投稿第三三号
08年アイアンマン西オーストラリア大会参戦記!
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2008年12月24日 正会員 石井 英機氏 |
パースの南、バッセルトンで開催されたアイアンマン西オーストラリア大会へ参加してきました。
結果12時間47分秒 年代別で幸い1位となり2年ぶり4回目のハワイ行きが決まりました。
現地は初夏、全くフラットのバイク、ランのコース、スイムでは水温20℃波やうねりなしなどベスト
コンデイションでした。9月に新調した27インチバイクの効果も大きかったと思います。坐骨神経
痛もおさまってくれていました。かみさん、バイクショップの親父さん、カイロプラクテイックの先
生や応援していただいた皆さんに深く感謝致します。
大会前後ワイナリーツアーで美味しいワインのテイストやパースでのブラックスワンやキングスパ
ークからのすばらしい眺望などを楽しむことができました。ツアー仲間との新たの出会いもありま
した。来年は県協会として県内の3大会の主管に加えて新潟国体でトライアスロンが公開競技に
なり選手の選抜やサポートなど大切な年になります。安全で円滑な運営ができるよう皆さんとしっ
かりと手を合わせてゆきたいと思います。
12月3日(水) 晴れ
自宅 9:30AM発〜東京(乃木坂)〜成田空港 9:00PM発〜パース(約8000Km)
静岡の自宅付近では桜の葉がすっかり落ち、さざんかの花が咲いています。4月は国立博物館
でダビンチの「受胎告知」などを鑑賞しましたが今回は乃木坂の国立新美術館で開催されてい
る「ピカソ展」を鑑賞しました。何人かの女性がデフオルメされて描かれており理解が及びません
がそれでも見慣れたものは安心して見られました。鮮やかな赤、ブルーやグリーンの配色は印
象的でした。隣の日展も見ました。ピカソと違い風景画など解り易かったです。完成までさぞ時
間がかかっているでしょう。成田空港ではツアー会社のご担当にお見送りいただきました。バイク
ケースは20Kgでしたのでスムースに通りました。いつものように大阪名物のたこやきとビール
で夜景を見ながらかみさんと軽い夕食をとりました。
12月4日(木) 晴れ
パース7:00AM着 (サマータイム採用 時差なし 所要時間 約10時間 )
8:00AM発〜マグナ10:00AM〜バッセルトン(パース南約300Km)0:15PM着
現地ツアー会社のCさん(日本人女性)らが迎えてくれました。日本人選手、家族は約20名です。
通関(種などの持ち込みは厳禁)を済ませバイクも無事に出てきました。大型、小型バスに分乗し
てバッセルトンに向かいます。途中稀に牛などが草をはんでいるのが見られますが大部分は未
開発地?がえんえんと続きます。行き交う車も少なくGSを1軒見ましたがガス欠や故障などする
と命を落とすおそれがあるそうです。バッセルトンのEホテルは電子レンジが付いておらず残念。
持参したコッヘルでレトルトの赤飯やラーメンなどはできます。同年齢の氏夫妻と近くの中華レ
ストランで昼食。アルコールは自分達で持ち込むことになり近くの店でワインとビールを求めまし
た。4種類ほど注文して4人で分けましたが食べきれず隣のツアー仲間に食べてもらいました。
日本でメニューが写真で表されているのはすばらしいことです。選手登録を済ませて会場付近を
散歩。風が強く海では白波が立っていました。スイムコースはジェッテイ(桟橋)を先端まで行って
帰ってくることになっていますが1.8Kmの長さは南半球で最も長い木製脚の桟橋のようです。約
3m幅のコンクリート床にレールが設けられておりエンジン付のトロッコ(日本製)が走ります。
入場料は2.5$。レース当日観客は最初から最後まで選手を見ることができます。スーパーで
パンや果物、アルコールショップでビールなどを買いました。オーストラリア$は4月には約100
円でしたが今は60円台で大変お得です。
12月5日(金) 晴れ
バッセルトン6AM起床。よく眠れました。外は12℃で寒い。T氏と試泳に行きました。徒歩で5分位
です。水温は20℃波うねりも僅かです。透明度良好、小魚の群れや海草が見えます。30分位泳
ぎまずは安心しました。ホテルのレストランで朝食が出ます。シリアルについでトースト、ハムエッ
グやコーヒー、ジュースなどで満腹します。カーボやアワードパーテイーでの食事とは違い上等で
す。海岸沿いをバイク試走、風はかなり強く日照はありますが寒さを感じます。ツアーのメカ役のO
氏にチェックしていただきましたが問題なしとのことで安心しました。カーボンの場合指示されてい
るトルクを見て締め付け過ぎないようご注意をいただきました。正午近く7〜8名のツアー仲間で
半日のワイナリーツアーに出かけました。ドライバーのD氏は息子さんが日本女性と結婚して松山
に住んでおられる様子、広島のお好み焼きが大好物という親日家です。最初のワイナリーでは5
〜6種テイスト、かみさんはピンクのシャツを買いました。葡萄畑の葡萄粒は豆粒より小さかっ
です。それにしてもハエが多いです。牧畜が盛んなためでしょうが頻繁に顔にまとわりつき全く悩
ましいです。チーズ、チョコレート、アイスクリーム、オリーブ石鹸や最後のワイナリーなどで充分
テイストしました。途中国立公園になっているすばらしい海岸なども楽しみました。4時半過ぎホテ
ルに戻りすぐアイアンマンパレードに参加しました。ジャパンのプラカードを持ったお嬢ちゃんを先
頭にして10名位の日本の選手や家族が行進し暖かく迎えてくれた市民と挨拶を交わしました。
持参した日の丸の小旗が役に立ちました。5時半からはカーボパーテイです。ジャガイモは生煮え、
料理は今一でした。ハワイでは持ち込み禁止でしたがアルコールも販売されていました。セレモニ
ーでは国別参加者、IMフイニッシャー106回の選手、最高齢79歳の選手の紹介、アクロバットの
演技で楽しんだ後男女2名のトップ選手のトークなどがありました。
12月6日(土) 晴れ
バッセルトン試泳せずゆっくりとホテルのレストランで朝食。9時半から競技説明会に参加。特に
バイクのドラフテイングの説明が3台のバイクを使ってありました(4車間空ける)。3周回であって
その周回のペナルテイボックスで5分間のぺナルテイを受けないと失格となります。昼食後バイク
とギアーの預託。バイクはラックに自分で架けます。ギアーのチェックなし、自己責任です。かみ
さんと土産物を物色、はえがまとわりつき厄介です。アルコールなしの夕食後早々に就寝しました。
12月7日(日) レースデイ 晴れ
バッセルトン3AM起床。よく眠れませんでしたがかみさんは大きな鼾をかいていたと言います。朝
食は赤飯と味噌汁などしっかりとりました。バイクで食べる梅干いり赤飯のおにぎりをかみさんが
つくってくれ感謝です。4時半会場へ、ナンバーリングはエイジを示す「J」を右太ももへ。ラン時に
は消えかかっており役に立ちません。バイクのエアー入れ、おにぎり、湯べし、羊羹や飴を搭載後
ホテルに戻ります。念入りにべビーオイルとグリスを塗りウエットスーツを着ていよいよ出発です。
スイム: 1時間24分45秒 (4月豪大会比 △5分21秒)
総合902位/1023人 年代別5位/6人
女性ボーカルのオーストラリア国歌が流れた後6時プロがスタート。水温は20℃、波はなくありがた
い。アップも充分しました。6時15分帽子の色で4組に分けたエイジグルーパーがホーンの合図で
スタート。長い一日が始まりました。往路は桟橋の左手西側を泳ぎますので左オープンでもまぶし
くありません。海底の海草が見えます。バトルは全くありません。ドラフテイングに適した選手は見
つかりませんでした。後で記録を見ますと後ろには100人位しかいませんでした。復路は太陽の
光が強烈なため右オープンです。なかなか進みません。今まで疲れがでてきますと左右に曲がっ
てしまいましたので頻繁にヘッドアップしてロスを防ぎました。それほどの疲れもなく上陸、時計を
見ますと1時間24分でしたから上出来です。
バイク: 6時間59分56秒 (同上 △1時間10分34秒)
総合956位 年代別4位
ラックにはバイクがぱらぱらです。トランジションでは迷いなく長袖とタイツを着用しました。なにせ
乾燥しており日射はきついですが風があると寒いです。15分位かかりましたが結果的には良かっ
たと思いました。1周60Km全くのフラットコースです。郊外では両側5〜6m高さのユーカリ?の
木が風を防いでくれます。美しいビーチが見られ市内では盛んな応援があり、10Kmおきのエイド
ステーションでは学生さんが水、ドリンク、バナナやクッキーなどチャージしてくれ大変ありがたか
ったです。持参した赤飯のおにぎり、湯べし、羊羹などは完食しました。塩分と糖分をとれ日本食
はいいと思います。路面は一部荒れていましたがよく整備されていました。それでも5〜6台のパ
ンクを見ました。新調したバイクはよく走れかつノートラブルでした。1周目は28Km/h、後半疲れ
がでてきて結局26.6Km/hに落ちてしまいましたが自分としては上出来です。折り返しは2箇所
ありぱらぱらで記録を見ますと50名しかなかったことになります。
ラン: 4時間22分54秒 (同上 △4分55秒)
総合378位 年代別1位 計:12時間47分36秒(同上 △1時間20分39秒)
総合742位/完走1023人/出場1076人 年代別1位/完走6人/出場6人
トランジションではタイツはそのままラン用の長袖を着用しました。後半になり風が出てきましたの
で成功だったと思います。美しいビーチに沿いで時には林に入りますが殆どフラットのコースです。
2KmおきのエイドステーションでのサービスもGOODでした。3周回で会場付近では日本の応援団が
盛んに応援してくれ力になります。エイジを示す右ふくらはぎの文字は全く消えており、私もタイツ
です、レースNO.がエイジ順にもなっていませんから誰が同エイジかわかりません。顔つきやよた
よたしているかどうかで判断するしかありません。歩いている選手が多く見られましたがひたすら
走りました。自分の後には280名がいたことになります。かみさんが振っている日の丸の小旗を
受け皆さんの盛んな声援をいただきながらフイ二ツシュできました。サマータイムを採用しています
ので7時でも充分明るい内安全に走ることができてラッキーでした。完走メダル、Tシャツをいただき
バイク、ギアーのピックアップをしてかみさんと一緒に早々にホテルに戻りました。シャワーを浴び
ラーメンを食べながら缶ビールとワインを飲むことができました。いつもならアルコールなどとても飲
めませんでしたがコースが楽だったため内臓疲労が少なかったためでしょうか?さてさて明日のリ
ザルト発表が楽しみです。11時15分花火が上がり長い一日が終わりました。
12月8日(月) 晴れ
バッセルトン時リザルト発表が掲示されており年代別1位と分かりやれやれでした。2位選手とは
24分差でした。ランスタート前46分差、ランで70分リードしたことになります。特に新バイクで左右
の蛇行が少なく大腿二頭筋を意識して回すことができるようになったことが大きかったと思います。
3位にはツアーで一緒のT選手が入りよかったです。ハワイ登録は555US$(2年前は475US$
でした)をカードで支払いインターネット登録時のIDNO.をもらうだけでさばさばしたものです。
6時からアワードパーテイー。ツアー仲間と一緒にビール、ワインやオージービーフなど味わいなが
ら健闘をたたえ合いました。エイジ表彰は最長令73歳のK氏が真打ち、その前が我々3人でした。
最後はプロです。男女チャンピオンはボラやスポンサーに感謝しながら何か?スピーチしておりまし
た。明るいさわやかな感じでよかったです。
12月9日(火)〜10日(水)
バッセルトン〜パース〜成田〜自宅着2:00PM
9時半過ぎホテル発、フリーマントルでは王朝風の建物、パースから伸びている鉄道を見てボリュ
ーム満点のフライドポテトで昼食。ここでも日本のお嬢さんががんばって働いていました。パースは
44万人の都会です。日本企業も進出しています。まずスワン川に行きました。ラッキーなことに1
羽のブラックスワン(黒鳥)に出会いました。手を伸ばせば届く距離まで近ずくことができました。
羽根の黒とくちばしの赤のコントラストがいいです。ポートマックォリーではペリカンが同様に野生の
まま保護されていました。日本ではときが絶滅してしまいましたが大いに見習わなくてはなりませ
ん。キングスパークからのスワン川と市内の建物の眺望は誠に素晴らしいです。ツアーガイド(日本
女性です)はこの雰囲気の中でプロポーズされて結婚したと言っていました。日本女性は大人気の
ようで今回のツアーで5組見ました。市内ではXマスツリーが飾ってありましたが日本ほど派手さは
ありません。案内された上海レストランでアジア風カレーとヌードルの夕食をとりましたが早く日本で
食事したいと思いました。9時半無事成田着。荷物も無事に出てきました。ツアー仲間に再会を期し
ながらお別れしました。東京駅では待望の深川弁当や愛知のひつまぶしを求めおいしくいただきま
した。大変楽しく成果のあったアイアンマンツアーが終わりました。お世話になりました大勢の皆さ
んに深く御礼申し上げます。
(大会開催日:2008年10月11日)
投稿第三二号
2008 FORD IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP!
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2008年11月20日 正会員 的場 健一氏 |
6/22 IRONMAN JAPAN(五島)で挑戦権を獲得しUSAHAWAIIKAILUA-KONAビックアイ
ランドハワイ島カイルア・コナ10/11開催の第30回記念アインマン世界大会に挑戦し
て無事に完走したレポート。アイアンマン憧れの世界大会に参加して何故ハワイな
のか、それは途轍もないビックイベントでありその規模の大きさと多数のボランテ
ィアと応援にプロとアマチュアと障害者が同時に挑戦する、三種目の競技ロングで
スタンス140.6mil-226.2KSWIM2.4mil-3.86KBIKE112mil-180.2KRUN26.2mil-42.2K
約1800名の多数の選手が参加されて、また派手な歓迎パーティにもびっくり仰天感
激して多くのトライアスリートが、目標にしているアイアンマン世界大会に挑戦す
る夢も満たされて、何故か不思議な素晴らしい魅力に取り付かれて、また再挑戦の
意欲が湧き立ってきました。
10/08(水) バイクケース(30Kg)リック手荷物を阪神西宮からリムジンバス19
:00発-19:55関空着JL078関空発22:00-10:20着ホノルルHA258発12:38-13:21ハワイ
コナ着SeasideHotelにて早速BIKE組立、RUNコースをRUN試走9Km42minシャワーの後
夕食、17時間の時差のため9時頃に暴睡。
10/09(木)朝食後7:00にSWIMコース試泳2Km60min、9:00選手登録会場で通訳の
親切な美人由美子さんと出会い登録無事に完了、14:00よりBIKEコース試走22Km46
min、18:00にカーボパーティ参加後、ホテルでスイムバイク、ランバックを点検、
収納し9時就寝、大会の前にて何故か興奮し寝られない。
10/10(金)早朝5:30RUN12Km56minしたが、大会前日は休養する日、12:00より
トランジションにBIKE等各ギャバックをボランティアの案内で預託、ホテルにて明
日の大会に向けてゆっくりと休養20:30に就寝。
10/11(土)早朝3:30起床、朝食後大会会場4:30最終の選手登録No264プレス
イムギア預託スタート前の緊張@SWIM-STRAT 7:00米国海軍航空機落下傘部隊三
名のパフォーマンス、大砲による号砲約1800名がスイムウェーブスタート初挑戦の
ために後方よりゆっくりと2Km先の折返ヨットを目標にして熱帯魚とダイバーやラ
イフセーバーに見守られてターン、大きな波のうねりと潮流に逆らい苦戦して3.8Km
SWIM-GOAL(1:49:29)4:29OVERバイクトランジションまで親切なボランティアに
誘導され、バイクシャツ、ヘルメット、ソックス、シューズ、サングラス等を急い
で装着してバイクラックまで小走りに急ぎバイクスタート地点、いよいよ180Km長丁
場の挑戦です。
ABIKE-STRAT通行止した延々直線の高速道19号にてコナウインドウを初めて経験
して恐怖の横風にて反対車線まで流されて、また長い登り坂で迎え風に逆らいなが
ら折返点56mil90.1Km(5:49:43)海岸沿いの直線を延々登り下りし88mil(141Km)
7:42:35遠くにはコナ空港が見えて頑張ろうと気合を入れて美人アスリートをスト
ーカーし180.2KmBIKE-GOAL(9:26:21)26:21OVERランニングギア着替える。
BRUN-STRAT直後に交差点を右折、多数のランナーに吊られて左折すべきなのに右
折して多くの観客で引き返されずにゴールゲイトをフィニッシュ、コースミスにて
通訳のボランテァ由美子さんに再挑戦の交渉を依頼して約25分経過後、マーシャル
の粋な計らいでやっと承諾されて、親切な黒人が運転する小型バギーカーにてラン
コース内を左折交差点まで送られて再スタート(10:07:36)が出来ました。ホット
してピッチを上げて走る、孤独なランナーとなり不安でコースミスが甦り混乱と完
走したい気持ちとが入乱れて黙々と走り続けて折返しの発電所7.6mil(28.3Km)12
:58:29(65:29OVER)より暗闇のランコースをゴールまで簸たすら走り続けてやっ
とフィニッシュ42.2KmRUNGOAL(14:24:44)目標の14:00:00を24:44OVERしたが怪
我もせず無事に完走出来ました。バンザイVVVVVV完走メダル、キャっプ、ボランテ
ィアのアロママッサージとピザ、ケーキ、ドリンク等サービスされホテルのシャワ
ーにて汗流し終え、制限時間深夜24時に最終ランナーを迎えるためフィニッシャ
ーゲートに行き、多数の観客が応援されてそれは表現できない感動のシーンでした。
10/12ケァホービーチ散策 アワードパーティ 10/ 13キラウェア火山観光
10/14-15日本に帰国
SWIM (3.8Km) 1: 49: 29 TOTAL(226.2Km)TIME 14: 24: 44
BIKE (180.2Km) 7: 24: 39 Age60-64 23/38
RUN(42.2Km) 4: 47: 48 TOTAL.RANK 1480/1736
投稿第三一号
FORD IRONMAN CHAMPIONSHIP 2008 AT KONA Oct.11,2008!
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2008年10月31日 準会員 松本 充氏 |
10月11日(土)
レース当日、午前3時半起床後、赤飯をしっかり食べて4時半コンド出発。Body No.を
書いてもらい、ドリンクや補給食、Bikeの最終チェック。ヘリコプターが飛び、音楽も乗
りが良くテンションが上がってきた。NBC TVのカメラも沢山取材している。
(2月全米放送予定)
Swim 2.4Mile(3.9km)
スイム・スーツに着替え、Gateをくぐり軽く泳ぐ、少し冷たいかな? 今年もSeal(Navy
特殊部隊)が落下傘降下。ビーチで合衆国家がアカペラで歌われ、6:45プロスタート
後スタート位置まで泳ぎ、前から4-5列目で立ち泳ぎしながらスタートを待ちます。横
の人にLast 1min.uteとか話してるといきなり大砲の音がしてスタート、1700人同時ス
タート。相変わらずすごいバトルだ。何回も外人の太い腕で頭にパンチをくらう。いくら
泳いでも集団の密集度が高い、スタートダッシュで過呼吸気味ゆえ少しスピード落とし
心拍を落とす。1kmくらいで回りも落ち着いてきた。前のほうからスタートしたおかげか
?自分を抜かして行く速いペースの人の後ろに付いて泳ぐ。復路は潮の流れが変わ
ったか?余り進まない。自分では1:10前半か?と思ったが意外と時間がかかっていた。
1:15:54 Age 20/59 Swim-Bike Tr1 5:35
Bike 112mile(180.2KM)
ノースリーブジャージに着替えてBike Transitionへ走る。Bikeに乗ると結構足は軽い。
今日は行けるかも??最初の折り返しまではKonaの町を走ります。きつい登り坂の
パラニ・ロードは凄い声援でつい頑張ってしまう。QK HIGHWAYを北進,
いきなりチェ
ーンがトップギャー外に落ちた。止まってなんとか直す。追い風で40km以上出ている。
良い感じだ40mile地点のワイコロア・リゾートで5:30ペース。ここから横風が強くなって
きた。港の左折で5:40ペースだんだん辛くなってきた。最北Hawiの折り返しまでの登
りと風で体力を奪われていく。周りではドラフテイング・ペナルティーを厳しく取られて
る。(前後7m以上空けて走らないと15秒でペナルテイー、2回で失格)
Pro選手が折り返して来る。Topは白装束Juhanson。優勝候補Normanは3番手?河
原proに激をいれる。女子は前年度の覇者Chrissieがダントツ。折り返しに近づくにつ
れ斜度が強く風も強くなっていきエアロヘルメットの後ろが風に持って行かれる。へろ
へろになりながら折り返し、下り坂で54x12のギャーで駆け抜ける。Bikeの空力が良
いせいか一生懸命漕いでいる人を足を止めたエアロポジションで抜いていける。港に
近づくにつれ向かい風に変わってきた。港を右折したら強風の向かい風、下りでも漕
がないと前に進まない。延々と見える上り坂がこれでもかと苦しめる。ワイコロア・リゾ
ート付近ではBeerを飲みながら”KEEP GONG” “GOOD JOB”と声援してくれる。前
方に友人発見、少しふらふらして苦しそうだ!”一緒に行こう!“と声をかけ自分を奮
い立たせる。DHポジションで淡々と踏みバイクゴール。きつかったが後半も集中して
乗れた。
6:14:14:09 Age 26/59 Tr.2 6:06
RUN 26.2mile(42.2KM)
Bikeで消耗したせいか?ランに行きたくないと初めて思ったが、走り始めたら何とか
走れる。最初の折り返しのケアホーまでのAlii Dr.は応援する人も多い、Kona在住の
友人は何とハローウインのパンプキンの格好で応援。友人や奥さんの声援を受けな
がら南に走る。先ほど抜いた友人に“有難う”と声をかけられ抜かれる。足取りは軽そ
うだ。しかし暑い、1.6kmごとのAid(給水所)で走りながら冷水に付けたスポンジを3−
4つウェァーの中に入れ、水を二つもらい飲み残りを頭にかけ、氷をウェァーやパンツ
の中に入れ、ジェルなどを貰うなど忙しい。1kmも走るとウェァーも乾き体が火照って
くる。日本人がAidで止まっていた。苦しそうだ脱水か?ケアホーを折りかえしKonaの
町中を抜け、激坂のパラニ・ロードを上る。応援の人が多く、路面に日本語で応援メッ
セージが書かれている。K.Q.HIGHWAYに出ると折り返して来たプロやAgeとすれ違う。
日本プロも集中の走りだ。
午後4時過ぎると気温の下がってきたQK HIGHWAYをひたすら走る。最後の折り返し
のNatural Energy Lab.はまだ明るく折り返し地点近くで友人とすれ違う、苦しそうだ。
折り返しで預けてあったSpecial Foodsを貰い飲む。NELの出口の電光掲示板に”No.
326 M.Matsunmoto Keep going”と電飾が照らし出される。35km地点で友人とすれ違
いハイタッチ、Kona手前の上り坂が辛い。パラニ・ロードを下ると”Good job”You are
an Ironman”などと声援が凄く、Alii Dr.に出てラスト500mは凄い観客だ。子供たちが
フェンスから乗り出して手にハイタッチしながらゴール! 思わず万歳!辛かった!
Run:
4:21:18
総合 12:03:02 Age (55-59) 21/59 総合 1134/1736
今年もシーズンが終わりました。来年のKailuaの海に帰ってこれるように切磋
琢磨します。
投稿第三十号
家族と参加したアイアンマンハワイ!
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2008年10月28日 準会員 堀野 正明氏 |
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2008年10月27日 正会員 山本 伸子氏 |
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2008年10月24日 正会員 松田 喜美子氏 |
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2008年9月18日 正会員 石井 英機氏 |
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2008年9月7日 チームブレイブ 監督:八尾 彰一氏 |
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2008年8月15日 正会員 宗政 義仁氏 |
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2008年8月2日 正会員 安喜 保氏 |
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2008年8月1日 正会員 宗政 義仁氏 |
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2008年12月29日 準会員 小原 工氏 |
寒い冬真っ只中ですがみなさん元気にトレーニングされていますか?こちら米子は
何度か雪が降り大山はきれいな雪化粧。今はだいぶ解けてしまいましたが見てい
るだけで心が安らぎ気持ちが癒されます!天気の良い日にバイクに乗れば空気が
おいしくα波を感じながら景色を楽しむことができます。ココ最近は昔練習していた
大山周辺の秘密の?コースを久々にバイクではしりに行き、トライアスロンを始めた
頃のことを思い出しています。あの頃は私のトライアスロンの師匠たちに連れられ
て何も考えずにただひたすらペダルを回していたけど、米子は本当に自然環境に
恵まれた所だと改めて感じています。子供を育てるにもスポーツの練習をするにも
ここの生活環境は抜群です。この自然をうまく有効利用すれば強い選手が必ず育
つはずです。自分はここで強くなれたのだから!
さて、平成20年もあっという間に終わろうとしていますね。みなさんはどんな年だっ
たでしょうか?私の方は今年もいろいろな経験をした年になりました。恒例だった
宮古島合宿、篠山マラソンで失速したこと、チームの突然の廃部、それを乗り越え
北京オリンピックまでチーム全員でがんばったこと、米子へ活動拠点を移したくさん
のイベントに参加したことなどなどいろいろな変化を体験した年となりました。今ま
でどんなときでもどんなことが起ころうとも前向きに物事を捉えられるようになった
のも、トライアスロンという競技を続けてきてたくさんのことを学んできたからです。
いつも私の周りには明るく前向きな人達が多かったのも大きかったでしょう。これ
からもその気持ちを忘れることなく挑戦していきます。
●ライフセービングベーシック講習会体験
「今しかできないことを一生懸命やる」これがこの11月の私の課題でした。その
ひとつの挑戦としてまずはベーシックの資格を取るため5日間の講習と筆記、実技
試験を受けました。レースでいつも泳ぐ皆生の海に恩返しをしたいという気持ちと、
水辺の安全を守ることに役にたちたいと思っていたからです。あるトライアスリート
が「人の役に立つため、人を守るために」と立ち上げた皆生ライフセービングク
ラブの存在も大きかったですね。私は生まれ変わったら「海猿」になります。映画の
影響が大きいかも知れないですが、まさに海を守る男の仕事ですよね。現実はあ
んなにかっこいいものではないと本当の海猿の方に聞いていますが、それでも生
まれ変わったら試験を受けて海上保安庁に入ることに決めています。これまじです!
話はとびましたが、実際講習会を受けてみていろいろな知識と技術を身につけるこ
とができました。午前中は教本に沿ってライフセービング概論や心掛け、海の知識、
サーフパトロール、レスキューなどの知識を学び、午後から11月の海に実際に入り
(少し寒かったですが・・・)、技術を学ぶというもの。知っているつもりが、分かって
ないこと、できるつもりが実際できないことが多く、やはり日々の勉強とトレーニン
グが必要なのはなんでも同じでした。特にサーフボードを使ってのレスキューは一
人で操作するにはなんともなくても、溺者を乗せてパドリングしながら操作するの
はなかなか思うようにいかず、普段からのトレーニングが必要と強く思いました。
オーストラリアなどのライフセーバーが走っても泳いでもボードに乗っても速い訳が
良く分かりましたね。私も本物のライフセーバーを目指したいと思いました。でも、ラ
イフセービングで一番大事なことは人命救助をすることではなく事故を未然に防止
することなのです。ライフセーバーになることはトライアスロンにも役立ち、トライア
スロンはライフセービングにも役立つのではないかと思います。今回受講したタイ
人の中にトライアスリートは3人いました。皆さんも自分をひとつ高めるため挑戦して
みてはいかがでしょう。
●ハワイトライアスロンin湯梨浜(ゆりはま)大会
鳥取県初のオリンピックディスタンスの大会が来年5月24日に開催されることが決
定。ここは旧羽合(はわい)町と二つの町が合併した町で、その名のとおり温泉と
梨と浜(海岸)があるのが特色です。これまで毎年、ショートトライアスロンinハワイ
という記録会を鳥取県協会がやっていたのですが、これから湯梨浜町の一大イベ
ントとして行われることになりました。この大会は県中部の自然豊かな東郷池(湖
のような)を舞台にそのまわりを使ってのコース設定がされています。先日コース
試走をかねてのバイク+ランを地元トライアスリートの石川さん(家がコース上にあ
る)に案内してもらい走ってきました。バイクはスタートしてすぐ小さな峠(1.5キロほ
ど)を上り、それを下るとあとはほとんどフラットな湖畔をはしるスピードコースで1周
13.5キロを3周回するもの。ランはその周回を約1周しコース上にある燕趙園(えん
ちょうえん)という中国庭園の前広場がゴール。走った感想としては湖畔を走るの
でとにかく気持ちがいいのと峠の頂上の景色が最高!でした。スイム会場とトラン
ジットエリアはあやめ池スポーツセンターというトレーニング施設と体育館、カヌー
の練習場になっている場所で公園も隣接しています。コース上にはいくつかの公
園と羽合(はわい)温泉などの宿泊施設もたくさんあり家族で来ても楽しめると思い
ます。来シーズン前半のレースにみなさんいかがでしょうか。中国ブロックの国体
予選会と学生選手権の西日本予選もかねて行われるので盛り上がること、楽しめ
ること間違い梨(ナシ)です。スイムコース、大会の詳細の情報はまた分かり次第
お伝えしていきますね。
★今年からではありますがTAKUMI便りを読んでいただきありがとうございました。
来年からは選手活動とともに新たな指導活動の場も広げていきます。来年もよろ
しくお願いいたします。みなさん良いお年をお迎えください!!!
投稿第二二号−4 2008年11月22日
みなさんこんにちは。今週から大変冷え込んできましたがお元気でお過ごし
でしょうか。JICのみなさんのご活躍はホームページで見ております。
ハワイ全員完走おめでとうございました。私もまたハワイに行けるよう精進
します。
さて、私の方は10月より地元鳥取県米子市へ活動拠点を移し、来シーズン
からの選手活動・指導活動に向けて計画、準備を進めております。
こちらは、昨日から雪が降り始め、今日の大山はすっかり真っ白な雪化粧を
して冬本番といったところですね。もうスキーができそうですよ。この冬は
寒くなるのかなー。
10月は米子を中心にたくさんのスポーツ行事が行われ参加してきました。
5日は大助・花子の健康ウォーク大会でMTBに乗り誘導係、12日は障害
者・児によるチャレンジアクアスロン皆生大会の選手のパートナー役(この
詳細は鉄人皆生通信に掲載、19日は第1回の大山MTB3時間耐久レース
にチーム(車選手、井藤選手、富田選手)4人で参加。26日は日本選手権
で田山、杉本選手のサポートなど毎週日曜は何かあるといった感じでした。
そして、11月もそれが続いています。1、2日と15、16日と22日の
5日間はライフセービングの講習会に参加。水辺の安全を確保するための心
掛け、海の知識、サーフレスキュー、パトロール、蘇生法、応急手当などの
勉強をし、レスキューの実技なども実際海に入ってサーフボードに乗ってや
っています。明後日の22日には検定試験があるのですが、この分だと雪の
中、寒中水泳のときのような中で海に入って試験を受けなければなりません。
まぁ毎年、寒中水泳やっているから大丈夫かと安易に考えていますが、一般
の人達は大変でしょう!でもこれに受かれば晴れてベーシックライフセーバ
ーとなるわけです。22日はがんばります!!
そんな寒い米子ですが、10月は快晴の日が多く18日には家族で大山登山
に行ってきました。本当は毎年8月、父親の命日の前に登っていたのですが、
今年はオリンピックがあったので登れずにいました。でもこの空を毎日、目
の前にして「明日登ろう!」と急に決め66歳の母と3歳の娘を背負って行
ってきたのがこの写真です。12年半ぶりに米子に帰ったわけですが、やは
り田舎は自然が多く最高です。海あり山ありこの自然を有効に利用して、子
供たちをのびのびと育て、自分の経験を生かして精神力の強い選手を育てたい
と思います。皆さんも是非、米子へおいで下さい。それではまた!
チャレンジアクアスロン皆生大会
http://www.kaike-triathlon.com/cgi-bin/topic/v.cgi?id=316
投稿第二二号−3 2008年9月11日
JICのみなさんお元気にお過ごしのことと存じ上げます。このたび北京オ
リンピック出場に際しましてはたくさんのご支援とご声援を承り誠にありが
とうございました。たくさんの方々のお陰で3度目のオリンピックの舞台を
経験でき、チーム員一同本当に感謝しております。大変遅くなってしまいま
したがご報告させていただきます。
オリンピックで訪れた北京の空は昨年まで訪れた時と違って青空で空気も透
き通っていた。車の使用制限、工場の営業停止だけでこんなに変わるものな
のか?やはり本当にミサイルを空に撃ち込んでいたようで、トライアスロン
会場も昨年とは景色が違って見えた。
レースの方はみなさんテレビで観戦していただいたとおり女子は過去最高の
成績を収め、現場で応援していた私も手に汗握り興奮して応援していた。素
晴らしかったと思う!翌日の男子もこの勢いにのってと期待していたが、山
本、田山両選手とも思ったようなレース運びが出来ず残念な結果となった。
田山とはこの5年同じチームで先輩選手としてコーチとして一緒に活動して
きたが、羨ましいくらいすばらしい身体能力の持ち主であることは間違いな
い。それを本番で生かすにはどうしたらいいかを考えながら、アテネを終え
てからやってきた。トライアスロンはどんなに3種目の力があっても「強い
精神力」がなければ世界では通用しない。そこで戦うためにはどんな状況
でも安定して自分の力を出し切れることが必要だ。そのことは今回の激しい
トップ争いを観た方ならご理解いただけるのではないか。ランに移ってから
のサバイバルレース。シドニーで金メダルを取ったウイットフィールド選手
の後方からのスパートは誰をも痺れさせたのでは・・・と思う。レースは自
分の思い通りにならないことばかり。それを伝え切れなかった私はコーチと
して力不足だったと痛感し反省している。もちろん一番悔しいのは本番を戦
った田山本人で、これまでを振り返り、考え、悩んでいるのではないかと思
う。これを乗り越え近い将来、「このオリンピックの悔しい経験があった
から強くなれた」と思うことができれば苦い経験は良い経験に変わる。そ
うなるようそれぞれが努力していかなければいけないと思う。
最後になりますが、元チームが廃部になった中、なに不十なくオリンピック
に向けて活動できたことを報告するとともに皆さんに本当に感謝申し上げま
す。ありがとうございました。これからまたチーム員それぞれ新たな目標に
向けて精進してまいりますので、これからも応援よろしくお願いいたします。
(つづく)
投稿第二二号−2 2008年8月11日
JICのみなさんこんにちは。暑い日が続いておりますがいかがお過ごしで
しょうか?私の方はオリンピックに向けた最終の篠山合宿を終え、北京に行
く準備に取りかかっているところです。田山はここまで順調にトレーニング
をこなしており、あとは疲労を抜きながら心身を一致させていくことが大事
になると思います。最高の状態でレースに望めるようサポートしていきます。
7月13日のジャパンカップ舞洲大会ではたくさんの応援をいただきありがと
うございました。1年ぶりのレースは楽しいというより、スタートした瞬間
からずっと苦しかったですが、41歳のおやじへの声援が多く、最後まであき
らめず、何とかゴールにたどり着くことができました。13人中5位はまずま
ずだったと思います。
●第28回全日本トライアスロン皆生大会
今年の大会には過去最高の814名の選手が参加し、久しぶりの灼熱の中、熱
いレースが繰り広げられました。私は今回スタッフとしてできる限りのお手
伝いをしようと考え、バイクラック設営、コース下見案内(初参加選手・海
外選手)、ランのエイドでのボランティアやケーブルテレビの生放送の解説
などなどをさせてもらい大変良い経験ができました。特にエイドに入っての
ボランティアは初めてで、熱中してやっていた息子の北斗にはすごく良い経
験になったのではないかと思います。
男子は圧倒的な強さで藤原さんが優勝。2位の選手に24分の差は過去最高の
差ではないかと思います。もう少し他の選手にはがんばってもらいたかった
ですね。女子も堀陽子選手が他を寄せ付けず優勝。旦那さんの直之選手も10
位と健闘。44歳にして進化している藤原さんには見習う点が多々あります。
あの暑さの中、なぜあのように強いのか他の選手は考えなければならないで
しょう。
今回暑さも影響し150人以上の選手が途中リタイア。宮古島から参加された
下地さんはマラソンのとき私に「宮古島より暑いです!」とつぶやいてい
ました。それだけ過酷な条件だったということ。制限時間に間に合わなかっ
た方、勇気あるリタイアをした方、トラブルのあった方いろいろだと思いま
すが、皆さんのまたの挑戦を待っています。私もできれば来年選手として藤
原さんにチャレンジします!
それではJICのみなさんくれぐれもお体に気をつけて。また報告いたします。
投稿第二二号−1 2008年7月26日
JICのみなさん、今年のトライアスロンシーズン、トレーニングにレース、
さまざまな活動に励まれていると存じます。そして、日頃より元チームテイ
ケイのメンバーをご支援、ご声援いただき誠にありがとうございます。事務
局の宗政さんをはじめ、たくさんの方々に激励していただき本当にチーム員
一同心より感謝申し上げます。
これまで、私も一度みなさんに活動報告をしなければと思っていながら、な
かなか実行できずにおりましたが、これから少しずつでも報告させていただ
けたらと思います。
我々チームブレイブのメンバーはたくさんの方々のご支援のお陰で、オリン
ピックまでこれまでと変わらずの活動が出来ております。先日は北海道合宿
に12日間、ジャパンカップ大阪舞洲大会5名出場、現在は長野の志賀高原で
9日間の高地合宿に入っています。北京オリンピックに向けて田山寛豪は最
高のトレーニングを積めることが出来ていることをご報告しておきます。
●北海道士別合宿
6月30日から7月11日までの日程で北海道の士別に行ってきました。ここは旭
川から北へ50キロほどいったところで、合宿の里といわれるほど受け入れ態
勢と環境が整う場所で昔から陸上の実業団チームが夏になるとたくさんやっ
てきます。私たちトライアスロンチームが行くようになったのは、2000年の
シドニーオリンピックの年、夏の暑い時期にどこか3種目の練習できる良い
場所が無いかと、その当時のスタッフのみなさんが探し当てた場所でした。
水、空気、食事がおいしく、果てしなくまっすぐ続く道に惚れてしまい、そ
れから毎年夏になると合宿で訪れています。
今回もマラソン日本代表の尾形選手、佐藤選手が走っているのを見かけまし
た。トライアスロンからは田山の他に、山本選手(トヨタ車体)井出選手(
トーシンパートナーズ・チームケンズ)のオリンピアンが同じ場所でトレー
ニングに励みました。
今回の合宿の最大のテーマはランでのレースペース(1キロ3分)を楽に走れ
る感覚を磨くことで、レースペースよりも速いペースで反復することにより
感覚を研ぎ澄ましていきました。今年の士別はいつにも増して暑かったこと
が影響し、田山は合宿前半くじけそうになりながらも、必死で監督の立てた
メニューを消化していき、後半には設定タイムもクリアーできました。私は
というと、スイム、バイクはトレーニングパートナーとしてほぼ田山と同じ
メニューをこなし、ランは遅めのペース走のときだけ田山をひっぱり、給水、
声かけなどできることを精一杯やってきました。
この12日間は田山にとってきつかったものの、マイナスイオンを浴びながら
最高の合宿になったと思います。これを次の段階の合宿に繋げていきます。
投稿第二一号
2008 Ironman Japan Jigsaw puzzle!
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2008年7月2日 MIGHTY TRIATHLON CLUB 内藤 聡之助氏 |
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2008年6月7日 正会員 門田 勝氏 |
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2008年4月26日 アトリエ ドゥ キャファ 辻本 誠氏 |
3度目の正直というべきしょうか、今度こそ本当に開催されました。
直前まで「ホントにやるの?」という疑問がつきまとっていましたが、時節はずれの台
風が来るというおまけまで付いて、レース当日の朝を迎えるまで気をもまされました。
大会の詳細は参加された方からの投稿にお任せするとして、スタッフとして参加した私
が感じたことを書いてみます。
○ 交通規制
第一回のIM ASIA(済州)を思い出すような完全規制が行われ、一般道、高速道を完全封
鎖して行われました。そのため対向車線や支線で大渋滞が発生、甚大な被害を伴うこと
になりました。
17日、18日は台風の影響でフェリーが運航を中止したために、野菜や果物を運ぶトラッ
クが荷物を積んだまま路上に並ぶ姿を見ましたが、それに引き続き大会の規制で道路を
封鎖したため、野菜や果物を積んだ車が炎天下にさらされることになりました。かなり
の被害が出ているものと思われます。
また交通規制について事前の予告がなく、当日に突然規制したことも災いしたようです。
私が聞いた所によると、役所へは抗議のメールや電話が殺到したようです。
コースを変更する、規制の方法を変えるなど、かなり思い切った改善が為されない限り、
2回目の開催は無理なのではないでしょうか。
中国で行われたアメリカ人によるアメリカの大、会路上で行われたボランティア活動(規
制やエイド、メディカルなど)以外は全て白人(何人かは知りませんが)の手で行われ
ていました。私の目には、アメリカ人が中国でやったアメリカの大会に見えました。
IM AMERIKA in CHINAです。会場ではアメリカ人が中国人を大声で叱りつける姿も見まし
た。これは悲しい出来事です。
○ 私の仕事
レース当日だけですが、私はメカニックサービスとして参加しました。いつもIM
Langkawi
でメカニックをされているZulailyさん(kijafaで修業したいと言っているAzmil君のお
父さんです)と同じ車でコースを回りました。英語が上手なので、私とのコミニケーシ
ョンはもちろん、選手とのコミニケーションは彼が中心にやってくれました。
運転手さんは地元の人(市役所の人らしい)で英語が全然駄目。通じたのは、「Go!、
Stop!、Slow!」これも身振りを交えてやっと通じるようになったのです。シンガポー
ルから来たメカニックが中国系だったので、すれちがう時や電話で中国語通訳をしても
らいました。しかし良く考えると、ここは中国です。次の大会までに私たちが中国語を
覚えてこようとZulailyさんと約束しました。
私たちは移動中はじっと座っているだけですが、運転手さんはマニュアルシフトの運転
しにくそうな車をずっと操っていた訳ですから大変なご苦労です。しかもわがままな私
たちの言うことを文句一つ言わずにずっと付きあってくれました。本当に有り難いと思
いました。
車はこの大会のスポンサーが提供してくれた新車のSUV。いわゆるピックアップバンです。
空気圧が高すぎるのか、タイヤが固いのか、はたまたサスペンションが固すぎるのか、
乗り心地は最悪。これに朝8時から夕方5時まで、延々9時間(ちょっと休憩しました
が)も乗っていました。しかも室内には内装から発生していると思われる化学物質の臭
気が鼻を刺します。昔の日本の車でも同じような匂いがしてたことを思い出しました。
スピードメーター(距離計)が止まってましたから、大会が終わったら新車で売るんだ
ろうなと勝手に想像しておりました。
メカニックとしては大きなトラブルもなく、タイヤ交換のお手伝いが主な仕事で、レー
ス後半はリタイヤした人をゴールまで搬送するのに追われました。車が5人乗りなので、
二人しか載せられません。載ったのは、メキシコ人、アメリカ人、韓国人、フランス人。
いつも5カ国の人が狭い車内でガヤガヤ喋ってました。運転手さんは聞いているだけで
したが。
○ ボランティア
会場内、コース上には大勢の学生ボランティアが動員されていました。不確かですが、
2,000人以上と聞きました。コースで活動していた人は長時間、多分水だけしか口にして
いなかったのではないかと思います。実は私たちも水しか口にすることは出来ませんで
した。私たちは動いている車の中でしたが、彼らはテントも傘もない直射日光の下での
長時間ボランティアは真に過酷だったに違いありません。
○ パク・ビュンフン
宮古島では二連覇しており、今年勝てば三連勝。しかし強豪の揃うチャイナへ行きたい、
しかも入賞すれば賞金を手にすることが出来る。パク・ビュンフンがチャイナを選択し
た理由はこんな所にあったようです。
レース前日、私はバイクのメンテナンスのために会場になっているSheratonホテルで彼
と会いましたが、肌艶がいつになく良くていかにも体調が良さそうでした。結果的に2
位という高順位でフィニッシュしましたが、スイムがもう少し速ければトップに肉薄し
たのではないかと残念です。一方、日本人エリートの姿を見かけませんでした。
(大会開催日:2008年4月20日)
投稿第十八号
08アイアンマン・チャイナ完走記!
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2008年4月26日 | |
正会員 | |
佐藤 文昭氏 |
投稿第十七号
08年アイアンマンオーストラリア大会参戦記!
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2008年4月25日 | |
正会員 | |
石井 英機氏 |
投稿第十六号
今年のレースに向けて!
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2008年3月29日 | |
準会員 | |
石田 義和氏 |
投稿第十五号
IMハワイ大会参加権利を獲得!
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2008年3月20日 | |
正会員 | |
滝 豊水氏 |
投稿第十四号
ニュージーランドアイアンマン!
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2008年3月18日 | |
正会員 | |
西村 詮幸氏 |
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2008年3月6日 | |
正会員 | |
三森 隆久氏 |
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2008年3月3日 | |
正会員 | |
汐元 登志夫氏 |
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2008年2月28日 | |
正会員 | |
山本 伸子氏 |
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2008年2月11日 | |
正会員 | |
神戸 嘉久氏 |
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2008年1月11日 | |
MIGHTY TRIATHLON CLUB | |
内藤 聡之助氏 |
あけましておめでとうございます。
大阪は池田市にあるアトリエ・ドゥ・キャファ主宰のメーリングリストの投稿を
きっかけに、宗政様から貴クラブHPへの投稿依頼を受けました。
トライアスロンだけにとどまらず、日々の生活のなかでスポーツを大いに楽しん
でおられます大先輩方のHPに、小生の駄文をご掲載いただくことはイササカ気
が引けますが、せっかくのご縁と割り切って投稿させていただきます。
欧米を中心に年々盛り上がりを見せている我らが憧れのIronman大会は、アジア
地区においてはさほど火がついてこないのか、ハタマタ政治力・財力で不利なの
か、長らく開催されてきたIM.Koreaが中止となり、日本や韓国、近隣アジアの選
手には非常に残念なニュースとなりました。 韓国では、
15-20年ほど前の日本
と同じような盛
り上がりを見せ始めてきている・・・と伺っておりましたので、
ご当地では日本以上に残念であろうと思います。
小生、今年の11月で45歳になります。
競泳は中学生から初めて28歳になるまでの約16年間続け、「長いことやったなぁ」
と感じておりましたが、トライアスロンの方はそれ上まわり、今年で18シーズ
ン目を迎えることになります。 結構飽きやすく、多趣味で、「極地で露天風呂
に入りながらオーロラを見たい!」 「自転車で世界3周旅行をしたい!」、「
日本百名居酒屋以上に酒肴料理を極めたい!」、「世界で親友100人作りたい!」
、「そのまえに英語を話せるようになりたい!(ならねば!)」・・・と、死ぬ
までにやりたいことが他にもたくさんある自分としては、よくもまぁこんなに長
く続いたもんだとひとり感心しております。
競技キャリアはベテランの部類に入ってきてはいるものの、実力は国内ショート
では「中の中級」、ロングでは「中の上級」といったところ。 元専門のスイム
は、最初の5-6年はどんなレースでもトップ集団で上がって来れましたが、い
まはバトルとパニック症候群がオソロシくて・・・というよりも、度重なる練習
ブランクですっかり「錨(いかり)」になってしまいました。カナヅチよりも重
たいです。初めの7年間は、もっぱら51.5kmとミドル・タイプ専門で、ロング、
アイアンマンといった超長距離レースは、自分向きではないと勝手に思い込んで、
ロケーション優先の宮古島大会以外は全く出場しませんでした。
そんな私に、ついに「IRONMAN」の世界に入らざるを得ない「人生を変えた一言」
を聞かされました。「51.5kmのレースや宮古島大会を何回完走しても、たとえ間
違って優勝したとしても、IRONMANを完走しない限りIRONMANにはなれないんだよ
」。忘れもしない1998年9月の佐渡大会。ITUロング世界選手権を兼ねて開催され
たこのレースで、結構満足のいく走りをし、ルク・ヴァン・リルデと一緒に写真
に納まって喜んでいたワタシは、IRONMAN
Championship出場を目指して日々努力
を重ねている地元の先輩アスリートに、ついに言われてしまいました。
トライアスリートであることを少なからず自負しているものにとって「IRONMAN
になること」は最大の目標であり、D.スコットは命、S.ティンリーが師匠の自分
にとって「ナイトー君は、IRONMANではないね」ということは、イコール「トラ
イアスリートではない!」といわれたも同然で、強烈なショックを覚えました。
それから更に10年。トライアスロンがこんなに長く続いている理由のひとつは、
この競技(という表現がしっくりきません。“イベント”のほうが合うでしょう
か?)をやっている人達が、殆ど一様におおらかで、野生的でアウトドア・自然
好き、ほかの競技の愛好者たちとは一味もふた味も違う、いい意味で「クセモノ」
であるところが大きいように思います。
海外でも国内でも、互いに「トライアスリート、もしくはその関係者」という理
由だけで、トップ選手もそれ以外の選手でも、初めて会ったその日から旧知の友
のように接することができる、接してもらえる、というのがとても魅力的で不思
議です。また、「完走者は、みな勝利者である」というアイアンマン黎明期の競
技精神が、いまもって世界中でもっとも大切にされている、という事実も中年(
中〜中下級?)アスリートの自分にとっては非常に大事な要素です。この一言を
唱えて、「自分もIRONMANの一員なんだ」と自覚しただけで、いつも体が熱くな
ってきます。それらに加え、個人的には「頑張ればできるはずの(と思っている)
目標が、なかなか達成できない」こと、「年齢相応で世界レベルの目標を目指し
て頑張っている」という、ちょっとナルシスティックな感じもしますが、そんな
ところも長く続いている理由のようです。
そして第1回の長崎IRONMAN出場、完走を経てその魅力にようやく目覚め(しっ
かし暑い熱いレースでしたスねー!)、その後も宮古島、佐渡A、第4回
I.M.
Japanとキャリアを重ね、ようやく40歳頃からKona行きを目標にしてもいいかな?
と思うようになりました。ハワイ出場の気持ちは、’05年の第1回Honu大会出
場(Konaで、Queen
K
Highwayを使って開催)で完全に覚醒しました。
「BigIslandがワシを呼んじょるわい!」と本気で思いました。
(感じた、という方が正しいでしょうか)
しかし、なにせそれまでもそれ以降も、旅を楽しむような感覚でトライアスロン
を続けてきましたゆえ、Hawaii大会出場権獲得の目標達成は、そう簡単なもので
はありません(当たり前ですが!)。友人知人でHawaii行きを決める人達のブロ
グを開いて、どんなトレーニングをしているのかと観てみると・・・とても常人
とは思えない、驚愕にして更に腰を抜かしてしまいそうな質・量です。自分が同
じトレーニングをしたら、二日と体が持たないでしょうね。
自分も、毎日の仕事や家族との生活の中で、体調を見ながら結構頑張っているつ
もりではありますが、彼・彼女らのようなトレーニングをこなせるレベルには、
まだまだそう簡単に届きそうにありません。今更ながらに、チャンピォンシップ
に出場するアイアンマンの身体/心態(?)を作り上げるには、それ相応の努力
と時間をかけて地道に積み重ねなければならないのだと気づくとき、あらためて
身が引き締まる思いにかられます。
また、そう思うとなお更のこと、単に「速い」だけでHawaii
出場権を獲得する
のではなく、それだけの努力を重ねてきたことに見合う人間的魅力を備えた選手
こそが、アイアンマンとしてそこに出ることを認められるのではないか、と思う
のです。 そして、自分もいつかそういう選手になりたいなぁ、と思わずにいら
れないのです。
I.M.KOREAは今年中止、4/20のCHINAには出場申し込みをすませていますがこ
ちらも希望者はまだ少なく、開催も危ういとのこと。 Ironmanは益々欧米化!?
しているようですね。まだ申し込みは済ませていませんが、今年はI.M.Japanに
出場するとしても、それ以降はいつまでも日本とその周辺のレースに固執せず、
¥と時間と体力(と、家族)の許す限り、まだ見ぬ魅力的な海外の様々なIRONMAN
の出場も検討したいと思います。今年は、そういう想いのスタートの年にしよう
と考えています。
今朝の松山市は、久しぶりに明るい空が見えます。
芦屋アスリートクラブと日本アイアンマンクラブの皆様にとって、今年が最高に
いい1年であり、これからも益々発展されることを祈っております。
今年もよろしくお願いいたします。