと賑やか!もっともっと感動
    的! 自分も遅れず列の仲間に入り、あと数分と迫った制限時間にむかってトンネルをくぐ
    る選手を何人か迎えました。 一人、また一人、青絨毯に入ってくる選手が見えるたびに、
    迎える側のスタンド席は感動のオーラで大きく包まれます。ウィットさんが「あと60秒!
    」と叫び、15時間にあと40秒と迫ったころ、選手がひとり青絨毯に現れました。観客席
    の全員が、あらん限りの声を出して「早く!急いで!」といっています。 そして、制限
    時間の約20秒前に、2008年Ironman Japan最後の勝者がゴール・ゲートを潜りました。

    
早くゴールして市内の居酒屋で祝杯をあげるのも結構。けれど、来年Ironman Japanに出場
    される選手や応援者には、ぜひとも制限時間15時間になるその時まで、ゴールゲートの脇
    で一緒に声援を送ってほしいと思います。 その後にあげる「祝杯」は、きっと何倍にも
    美味くなっていることでしょう。
    私のIronman Japanジグソーパズル。全体像はほぼ出来上がっていたのですが、なかなか見
    つからなかった最後の1ピース。 スタートから15時間経過したころ、ゴール会場に落ち
    ていたの気づき、やっと08-Ironman Japanのパズルが完成しました。 

    (大会開催日:2008年6月22日)



投稿第二〇号

     残された人生を生きて行く証となる!

2008年6月7日
正会員
門田 勝

     このたびJICに入会させて戴くことになりました門田勝(64歳)です。
     出身地は徳島県の田舎町!山と吉野川に囲まれた自然豊かな所です。トレーニングする
     にはとても素敵な環境です。

     トライアスロンに魅せられて24年となりました。ショートのレースを完走するのがや
     っとの私でしたが完走した時の喜び、仲間たちとの楽しい飲み会が楽しくそれだけの大
     満足のエンジョイアスリートでした。

     ロングのレースは自分には絶対無理だと最初から諦めていました。60歳を過ぎた頃に
     親しく一緒に練習していた友人の一言が私の心に夢を与えてくれました。『20年間も
     トライアスロンが大好きで頑張ってきたのだから、アイアンマンにならないときっと後
     悔するよ!』と・・・

     その言葉に背中を押されて62歳の時に初アイアンマンレース。アイアンマンコリアに
     挑戦しましたが、初レースは荒天のためスイムが中止となり、バイクとランのみの大会
     となりました。必死の頑張りで完走は果たしたものの3種類全てのレースができなかっ
     たとの思いが(完走したぞ〜アイアンマンになったぞ〜)と胸を張って言えないでいま
     した。

     何としても3種類全てをクリアしてこそアイアンマンの称号を心に刻むことが出来る!!
     その思いが今の私を後押ししてくれています。

     沢山の友人に励まされ、家族に支えられただひたむきに、ひるむことなくチャレンジし
     ていく事が残された人生を生きて行く証となる。そのことを信じながら日々すごしてい
     けたら幸せだと思いながら・・・頑張ります。
 



投稿第十九号

 
      雑談/IM China!「キャファ通信より転載」
2008年4月26日
アトリエ ドゥ キャファ
辻本 誠氏

     3度目の正直というべきしょうか、今度こそ本当に開催されました。
     直前まで「ホントにやるの?」という疑問がつきまとっていましたが、時節はずれの台
     風が来るというおまけまで付いて、レース当日の朝を迎えるまで気をもまされました。
     大会の詳細は参加された方からの投稿にお任せするとして、スタッフとして参加した私
     が感じたことを書いてみます。

     ○ 交通規制
     第一回のIM ASIA(済州)を思い出すような完全規制が行われ、一般道、高速道を完全封
     鎖して行われました。そのため対向車線や支線で大渋滞が発生、甚大な被害を伴うこと
     になりました。

     17日、18日は台風の影響でフェリーが運航を中止したために、野菜や果物を運ぶトラッ
     クが荷物を積んだまま路上に並ぶ姿を見ましたが、それに引き続き大会の規制で道路を
     封鎖したため、野菜や果物を積んだ車が炎天下にさらされることになりました。かなり
     の被害が出ているものと思われます。

     また交通規制について事前の予告がなく、当日に突然規制したことも災いしたようです。
     私が聞いた所によると、役所へは抗議のメールや電話が殺到したようです。

     コースを変更する、規制の方法を変えるなど、かなり思い切った改善が為されない限り、
     2回目の開催は無理なのではないでしょうか。

     中国で行われたアメリカ人によるアメリカの大、会路上で行われたボランティア活動(規
     制やエイド、メディカルなど)以外は全て白人(何人かは知りませんが)の手で行われ
     ていました。私の目には、アメリカ人が中国でやったアメリカの大会に見えました。
     IM AMERIKA in CHINAです。会場ではアメリカ人が中国人を大声で叱りつける姿も見まし
     た。これは悲しい出来事です。

     ○ 私の仕事
     レース当日だけですが、私はメカニックサービスとして参加しました。いつもIM Langkawi
     でメカニックをされているZulailyさん(kijafaで修業したいと言っているAzmil君のお
     父さんです)と同じ車でコースを回りました。英語が上手なので、私とのコミニケーシ
     ョンはもちろん、選手とのコミニケーションは彼が中心にやってくれました。

     運転手さんは地元の人(市役所の人らしい)で英語が全然駄目。通じたのは、「Go!、
     Stop!、Slow!」これも身振りを交えてやっと通じるようになったのです。シンガポー
     ルから来たメカニックが中国系だったので、すれちがう時や電話で中国語通訳をしても
     らいました。しかし良く考えると、ここは中国です。次の大会までに私たちが中国語を
     覚えてこようとZulailyさんと約束しました。

     私たちは移動中はじっと座っているだけですが、運転手さんはマニュアルシフトの運転
     しにくそうな車をずっと操っていた訳ですから大変なご苦労です。しかもわがままな私
     たちの言うことを文句一つ言わずにずっと付きあってくれました。本当に有り難いと思
     いました。

     車はこの大会のスポンサーが提供してくれた新車のSUV。いわゆるピックアップバンです。
     空気圧が高すぎるのか、タイヤが固いのか、はたまたサスペンションが固すぎるのか、
     乗り心地は最悪。これに朝8時から夕方5時まで、延々9時間(ちょっと休憩しました
     が)も乗っていました。しかも室内には内装から発生していると思われる化学物質の臭
     気が鼻を刺します。昔の日本の車でも同じような匂いがしてたことを思い出しました。
     スピードメーター(距離計)が止まってましたから、大会が終わったら新車で売るんだ
     ろうなと勝手に想像しておりました。

     メカニックとしては大きなトラブルもなく、タイヤ交換のお手伝いが主な仕事で、レー
     ス後半はリタイヤした人をゴールまで搬送するのに追われました。車が5人乗りなので、
     二人しか載せられません。載ったのは、メキシコ人、アメリカ人、韓国人、フランス人。
     いつも5カ国の人が狭い車内でガヤガヤ喋ってました。運転手さんは聞いているだけで
     したが。

     ○ ボランティア
     会場内、コース上には大勢の学生ボランティアが動員されていました。不確かですが、
     2,000人以上と聞きました。コースで活動していた人は長時間、多分水だけしか口にして
     いなかったのではないかと思います。実は私たちも水しか口にすることは出来ませんで
     した。私たちは動いている車の中でしたが、彼らはテントも傘もない直射日光の下での
     長時間ボランティアは真に過酷だったに違いありません。

     ○ パク・ビュンフン
     宮古島では二連覇しており、今年勝てば三連勝。しかし強豪の揃うチャイナへ行きたい、
     しかも入賞すれば賞金を手にすることが出来る。パク・ビュンフンがチャイナを選択し
     た理由はこんな所にあったようです。

     レース前日、私はバイクのメンテナンスのために会場になっているSheratonホテルで彼
     と会いましたが、肌艶がいつになく良くていかにも体調が良さそうでした。結果的に2
     位という高順位でフィニッシュしましたが、スイムがもう少し速ければトップに肉薄し
     たのではないかと残念です。一方、日本人エリートの姿を見かけませんでした。
     (大会開催日:2008年4月20日)



投稿第十八号

          08アイアンマン・チャイナ完走記!


2008年4月26日
正会員
佐藤 文昭氏

      4月20日に中国・海南島でトライアスロンがありました。アイアンマン・チャイナ
      は今年から始まりその第一回目でした。


      海南島での開催が危ぶまれていて、その前にカナダ山行が決まっていました。3月1
      7日にカナダから帰国してから1ケ月後の4月17日に海南島へ出発ということにな
      りました。本当は、カナダにいた期間に一番強いトレーニングをしなければいけなか
      ったのです。カナダから帰国してから1週間ぐらいは身体がきつくてトレーニングも
      出来なかったのですが、なんとか回復しました。


      カナダで高度2000mの小屋に滞在し、3000m級の山に登ったことがプラスだ
      ったのかどうかは分かりません。高所トレーニングとしてどのぐらいの効果があった
      のか?あるいはマイナスだったのか?


      アイアンマン・チャイナの参加者が一番多かったのはアメリカの百数十名、次が日本
      の91名、開催国の中国からは15名ということでした。アイアンマン・ジャパンで
      は参加者の90%が日本人?エイジ・グループ別に3位まで入賞するのですが、私の
      65〜69歳は参加者が2名で完走さえすれば入賞でした。1位になればハワイの世
      界選手権に出場できるのですが、徳島から来た方が強くて、私は制限時間ギリギリ2
      0分前にゴールしました。それでも2位、表彰台でトロフィーを受け取りました。

        エイジ・グループが一つ下60〜64歳の日本人2名はそれぞれ最悪の記録とがっか
      りしていましたが、結果は2名ともハワイ行きのスロット獲得でした。


      4月のレースはヨーロッパ・アメリカから来た方には気温の差があって辛いレースだ
      ったようです。70歳以上の3名は誰もゴールできず、わたしが完走者で最高年齢と
      なりました。出場者の20%が途中棄権という暑くて風がきついコンディションでし
      た。私も塩カプセルを途中で10錠も飲んで、ゴールしたとき汗の塩が結晶して身体

      がジャリジャリでした。この塩カプセルと漢方薬「芍薬甘草湯」が筋肉ケイレン防止
      に役立ったと思います。


      海南島は20年前に広東省から独立し海南省となり人口800万、省都海口市は16
      0万の大都会でビックリしました。繁華街はデパート、ブティック、レストランが並
      び他の中国大都会と変りません。水泳会場となったシェラトン・ホテル前の海岸から
      は海口市の摩天楼が林立しているのが見えました。

                
      フィニッシャー・シャツと入賞トロフィー   椰子殻で組み立てたトロフィー
       (大会開催日:2008年4月20日) 
 [1st Runner UP]が2位という意味らしい。



投稿第十七号

        08年アイアンマンオーストラリア大会参戦記!


2008年4月25日
正会員
石井 英機氏

         昨年に続きアイアンマンオーストラリア大会へ参加してきました。年代別でトップ選手に15分弱及ばず、ハワ
         イゲットはできませんでしたがバイクとランできついアップダウンがあるハードコースを完走し、オーストラリアで5
         回、全体では22回のアイアンマンフイニッシャーとなることができました。

         同行したK氏、トップのG氏や友人の友人であるT氏、シドニーで出迎えお世話いただいたP氏などと交流
         できて大変有意義でした。かみさん、バイクショップの親父さん、カイロプラクテイックの先生や応援してくれた
         皆さんなどに深く感謝致します。今後県内のトライアスロンイベントなどをサポートしながら12月のアイアンマ
         ン西オーストラリアなどをめざして新たな取り組みをしてゆきたいと思います。

         ● 4月2日(水) はな曇り    自宅9:30AM 発〜   成田空港9:00PM 発〜シドニー
         静岡の自宅付近の土手の堤では桜は満開だ。新幹線で上京、昼食は上野鈴本演芸場裏の有名蕎麦
         屋に行く。湯島天神は合格祈願の札がいっぱいだ。不忍の池や桜が散り始めている上野公園を散策。若
         者が花見の宴をしていた。こんな時間にできるとはいい会社ですね。都立美術館で書道展を見る。浅草で
         はごったがえしている仲見世を通り浅草寺に参拝
する。人形焼や雷おこしを食べる。成田空港では唯一
         のツアー仲間K氏に会えた。バイクケースは20kgだったので登場手続きはスムース。今回はシドニ
         ーからポートマッコリーまで国内線を使うためシドニーでのバイクのトランジットが課題だ。T氏がいつ
         ものようにかけつけてくれ4人でビールと中華料理で楽しい一時を過ごしました。

         ● 4月3日(木) 晴れ
           シドニー8:25AM着   時差2時間   所要時間9時間30分
               10:30AM発   ポートマックオリー(シドニー北方約400km)モーテル3:40PM着
          日本語堪能のP氏が出迎えてくれ1年ぶりの再会。過去4回は彼が現地まで5時間かけてバイク共
         々キャリアカーで運んでくれたが、今回は選手僅か2名ため国内線を使うことになった。国内線まで
         彼が付き合ってくれてとにかくバイクを我々と同じ飛行機に乗せてくれるよう係員に頼んでくれた。48
         人乗りの双発プロペラ機の貨物室に乗せる作業を見て、3辺の和200cm、20kg以内というツアーコン
         の要請を理解できた。

          風を受け大分揺れて怖かったが1時間足らずで無事ポートマックオリーに着きバイクも降ろされて き
         てホッとした。モーテルまでバンタイプのタクシー。モーテルのお姉さんは覚えていてくれた。部 屋は
         電子レンジ付、持参したコッヘルで自炊OK(電圧は220Vのため変換コネクターが必要)。バイク組み
         立て、スーパーでビールや食材などを買い、中華レストランで夕食。ここではアルコール は自分達で
         調達とのことでモーテルまで取りにいった。3人で3種類の料理を頼んでシェアーした。 結構でした。
         すでに秋といった感じで半袖では寒く、町は昨年のほうがにぎやかだったと思う。

         ● 4月4日(金) 晴れ   ポートマックオリー7:00AM起床
         よく眠れた。朝食前にK氏と15分位試泳する。水温は20℃位か、ウエットスーツのおかげで冷たさは
         我慢できてなんとかいけそうだ。波、うねりなくただ太陽側にオープンをすると甚だまぶしい。朝食は3
         人でトースト、ハム、チーズなど。レジストレーションも陽気なおばちゃんたちが愛想よく迎えてくれ無
         事に済んだ。K氏とバイク10km先の激坂をトライしに行く。距離は短いが 20%近くか。二人共なんと
         か登れることを確認した。

         午後K氏はゴルフに出かけた。我々はショッピング、日差しは強いが風が吹くと寒い。ペリカンが5〜6
         羽ゆったりと泳いでいる。シマノのテントでバイクのチューンアップをしてもらった。カーボパーテイに参
         加、かみさんは$40、食事はパスタ、ジャガイモ、野菜などなんともうまくなかった。ハワイでもお馴染み
         の司会者、フアミリーでの参加者、前年優勝者のスピーチ等あったが内容不明でした。IM最多完走は
         なんと65回、最近は年14回というおじさんにみなビックリでした。

         ● 4月5日(土) 朝雨後晴れ  ポートマックオリー6:30AM起床
         冷たそうな雨で試泳はあきらめた。やがて大きな虹が出て晴れたが風は冷たい。窓からファンラン(5
         km)の参加者が見える。皆さん車椅子含めさまざまなペースで楽しんで走っていた。9:30AMから競
         技説明会へ。コース、ルール、医療、警察のスタッフからユーモアたっぷりに説明があった。水温は1
         9℃が予想されウエットスーツはオプションという。チューンアップ後の試走をして4:30PM K氏とバ
         イクとギアーの預託をする。バイクのチェックは全くなし、自分でラックに架ける。夕食はアルコールぬ
         きカレーととうもろこしなど。7PMには床につく。

         ● 4月6日(日) レースデイ 小雨後晴れ ポートマックオリー3AM起床
         よく眠れた。朝食は赤飯と味噌汁、バイクで食べる梅干いり赤飯のおにぎりもかみさんがつくってくれ
         ありがたい。5AM外は小雨で寒い。このところ頻繁にシャワーがある。3人で歩いて15分の会場へ向
         かうも選手に会わず。ボラのおばちゃんに聞くとなんと今日から1時間戻されたという(サマータイムは
         日本英語のようです)。事前の案内に「日照時間の節約変更に注意」と書いてあったのをすっかり忘れ
         ていた。

         昨年はレースが4月1日だったので経験しなかった。宿に一度戻る。ナンバーリングではエイジを示す
         アルフアベットのみ。バイクのエアー入れの間破裂音を聞く。おそらくクリンチャ−だろう。ベントボック
         スににぎり飯、湯べし、羊羹、あめを搭載する。ベビーオイルをぬりウエットスーツを着て準備完了。

         ○ スイム:1°30′06″ 総合1292位  年代別2位
                                    年代別トップ差:▼5′19″、昨年との差:▼4′44″
         1,460人が申告順に5組に分けられキャップの色に一致するブイの後で立ち泳ぎして待機する。デイー
         プウォータースタートというそうだ。自分はもちろん最終組、最初に入水せねばならない。50m位余計に
         泳ぐことになるが前に位置して背中などに乗られてはたまらない。「日本人か?俺はジョージだ」と言っ
         て話しかけられた。彼は65歳ピカピカ結局トップになった。

         女性ボーカルのオーストラリア国歌が終わると6:30AM号砲一発長い一日が始まった。会場は広大
         なヘイステイングス川の河口で汽水、時計回りの2周回だ。波は殆んどなく一時うねりはあったが良い
         コンデションだ。水温はやや冷たくやがて指の先がしびれてきた。脚にも痙攣のおそれが出てきたの
         でビートをうたないようにした。課題の一つ「右に蛇行しないようにする」ことは終始交互オープンをして
         コースブイに沿って泳げまずまず。二つ目の「ドラフテイングをする」ことはバトルがかなりあり余裕な
         かった。それでも比較的に冷静に泳げ思ったより疲れもなく上陸、時計を見ると1時間29分、少々不
         満だった。トランジションでは冷雨に備え迷わず上は長袖、下は初めてタイツを着用した。

         ○ バイク:8°05′26″ 総合1397位  年代別4位  トップ差:▼39′14″昨年差:▼32′30″
         アップダウンのきつい3周回のコース。町中は大勢の観客が盛大な応援をしてくれる。郊外にでると周
         囲は低い潅木、行きは左手の海側からの向い風で20km/h、帰りも28km/h位だ。先行する選手のペダ
         リングは誠にスムース、自分は重いギアーでギーコギーコといった感じで少しも成長していない。

         オートバイに乗ったマーシャルが頻繁にパトロールしていたがプロや早いエイジグルーパーは4車間
         をあけドラフテイングすれすれに走り去る。格好いい。ハーフ地点でトイレ休憩、立ちションは警告の
         対象となっている。それでも1回だけ見た。路面はいいがパンクは10人位見たかシマノのメカニックが
         サポートしていた。

         ハイライトは例のスタートから10km付近の激坂、大勢の観客やカメラマンが待ち構えている。降車す
         る選手もいたが自分はなんとかクリアできた。10km毎のエイドステーションでは生徒諸君が水、ゲー
         タレード、コーラ、バナナやビスケットをチャージしてくれる。持参したおにぎり、ゆべし、羊羹やあめな
         どをしっかり食べた。1周回目にシャワーがあったがその後曇天で汗はそれほどかかずにすんだ。幸
         い腰、下腿部や股下などに痛みが出ず、パンクやチェーンはずれなどもなくラッキーだった。最後の
         折り返しで自分より後ろの選手は15名位を確認。「ハーイ」や「ウエルダン」などと言って励ましあった。
         プロはすでにフイ二ツシュ殆んどの選手がランに移っていた。
                       
         ○ ラン:4°27′49″ 総合662位  年代別1位  トップ差:△25′04″ 昨年差:△6′12″
           ・記   録:14°08′15″
           ・総   合: 1,230位
           ・完   走:1,411人
           ・出   場:1,460人
           ・年代別順位:2位
           ・年代別完走:4人
           ・年代別出場:6人
           ・年代別トップ差:▼14′23″ 同昨年差:▼35′53″

         往復14km3周回のコース、南側折り返し地点でタフなアップダウンが3箇所あり。オージーの熱烈な応
         援がうれしい。「がんばって」の声援もあった。日没後はライトステイックを頼りに後を追い、前から来
         る選手を避ける。かなり寒くなり長袖とタイツは正解だった。ハワイでは凹地に足をとられ痛い目にあっ
         たので暗い箇所は慎重に足を運んだ。歩いている選手を大分パスした。2km毎のエイドステーション
         ではバナナ、クッキーやオレンジをいただく。あったかいスープが欲しいところだ。

         フイ二ツシュ付近で日の丸を振っているかみさんを見つけ一緒に走り出す。前回はこけて皆さんに大
         笑いされたが今回は無事に同伴フイ二ツシュできてよかった。お姉さんがしっかり支えてくれ完走メダ
         ルをかけてくれた。一休みしていると隣りはカナダからのお姉さん。「2回行っているよ、日本へは?」に
         は「ノー」とのこと。バイクとグッズのピックアップをしてモーテルに戻りシャワーを浴びてラーメン食べ
         ながらビールを少し飲みバタンキュー。昨年はツアー仲間とビールとワインで乾杯したのだが。K氏は
         1時間位後で戻ったようだ。11:30PM花火が上がり長い一日が終わった。
                       
         ● 4月7日(月) 曇り時々雨 ポートマックオリー6:00AM起床
         よく眠れた。バイクのパッキングをしてインフォメーションセンターに行きリザルトを見る。年代別2位と
         分かりそれでも11時からのロールダウンに行った。70スロット中25のロールダウンがあり詰め掛け
         た選手や友人達にとってスリル満点だった。残念ながら我々のエイジにはなかった。昼食はK氏と3人
         で近くのステーキ屋へ。ここはアルコールの持ち込みはNOだ。300gのオージービーフをトライしたが
         やはり和牛のほうがいいですね。

         6PMからアワードパーテイー。ビールやワインのサービスあり、ビーフや魚肉などの食事は今一でし
         た。ビデオ放映、若いエイジからの表彰、我々エイジは最後でした。1位のジョージ氏は2回目のアイ
         アンマン、ハワイは初で喜んでいました。柔道をやっているといいがっしりしていてスイムやバイクが
         強い理由がわかりました。2位の賞品はクリスタルグラスの盾、タニタのスケール(目録)でした。IMオ
         ーストラリア15回のT氏がスピーチをしました。彼は友人の友人です。昨年のハワイでどうしても会え
         ずようやく会え2ショット。優勝した男女プロ選手の挨拶は記憶ありません、眠っていたようです。
                       
         ● 4月8日(火) 雨  ポートマックオリー空港5:25PM発   シドニー空港10:15PM発
         最後の朝食を3人でとる。9:30AMお世話になったモーテルをチェックアウト。但し荷物は倉庫に預か
         ってもらった。我々はヘイステイング川のクルーズ。アイアンマンフイ二ツシャーだと言ったら2人$50を
         $40にまけてくれた。キャプテンは若手のジャック氏で裸足だ。お客は7名、双胴船のためか揺れない。
         スイムコースをさかのぼりかきの養殖場、マングローブの岸辺などきれいな国立公園を2時間半かけ
         て案内してくれた。いるかには会えなかったがペリカンには会えた。ごみ一つ浮かんでおらず汚水など
         も流されている様子もなく自然が本当に大切されている。

         スターバックスコーヒーで昼食。外は冷たい雨だ。1日ずれていたら悲惨だった。3:15PMモーテルを
         後にする。空港では大京に関係していた若い係員が愛想よく応対してくれて助かった。ゴルフのハン
         デはシングルという。間違えなくバイクは成田まで、シドニーでのピックアップ不要であることを確認し
         てくれ、シドニー国内線から国際線までの移動方法も教えてくれた。国内線ではワイン、チーズ、クッ
         キーやコーヒーのサービスあり驚いた。複雑なシドニー国内空港を移動、搭乗券をもらいカンタスのシ
         ャトルバスでなんとか国際空港へたどり着いた。

         ● 4月9日(水)   成田空港6:45AM着    自宅11:50AM着
         6日間のオーストラリア滞在を終え無事帰宅しました。東京駅で買った駅弁は大変おいしかったです。
         やはり日本の食は最高ですね。自宅付近の桜は散り始めてさつき、つつじやはなみずきなどが咲き
         始めていました。大勢の皆さんにお世話になりおかげさまで楽しい充実した旅行となりました。どうもあ
         りがとうございました。 

       (大会開催日:2008年4月6日)



投稿第十六号

           今年のレースに向けて!


2008年3月29日
準会員
石田 義和氏

        今年準会員として入会させていただいた石田と申します。現在千葉の実家を離れて名古屋で単身赴任
        の生活を送っています。もうかれこれ10年近くになります。最初は何かと不便でしたが、慣れるにしたが
        って生活のリズムもつかめ圧倒的に変わったのはトレーニングに当てる時間が増えたことです。特に、帰
        省するとき以外は土日に自由な時間が取れるようになり集中してトレーニングができるようになりました。
          そのおかげか、ここ3年ほどハワイに参加することができ何が幸いするかわかりません。これがいいのか、
        悪いのかわかりませんが家族も応援してくれているのでこれでよしと自分には言い聞かせております。

        さて今年のレースに向けてとしては、初戦がジャパンとなります。というわけで、今まで冬眠していた体を
        目覚めさせるために、徐々に体を動かし始めたところです。3月は長くゆっくりのペースを維持しながら、
        ベース作りに重点を置いてトレーニングを行っています。4月、5月で、強度を上げて体を作っていくつもり
        でおります。年齢を重ねるにつれて、長い時間オフをとると次に体を作り上げるときに非常に苦労するため
         まったくのオフは作っていませんが、レースを意識しないで行っているので、現在一度スイッチを入れ替え
        ている最中です。

        今年は、コリアがなくなってますます狭き門になるのではと危惧していますが、とりあえず体作りと思って
        います。今年もジャパンの先にあるハワイにて、会員、準会員の皆さんとおいしいお酒を飲めるように準
        備を進めています。



投稿第十五号

         IMハワイ大会参加権利を獲得!


2008年3月20日
正会員
滝 豊水氏

       アイアンマンマレーシア2008、2月20日徳島を出るとき気温は−1度でした。今年
       も私は右足の故障で、決して調子がいい方じゃなかったのです。大会半月前はバ
       イクもランも練習が出来ない状態なので思い切って休み、1週間前にラン6kmバイ
       ク30kmを2回ずつやり、大会もやってみなければ解らないので、頭で走ることにし
       ました。

       スイムは何時もの事1時間25分台で、三森さんとは15分も遅く浜に上がる。『焦ら
       ないあせらない』と独り言を云いながらバイクにまたがる。最初の10kmは軽いギ
       ャーで回す。調子がよければ走ればいい。スピードも上がらず、あまり余裕が無い。

       私達のエイジは日本人7人の競い合いだ。日焼けは体力が消耗するから長袖シャ
       ツで走ることにした。私にとっては良かったように思う。バイクで水をシャツにかける
       と暫くは涼しい。ランでもそうであった。氷水でシャワーしても気持ちがいいし、エイド
       を一つ飛ばしで立ち寄るがシャツは乾いている。

       レースで一番怖い汐元さんは何処を走ってるかチェックするが、他の人の差はマレ
       ーシアで無理はしない。ハワイの切符は欲しいがゴールまでわからない。汐元さん
       に追い越された時は駄目かと思った。走りながら帰ってからジャパンにでも申込み
       しなければ・・・など考えながらゴールに向かう。フィニッシュタイムは12時間46分31
       秒だった。明くる日の記録発表が気になり寝付きが悪く、体中の筋肉痛もあり寝れ
       なかった。アワードパーティーで盛り上がりマレーシアの大会が終わった。

       徳島の仲間と25日朝ランカウイを後にしてからクアラルンプールへ。空港へ迎えに
       来たのが25人乗りマイクロバスだった。私達2人を乗せて観光ガイド付き昼食付き。
       ホテルもランカウイと違って凄い、29階建ての20階が私達の部屋で凄い眺めだ。
       26日は朝ランで5km汗を流して後は歩行観光、筋肉痛も楽になった。早めに迎え
       に来てもらいPM6時過ぎ空港に着く。ビックリしたのが高速道路の料金だ。75km
       程走り250円ぐらい、そして片側3車線でミニバイクもOKだ。高層ビルや住宅建築
       現場の多い事にもビックリした。来年はJTUマーシャルの更新でマレーシアは行な
       いが、いつか又参加したいアイアンマンです。
    (大会開催日:2008年2月23日)



投稿第十四号

        ニュージーランドアイアンマン!


2008年3月18日
正会員
西村 詮幸

        今回、予てより考えていた、今まで参加していない皆様のお勧め大会に出場
     しようと思い自然の豊かなニユ−ジーランドアイアンマンに、妻を同伴で参
     加する事にしました。


        時期的に一番練習の難しい時期ですが練習相手に恵まれ常連の練習好きO氏、
     ライバルで女子県チャンピョンの
S氏、と私の3名主体でスイム、ランの練習、
     バイクは、この時期大会参加の私一人の練習が多く冷たい中でのトレーニン
     グで思うように出来ませんでしたが、
penta5nさんのサイトも利用させて頂き
     皆さんの情報、練習量に刺激され頑張る事が出来ました。ちなみに何時も体
     重
52kg位が50kgに減量して大会に臨みました。

        2月26日1830分出発、日没から長い夜、(時差4時間) 日の出前の雲間
     に真っ赤な素晴らしい景色、日の出のまぶしい朝を機上で迎えニュージーラ
     ンド
(南島)クライストチャーチ経由でオークランド、さらに高速バスで4時間、
     目的地タウポに27日1530分着、早速バイクの組み立て、買出し、夕食、
     と長い一日でした。


        2月28日午前ツアーでのコース下見、午後登録を済ませ、タウポ湖スイム
     会場にジョグで往復5km、途中スイム折り返し地点で
70m程、ウエットス
     ーツ無しでタウポ湖記念、スイム下見を兼ね泳ぐ、折り返し近くで温泉が出
     ている所があり水温が少し高いと聞き泳ぎました、若干冷たかったですが何
     より透明度が素晴らしくその上、波もなくプール以上で大会が楽しみでした。
     バンジージャンプ発祥の地ニュージーのバンジージャンプ見学、カーボパー
     ティとのんびり過ごす。


        2月29日レースバック、バイクのチックイン、日本人説明会の合間にプロ
     JIC会員の堀陽子さん達に土産のアドバイスをお願いして土産を買いレー
     ス後の準備に備えました、有難う御座いました、蜂蜜を主体に大量に買い込
     み返りの検量が心配でしが森の恵み、世界一の消費/1人と言う自然の土産
     が出来、満足できました。夜は良く眠れないので早めに床に入りました。


        3月1日レース当日ほぼ万全の状態で望むことが出来ました。
        スイム 湖岸沿いに右周りの往復コースの為、湖岸に近い外より、バトルを
     さけスタートしました、試泳どうり透明度抜群でバトル等関係なく気持ちよ
     く泳ぐ事が出来、自己ベストで泳げました。 
(1時間09分21秒)

        バイク 2周回コース、湖岸より離れるとコース1番の長い登り坂、登り切
     ると商工業地区という事で王子製紙が早くから事業を手がけそこの地名をテ
     ィッシュペーパーにつけたネピアと言う事で親近感を持つことが出来ました。
     若干のアップダウン長い直線コース両サイドは、牧草、放牧地帯、酪農での
     どかな大自然ですがアスファルトの路面が粗くガタガタそのうえ行きは向か
     い風、更に
50km位より雨、一番気になっていたバイクで散々でした。羊や
     牛は雨の前も後も平然と変わらずのんびりで、羨ましい限り、どうにかバイ
     ク終了。自己ワースト
2  (7時間33分44秒)
                          
        ラン 湖岸からゴール周辺を2周回するコースですが、雨の中、バイクでは、
     気付かなかつたツアーの仲間や、知り合いの方々に随所で顔を合わせ合図や
     声を掛け合い、沿道の応援は、日本の方々も多く、妻の応援も受け、その都
     度、力・エネルギーを頂きました。フルマラソンで練習相手と競り合い同時
     ゴール
3時間27分を記録した時の好材料を脳裏にエイドからエイドを歩かず
     に、補給も十分に摂り頑張る事が出来ました。
2周目最後では、これで終わ
     り良く走ったとゴールロードの大勢の差し出す手にタッチ感動のゴールをす
     ることが出来ました。  
(4時間35分24秒)
        総合時間:13時間30分12秒 総合順位:763/1180人中  年代別順位:2
                     
       
アワードパーティでは、今までの大会で一番という位の食材、飲物で妻の6
     0ドルが高いと思いましたが、仲間と楽しく、表彰も受けることが出来、自
     然豊かな大自然を大切にしている、島全体が公園のようなニュージーランド
     の記念に残る大会とする事が出来ました。

     (大会開催日:2008年3月1日)



投稿第十三号

             IMマレーシア完走記!


2008年3月6日
正会員
三森 隆久

        どこの予選会に出るか?決め手は、妻のバードウォッチングに都合のいい所。
     それがマレーシアでした。前回(‘03年)は、暑さでランの途中で痙攣に見
     舞われリタイアした縁起の悪い大会でしたが選びました。

        どのレースもそうですが、どれだけの準備をして臨めるかがすべてです。

         スイムは、ここ10年くらい基本的に週2回、1回2〜2.5キロの練習で泳力
     は殆んど同じです。今回もこのパターンでした。


          
バイク。私は、冬は外での練習はしません。寒いし怖いし。専ら、室内での
     ローラー台に頼ります。今回は駅伝、マラソンに合わせた長い練習(45
     間)と平日23回、11時間30分の短い練習でした。


        
ランですが、私はこの2年間、右膝痛に悩まされジョグでつないできましたが
     徐々にランの貯金が失せて行くのを感じていました。でも、昨年の12月頃か
     ら良くなっている感があり、久しぶりに気持ち良くラン練習が出来ていました。
     ところが110日に左脹脛に異変が生じました。その後、2回走りましたがダ
     メでした。23日にはレースまでもう走らないことを決め、ウォーキングで
     つなぐことにしました。


        
 さて、レースは7時45分スタートということで朝食もゆっくりでき、いい
     感じでした。

        
スイムはいつものように外側でスタート。いい調子でいつものように1時間
     10分台で終了。更衣所にはよく出くわす、丸さんもいました。


        
バイクは乗りそこね、ふらつきながらのスタート。無理しないように進行。
     40キロで1時間15分。思いの外速い。このまま行って欲しいと願いなが
     ら。オーバーペースにならないよう気をつけて。パンクしないように祈りな
     がら集中しました。結果5時間41分。出来過ぎです。暑さは気になりませ
     んでした。


         
 さて問題のランです。「頼むよ、左脹脛!」と祈りながら、ゆっくり走り出
     しました。元気な足取りとは言えないながら走れます。1周回しても大丈夫
     そうなので、完走できそうに感じました。勿論、エードステーション毎にス
     トップし、シャワーやコーラ、オレンジなどをいただき元気を貰いました。
     大失敗もしました。エネルギー切れにならないようにと、いつもは取らない
     パワーバーを食べようとしたのですが、なんと日焼け止めクリームを食べて
     しまいました。(多分25キロ付近)少しは飲んでしまいました。どうなる
     か心配しましたが、何事もありませんでした。自分の胃袋に自信を持ちまし
     た。白戸選手を始め、すれ違う日本人選手に励まされながら、頑張り完走で
     きました。そしてハワイもゲット。言うことなしのレースでした。


        
 その他今回は、バイク時にボトルに岩塩を溶かしたり、梅干しを食べました。
     また1月からはプールに行く度にサウナに入り鍛え?ました。また、レース
     前夜のスパゲッティに外皮付きのにんにくのから揚げ丸々1個と5片位のに
     んにくが入っていました。これはどう効いたのか?分かりません。ちなみに、
     妻はウェスティンホテルの庭で色々な鳥に会い、大満足でした。

        
 今はハワイの優勝を狙い『練習ガンバルゾー』という気持ちです。
     (大会開催日:2008年2月23日)



投稿第十二号

           IMマレーシアに参加して!


2008年3月3日
正会員
汐元 登志夫

       1  223日に行われたIMマレーシアに参加してきました。昨年に続いて2
       
回目です。旅行は個人手配かツアーか悩みましたがGツアーにし、1日早め
       の
19日出発です。搭乗手続き、クアラでの乗り継ぎ、ランカウイ空港から
     のイーグル・ベイホテルへのタクシー手配は勿論一人です。昨年の経験が
     生きています。23:00バイク組み立て終了。就寝。


        220日 バイキング方式の朝食中、日本人らしき方に声かける。18日か
      ら来ている同ツアーのS氏で、変更になったバイクコースを試走することに
     し、バイクコースを走る。ハワイ大会後、
2回目の実車での走りである。
     
(仙台は寒く、1日のみ2時間乗っただけ) 転車に乗れるだけでも嬉しい。
     
1日早く来た甲斐があった。しかしすぐにお尻が痛くなる。スポーツクラブ
     のエアロバイクとはあたる場所違うみたいである。第
2折り返し点の先のタ
     ンジュン・ルー・ビーチの店でココナツ・ジュースを飲む。おいしい。この
     ビーチで
30分泳ぐ。スイムも500m泳いだ(塩素負けのため)のが最高で、
     顔付けて泳げることだけでも嬉しい。帰って15:00登録完了。
     22:00同室のI氏到着。


       3 221日 今日はI氏とランコースをみてから、一人でバイクコースの
     試走、タンジュン・ルーで泳ぎ、ココナツ・ジュースを飲み昨日と同一パ
     ターン。カーボパーティでJICの方々と記念撮影。


        222日 バイクの整備、バイク預託など。20:30頃就寝。

        223日 
       大会当日
05:30朝食。07:45スイムスタート。

         スイム  明るい中をバトルなく楽しく泳げた。プールでは、後ろ向き
            プルの歩行が大半を占めるトレーニングであるので
1時間27
                 
分も泳げてよい練習になった。
        バイク 
1時間くらいは順調であったが練習不足は否めず、すぐに足に
            きてサイクリング状態。
7時間10分でランへ。
          ラ ン 昨年ほど暑くなく、順調と思ったが、大会前日から下痢が
           
(多分、ジュースに入っていた氷が原因)続いており、トイレ
            に駆け込んだりして
5時間でゴールした。トータルは13時間
                 50
分で年代別2位であった。1位はT氏で他を圧倒、さすがハ
            ワイ
3位でさらに実力が上がっている。60〜64優勝のM氏
            とともにJICの誇りである。


       6 224日 アワード・パーティー JICの方々と同席で楽しく過ごす。

        225日 マングローブ・ツアーに参加、ボートで海上を50〜60k
       mで飛ばす
(暴走に近い)ので、当たる風の心地よさに爽快感を覚え疲れ
       も吹っ飛ぶ。


        226日 クアラ〜成田へ 八千代台で温泉に入り、高速バスで22:
       30帰宅。


     9 行きも帰ってからも雪がちらついており、どこか別世界・夢の国に行
       ってきた想いです。何もかも良かった。楽しかった。優しく親切な地元
       の人達。陽気で努力家のアイアンマン仲間。懸命なスタッフ。下痢した
       ことさえも。新たな知人もできた。だからアイアンマンはやめられない。

           次の目標は決めてない。バイクは開梱せず4月下旬まで休んでもらう。
           スイム(後ろ歩き)、エアロバイク、ランを楽しく続けるだけである。
           行きも帰りも優しい笑顔で送り、迎えてくれた妻に感謝しよう。



投稿第十一号

        東京マラソン完走(感想)記!


2008年2月28日
正会員
山本 伸子

      2月17日、東京マラソンに参加しました。3万人が都心を駆け抜ける大会で、なんと5
      倍の抽選にうかって参加できました。寒い日でしたが、よく晴れて風もなく絶好のマラ
      ソン日よりでした。

      スタートは、真ん中ぐらいだったので、5分半かかりましたが、あの人数の割には、ス
      ムースに出れたと思います。沿道は、最初から最後まで5重6重の人だかり。大学の
      応援団、チアガール、ブラスバンド、和太鼓組、東京音頭を踊るおばさん達、上半身
      裸のプロレスラーもどき・・・皆、それぞれに工夫して応援してくれました。ランナーも楽
      しんで、応援も楽しんで、ボランテァも楽しんで、東京を舞台にお祭り騒ぎでした。マラ
      ソンが、皆が楽しめるひとつの文化として根付いたようです。

      参加費1万円は、マラソンとしては高めですが、メダルももらえるし、記念品も多く、サ
      ービスも良い。これなら皆納得でしょう。
      タイムは、何とかサブ4。この時間で、東京見物が出来たからいいかな・・・・
      ≪参考:来年の東京マラソンは3月22日に開催の予定です。≫



投稿第十号

     大会報告・ 氷上トライアスロン小海!


2008年2月11日
正会員
神戸 嘉久

      1月27日、長野県小海町で開催されたこの大会、今回で19回目だ。競技の内容は、
      まずスキーで3.0kmのGスラローム、次に16.0km強の雪上RUN、最後に10.0km(400
      m×25周)のスケート。1人でやるエキスパート部門と複数人でやるリレー部門があり
      合わせて200人ぐらいとこじんまりしたat homeな大会だ。

      なんと言ってもここの売りはレース前日のレセプション。スキー場内にある小海リエッ
      クスホテルのレストランにはスポンサー・サッポロビールからのビールがいっぱい、美
      味しい数々のホテル料理、更にはケーキバイキングなど、ハッキリ言ってIRONMANな
      どのパーティーとは比べ物にならない。

      更に此処はリピーターを大切にする趣旨から、5回、10回、15回など節目の連続出場
      者には豪華賞品がプレゼント。スポンサーである長野放送からは景品のほか美しい
      アナウンサーの派遣に加えて後日レースのテレビ放映まである。各種プレゼント、催
      し物も盛りだくさんで楽しめるのだが、のり過ぎての飲みすぎには気をつけよう。
      (当方、それで何回も痛い目に遭っている)

      さて、レース当日の朝、今年は寒いと予測されていたが、宿でマイナス18度(スキー
      場ではマイナス21度)。ひぃえ〜ってな感じでスキー場に到着。リフトに乗って上まで
      行ってからスタートまで待つ間の寒さ痛さ!スキー靴で走り、スキー板を付けてまた
      登る。心臓をパク付かせながら最上部をターンし、スラローム、最下部まで気持ちよく
      滑り降り、今度はRUNトランジットまで登る。ヒ〜ヒ〜、この辺で身体が温まる。
      (16:10、57位)

      16km強のランの90%は雪道、7割が下り坂。凍って滑りやすくなっている所は砂を撒
      いてくれてあるので助かる。昨年来の踵痛・膝痛に加え痔ろうの手術による練習不
      足で残り4〜5km でヘロヘロとなったが、絶対負けたくないとマークしていた長野マラ
      ソンクラブ会長の杉山氏(71歳)に僅かに先着スケートに入る。(1:31:47、56位)

      リンクは混雑の真っ最中という感じだったが、都合11回も練習した足さばきでス〜ィ
      スイ。杉山氏を追い抜きながら『なんちゅう滑りしとんのや』と思うがまた『あれで10
      kmやるんか!』と、その根性に感じ入る。無事25周を滑り終わった時は咳き込むし足
      腰もフラフラ状態。(31:28、44位)ホットレモンジュースを頂き人心地。(おむすび、とん
      汁、うどん有り。)

      総合は2:19:25、46位。60歳以上のシニアの部2位だったが、なんと杉山氏も3位(しぶ
      とい!!  60歳代結構いてるのに)。IRONMAN の常連で強豪(の)だった道向さん
      も参加されていて50位だった。(氏はスケート30年ぶりとか。難病の子供を救う支援
      の一環で参加されたとのこと。その活動もしてました。)

      当方6回目の出場だったが連続は今回で4回目。いよいよ来年は5回連続で何があ
      っても外せないのだ〜。(たとえIRONMAN出られなくとも・・・・?)
      来年はこの大会も20回記念となる。興味ある方は参加してみてはいかがか。IRON
      MANに感じられなくなった『冒険』的な要素もあるのよね〜。高知あたりから出かけて
      くる物好きなの(山本某)もいるんだよ(スキー・スケートとも一年一回、ここだけだっ
      て・・・・)。もう終りの頃になると『高知の山本さん!ガンバッテー!』なんて、そこら
      じゅうから声掛けられて大外廻って声援に応えてましたけど・・。

      閉会式での豪華賞品(旅行券・スキーセット・スラップスケートなどなど)は当方には
      無縁なんだが、この日最後のジャンケン勝負でなんとナイキのゴアテックスハイキン
      グシューズゲットしちゃったのだ。で、めでたしめでたし。



投稿第九号

            真のアイアンマンを目指して
      〜トライアスロン18シーズン目を迎えて思うこと〜


2008年1月11日
MIGHTY TRIATHLON CLUB
内藤 聡之助

      あけましておめでとうございます。
    大阪は池田市にあるアトリエ・ドゥ・キャファ主宰のメーリングリストの投稿を
    きっかけに、宗政様から貴クラブHPへの投稿依頼を受けました。
    トライアスロンだけにとどまらず、日々の生活のなかでスポーツを大いに楽しん
    でおられます大先輩方のHPに、小生の駄文をご掲載いただくことはイササカ気
    が引けますが、せっかくのご縁と割り切って投稿させていただきます。

    欧米を中心に年々盛り上がりを見せている我らが憧れのIronman大会は、アジア
    地区においてはさほど火がついてこないのか、ハタマタ政治力・財力で不利なの
    か、長らく開催されてきたIM.Koreaが中止となり、日本や韓国、近隣アジアの選
    手には非常に残念なニュースとなりました。 韓国では、 15-20年ほど前の日本
    と同じような盛 り上がりを見せ始めてきている・・・と伺っておりましたので、
    ご当地では日本以上に残念であろうと思います。

    小生、今年の11月で45歳になります。
    競泳は中学生から初めて28歳になるまでの約16年間続け、「長いことやったなぁ」
    と感じておりましたが、トライアスロンの方はそれ上まわり、今年で18シーズ
    ン目を迎えることになります。 結構飽きやすく、多趣味で、「極地で露天風呂
    に入りながらオーロラを見たい!」 「自転車で世界3周旅行をしたい!」、「
    日本百名居酒屋以上に酒肴料理を極めたい!」、「世界で親友100人作りたい!」
    、「そのまえに英語を話せるようになりたい!(ならねば!)」・・・と、死ぬ
    までにやりたいことが他にもたくさんある自分としては、よくもまぁこんなに長
    く続いたもんだとひとり感心しております。

    競技キャリアはベテランの部類に入ってきてはいるものの、実力は国内ショート
    では「中の中級」、ロングでは「中の上級」といったところ。 元専門のスイム
    は、最初の5-6年はどんなレースでもトップ集団で上がって来れましたが、い
    まはバトルとパニック症候群がオソロシくて・・・というよりも、度重なる練習
    ブランクですっかり「錨(いかり)」になってしまいました。カナヅチよりも重
    たいです。初めの7年間は、もっぱら51.5kmとミドル・タイプ専門で、ロング、
    アイアンマンといった超長距離レースは、自分向きではないと勝手に思い込んで、
    ロケーション優先の宮古島大会以外は全く出場しませんでした。

    そんな私に、ついに「IRONMAN」の世界に入らざるを得ない「人生を変えた一言」
    を聞かされました。「51.5kmのレースや宮古島大会を何回完走しても、たとえ間
    違って優勝したとしても、IRONMANを完走しない限りIRONMANにはなれないんだよ
    」。忘れもしない1998年9月の佐渡大会。ITUロング世界選手権を兼ねて開催され
    たこのレースで、結構満足のいく走りをし、ルク・ヴァン・リルデと一緒に写真
    に納まって喜んでいたワタシは、IRONMAN Championship出場を目指して日々努力
    を重ねている地元の先輩アスリートに、ついに言われてしまいました。

    トライアスリートであることを少なからず自負しているものにとって「IRONMAN
    になること」は最大の目標であり、D.スコットは命、S.ティンリーが師匠の自分
    にとって「ナイトー君は、IRONMANではないね」ということは、イコール「トラ
    イアスリートではない!」といわれたも同然で、強烈なショックを覚えました。
    それから更に10年。トライアスロンがこんなに長く続いている理由のひとつは、
    この競技(という表現がしっくりきません。“イベント”のほうが合うでしょう
    か?)をやっている人達が、殆ど一様におおらかで、野生的でアウトドア・自然
    好き、ほかの競技の愛好者たちとは一味もふた味も違う、いい意味で「クセモノ」
    であるところが大きいように思います。

    海外でも国内でも、互いに「トライアスリート、もしくはその関係者」という理
    由だけで、トップ選手もそれ以外の選手でも、初めて会ったその日から旧知の友
    のように接することができる、接してもらえる、というのがとても魅力的で不思
    議です。また、「完走者は、みな勝利者である」というアイアンマン黎明期の競
    技精神が、いまもって世界中でもっとも大切にされている、という事実も中年(
    中〜中下級?)アスリートの自分にとっては非常に大事な要素です。この一言を
    唱えて、「自分もIRONMANの一員なんだ」と自覚しただけで、いつも体が熱くな
    ってきます。それらに加え、個人的には「頑張ればできるはずの(と思っている)
    目標が、なかなか達成できない」こと、「年齢相応で世界レベルの目標を目指し
    て頑張っている」という、ちょっとナルシスティックな感じもしますが、そんな
    ところも長く続いている理由のようです。
 
    そして第1回の長崎IRONMAN出場、完走を経てその魅力にようやく目覚め(しっ
    かし暑い熱いレースでしたスねー!)、その後も宮古島、佐渡A、第4回 I.M.
    Japanとキャリアを重ね、ようやく40歳頃からKona行きを目標にしてもいいかな?
    と思うようになりました。ハワイ出場の気持ちは、’05年の第1回Honu大会出
    場(Konaで、Queen K Highwayを使って開催)で完全に覚醒しました。
    「BigIslandがワシを呼んじょるわい!」と本気で思いました。
    (感じた、という方が正しいでしょうか)

    しかし、なにせそれまでもそれ以降も、旅を楽しむような感覚でトライアスロン
    を続けてきましたゆえ、Hawaii大会出場権獲得の目標達成は、そう簡単なもので
    はありません(当たり前ですが!)。友人知人でHawaii行きを決める人達のブロ
    グを開いて、どんなトレーニングをしているのかと観てみると・・・とても常人
    とは思えない、驚愕にして更に腰を抜かしてしまいそうな質・量です。自分が同
    じトレーニングをしたら、二日と体が持たないでしょうね。

    自分も、毎日の仕事や家族との生活の中で、体調を見ながら結構頑張っているつ
    もりではありますが、彼・彼女らのようなトレーニングをこなせるレベルには、
    まだまだそう簡単に届きそうにありません。今更ながらに、チャンピォンシップ
    に出場するアイアンマンの身体/心態(?)を作り上げるには、それ相応の努力
    と時間をかけて地道に積み重ねなければならないのだと気づくとき、あらためて
    身が引き締まる思いにかられます。

    また、そう思うとなお更のこと、単に「速い」だけでHawaii 出場権を獲得する
    のではなく、それだけの努力を重ねてきたことに見合う人間的魅力を備えた選手
    こそが、アイアンマンとしてそこに出ることを認められるのではないか、と思う
    のです。 そして、自分もいつかそういう選手になりたいなぁ、と思わずにいら
    れないのです。

    I.M.KOREAは今年中止、4/20のCHINAには出場申し込みをすませていますがこ
    ちらも希望者はまだ少なく、開催も危ういとのこと。 Ironmanは益々欧米化!?
    しているようですね。まだ申し込みは済ませていませんが、今年はI.M.Japanに
    出場するとしても、それ以降はいつまでも日本とその周辺のレースに固執せず、
    ¥と時間と体力(と、家族)の許す限り、まだ見ぬ魅力的な海外の様々なIRONMAN
    の出場も検討したいと思います。今年は、そういう想いのスタートの年にしよう
    と考えています。

    今朝の松山市は、久しぶりに明るい空が見えます。
    芦屋アスリートクラブと日本アイアンマンクラブの皆様にとって、今年が最高に
    いい1年であり、これからも益々発展されることを祈っております。
    今年もよろしくお願いいたします。