投稿第四七号
     
IM HAWAII & XTERRA WORLD CHAMPIONSHIP 参戦記

2009年11月11日
正会員
松田 喜美子

       今年はIM HAWAII (10/10 ) と XTERRA (10/25)のダブルレースになりました。
       IM HAWAIIは5回目ですが、XTERRAは初参戦です。

       私がXTERRAを始めたのは3年前に心室頻拍という不整脈で心臓をカテーテル手
       術したのがきっかけです。もうアイアンマンなど出来ないだろう。。。何か他に面白
       い競技はないか。。。そんな時に思いついたのが、以前からTJで紹介されていた
       XTERRA でした。

       アイアンマンと同じ3種目 SWIM  MTB TRAILRUN 距離はだいたいショートくら
       いこれなら手術した心臓もいけるでしょう!
       SWIMはアイアンマンと同じTRAIL RUNはトライアスロンの練習でもしていたしMTB
       。。。これがなかなか手に負えません

       インストラクターはMTBレースに参戦している息子です。59歳から始めたMTBは
       頭で理解できても身体が恐怖心で思うようにいきません。何度、谷や崖から落ち
       たことか。。。

       XTERRA WORLD CHAMPIONSHIPの参加権利は8/29に開催された丸沼大会で
       GET!マレーシアでGETしたアイアンマンとのダブルレースになりました。

       今年は過去4回のアイアンマンとは違うぞと意気込んでいたのが裏目に出て出発
       の前の金曜日にギックリ腰をしてしまいそのままハワイへ。ハワイでも試合の前々
       日の朝スイム練習時にちょっとかがんだひょうしにまたギックリもう最悪です。
       でもここまできたらもうやるしかありません。そんなわけで去年より1分だけ速い結
       果でした。

       XTERRA レースまでの2週間は朝食前に7〜8キロ、夕食前に5〜6キロのランしか
       せず、昼間はレンタカーにて物見遊山。毎日青い海、青い空、こんなにのんびりし
       たのは初めてです。

       XTERRAでは出発前にコンタクトがあったXTERRA-TVに出演しました。英語での
       質疑応答、顔が引きつりそう!来年2月頃にアメリカで放映されるようです、多分
       アイアンマンと同じようにDVD発売するのでしょう。

       レースはと言うとこんなバイクコース経験したことありません。パフパフの土の上に
       ゴロゴロの石。こけたら怪我するしかありません。昨年のチャンピオンは試走で怪
       我して19針縫い出場不可。日本から参加の高橋君も左側面擦過傷に左手親指骨
       折、それでもギプスをテーピングに換えて出場。私も試走でころんで怪我。

       SWIMはビーチランを間にいれた0.75キロを2周回。BIKEは誰もが押して上がるハ
       ートブレイクヒルがあるチョウハードコースの30キロ。RUNはバイクコースのような
       山を走り、ビーチランあり、海辺の岩場あり、かなりハードな11キロ。心臓はいつも
       パクパク。バイクの途中で降りたバイクに倒れこんでいる男性がいたので「大丈夫
       ?」と聞くと、彼は「息が出来ない。。。」と言ってました。

       60代女子は4人、私以外はアメリカ人、みんな強そう!スイムアップし、バイクの登
       りで1人抜き、ランで1人抜き2位を確信して走りました。ところがゴールしてびっくり
       !1位でした。今年Wエントリーは14人、そのうち女子は3人、両方の完走者は11人
       だったそうです。

        60+, Kimiko Matsuda (Osaka, Japan) 5:55:00 - Kimiko Matsuda was one of
        only three females to participate in the XTERRA Double competition. Just
        two weeks after finishing the Ironman World Championship, Kimiko traveled
        to Maui to dominate the XTERRA World Championship. Working as a part-
        time researcher when she’s not training, Kimiko very humbly said “both
        events were very hard and able to complete.
        これはXTERRA のhpに紹介されたエイジ優勝者の言葉です。

       W−RACE の完走者にはTシャツがありWを完走すると15000キロカロリー消費する
       と書かれてました。W-RACEの参加において間が2週間はちょっと長いです。
       日本アイアンマンクラブの皆さん、楽しい団欒をありがとうございました



投稿第四六号
        
09年アイアンマン世界選手権大会完走記

2009年10月26日
正会員
石井 英機

       31回目になる首記の大会が10月10日ハワイ島コナで世界各国からプロとエイジ
       グルーパー含めて1700余名が参加して行われました。日本選手は70名と例年よ
       りやや少なかったですが74歳のK選手が1位、75歳JICメンバーE選手が3位に入
       賞し大いに気を吐いてくれました。

       私は4回目でしたが14時間31分47秒でなんとか完走でき総合で完走者1650名
       中1487位、年代別30名中17位とまずまずの成績でした。昨年12月西オーストラ
       リア大会で右脚のアキレス腱を痛めやや慢性化してしまいましたがカイロプラクテイ
       ックの先生や整形外科の理学療法士Oさんによるストレッチやマッサージの効果に
       より大した痛みもなく走りきることができ大変ありがたかったです。

       よく訓練されたスタッフ、ボラや熱烈に応援してくれた観客の皆さんに接することが
       できたこと、JIC(日本アイアンマンクラブ)メンバーはじめ多くの日本選手と楽しく交
       歓ができたこと、かみさん、娘、小1の孫娘、2歳の孫息子の応援にこたえることが
       できたことなど大変成果のあった大会でした。

       
10月7日(水) 静岡→成田→ ハワイ島コナ 晴れ
       14時20分自宅発 バス、新幹線、総武線を乗り継ぎ成田空港に18時40分着。
       早く羽田発が実現してほしいです。途中三島駅で娘家族と合流。空港でいつも送っ
       ていただく稲毛の強豪T氏とビールを飲みながら歓談。21時25分離陸、所要時間
       は6時間、時差18時間のハワイ島へ7日(水)9時25分着。孫はぐずったりせずえら
       かったです。入国審査は厳重、左右の5本の指と虹彩をチェックするため遅々として
       いましたが子供ずれのため特別ゲートに導かれて早々にチェックアウトできました。
       外に出ると日は強いですが乾燥しており過ごし易い。ツアーコンのM氏が迎えてく
       れました。車窓からは溶岩と赤色のブーゲンビリアがたまに見えるだけで相変わら
       ず殺風景です。20分位でホテル着。ここから会場には数分と近く、キッチン付の広
       々とした部屋、プール付き、ベランダから真下にアリードライブや当日スイムスタート
       が見えますし大変結構なホテルです。

       選手登録では妙齢のご夫人達が笑顔で愛想よく応対してくれます。レースNo.はプ
       ロに続き高齢者から若手の順に付けられておりレース中どのエージの選手か分か
       るようになっています。パスポート持参、ホテル名の記入や誓約書へサインをして
       OKです。 次は義務付けされている日本人向け競技説明会です。JICメンバーに
       ようやく会えました。いつもの日本語堪能のウイットニーさんが説明してくれました。
       バイクを組み立てアリードライブ先のホワイトサンドまで試走。きれいな海と椰子の
       並木が続きます。家族で近くのスーパーに行きビール、ジュース、パン、バターや
       野菜などを仕入れました。第一日目の夕食は我々の部屋で楽しくとりました。ビー
       ルは低アルコールのためすいすい入ってしまいます。

       
10月8日(木)  ハワイ島コナ 晴れ
       6時30分起床。爆睡し時差ぼけはなくなりました。7時スイム会場へ。大勢の選手
       が集まっていました。水温はちょうどいい加減、波やうねり少なし。約500m先のヨ
       ットをめざしました。熱帯魚が多く見られてかわいらしい。亀には会えず。約20分で
       ヨットに着き、縁につかまりながらコーヒーをいただきました。行き帰りで選手同士
       ぶつかることなく上手によけておりさすがです。朝食後孫達はホテルのプールでお
       おはしゃぎです。バイクのチェックをツアーのメカニックO氏にお願いしました。いつ
       もながらありがたいです。昼食はホテルのレストランで海を見ながらビーフのテリヤ
       キ、ロコモコ(ポーク)とハンバーグを皆で食べました。ご飯だけはいまいちでした。

       家族はコーヒー園へ、自分はアイアンマン村をぶらつき帰りに露店で買った本場の
       ドラゴンフルーツ、マンゴーやパパイヤはみずみずしく甘くて家族に大好評でした。
       17時半カーボ会場へ、E氏とN氏が招待席後の最前部に30席ほど確保してくれて
       いました。おかげでJICメンバー含め多くの日本選手が同席することができました。
       アルコールなしで残念でしたが食事をしながらおしゃべりをします。M夫人はこの後
       Xテラにチャレンジとのこと皆さん大変驚きました。食事後、現地人のあでやかなフ
       ラダンス、松明を振り回したスリリングなダンスで我々を歓迎してくれました。いつも
       の司会者のリードでスポンサーの紹介、5000人余のボランテイアのリーダーの紹
       介や最年長男子80歳と女子79歳(シスターマドンナブダー)のスピーチがありまし
       た。20時20分散会。

       
10月9日(木)  ハワイ島コナ 晴れ
       
7時スイム会場へ。M夫人に会えヨットまで一緒に行くことにしました。ちょうど良い
       ペースでした。コーヒーも飲めました。波、うねり少々、持参した温度計でなぎさで
       は27℃でした。軽くバイクの試走。昼食後いよいよバイクとギアの預託です。バイ
       クのチェックは全くなし。ボラのご夫人が付き添ってくれて自分でバイクラックとバイ
       クギアとランギアラックへ置きます。家族はいるかのショーへ。アリードライブのフイ
       ニッシュゲート付近では準備が進み雰囲気が盛り上がってきました。夕食はスパゲ
       ッテイとフルーツ、今晩だけはアルコール抜き。20時頃就寝。

       
10月10日(土)  ハワイ島コナ レースデイ 晴れ
       3時起床。よく眠れなかったがやむをえません。赤飯、味噌汁などかみさんがつくっ
       てくれありがたい。4時半会場へ行き今回は両腕だけにスタンプでナンバーリング
       です。バイクの所に行きエアを入れ赤飯、ゆべし、羊羹、あめをセットします。一度ホ
       テルへ戻り6時スイムスーツを着て会場へ。男性シンガーが国歌をおごそかに歌い
       ます。約60ヤード(54m)沖で立ち泳ぎしていたプロが6時45分号砲一発しぶきを
       あげてスタートしてゆきました。

       スイム:1°46′59″(07年比▼6′47″) 年代別24位/34人
       我々もスタート地点へ泳ぎ始めました。水温やや冷たく10分ほどの立ち泳ぎをする
       のは嫌なものです。後の方に位置しました。7時再び号砲が鳴り1700余人が一斉
       にスタート。長い一日が始まりました。日本や韓国などと違い身体に触れることは殆
       んどありません。海底からフロッグマンが見守ってくれています。波やうねりは一時
       ありましたが全体的に穏やかといってよいでしょう。海底は岩が見えなくなるとダー
       クブルーに変わり何も見えず気味が悪くなります。ドラテイングを意識して右手前方
       の選手に添って泳ぎました。折り返し地点では既に54分でした。以前は停泊してい
       たヨットから観客が応援してくれました。後半は選手の姿はぱらぱらになってしまい
       ました。サーフボードに乗っているスタッフにしばしば左へ行くように指導されてしま
       いました。ブイを見ながら泳いでいるつもりですがどうも前半のブイと間違えてしまっ
       たようです。フイニッシュ近くでは大勢のサーフアーがコースの両側に並んでくれて
       いて真っ直ぐ泳ぐことができました。やれやれの上陸です。ボラが支えてくれてあり
       がたかったです。

       バイク:7°47′37″(同上△17′02″) 年代別29位/33人
       
スタート直後はパラニ道路の急坂を立ちこぎします。まだお客さんが両側から声援
       を送ってくれます。クアキニ高速道路を往復、次々に抜かれます。戻ってメインコー
       スのクイーンK高速道路を折り返しのハビ(60マイル96Km地点標高646フイート1
       94m)まで走ります。道の右側(東)はマウナケア山(4200m)からのびるゆるやか
       な丘陵、西側は海で周囲は溶岩と低い潅木ばかりで風をさえぎるものがありませ
       ん。道路の舗装は良好、右側にバイクレーンが殆ど設けられておりバイクの市民権
       が確立されています。車は規制されており慣れない右側交通でも安心できます。気
       がつくと風が吹いてきました。それでも2年前に比べて吹き飛ばされるような強さで
       はありません。バイクが先導してトッププロが折り返してきました。格好いいですね。
       50Km位でバイクに乗ったカメラマンからシスターが来るとコールがありました。なん
       と見慣れた79歳の彼女が追い越していきました。カメラマンに「twin shot please」と
       言いましたが断られてしまいました。ドラフテイングになるからでしょう。やがて抜き
       返しはしました。チェーンはずれを直している時に女性選手から「Are you OK?」の
       声かけがあってうれしかったです。パンクしている選手に自分からも声かけをすると
       感謝の返事がありました。持参した赤飯のむすび、ゆべし、羊羹、あめをまんべんな
       く食べました。10マイル毎のエイドステーションでは学生さん達がかいがいしく水、
       ゲータレード、バナナ、パワーバーなどを供給してくれます。水をもらって頭、首筋や
       ひざなどにかけました。ハビまでの上りは長いです。戻ってくる選手から「Almost
       thereもうすぐだ」の声かけがうれしいです。折り返すと長い急な下りです。転倒しな
       いよう慎重に下りました。後半も気がつくと向かい風です。どうもコナウインドは遅い
       選手には往復向かい風になるようです。エナジラボ近くでは既に大勢の選手が走っ
       ています。辛うじて8時間を切ってバイクフイニッシュできました。

       ラン:4°40′44″(▼18′37″) 年代別6位/30人
       トータル14°31′47″(▼11′14″) 年代別17位/30人  
       ギアのピックアップまで大分歩きます。ボラのおばちゃんがお付き合いしてくれます。
       息子さんは43歳とのこと。テント内でもボラがバイクウエアの袋入れなどしてくれあ
       りがたい。ようやくランスタート。諸所から「がんばって」の声援がありうれしいです。
       他にも「looking good」や「good job」など声がかかり元気がでます。ケアホウから折
       り返してくるK選手、N選手らに会い大分先行されていることがわかりました。赤道
       直下のため18時になりますと紅の太陽が水平線に沈みます。ロマンテイックな気
       分にひたっているわけにいきません。郊外は街路灯なく真っ暗になります。折り返
       してくる選手の持つライトステイックが唯一の頼りですが足元は不安です。昨年徳
       島の強豪A氏が利用したという軽量のランプが絶大なる効果を発揮しました。数名
       の選手にも照らしてあげました。1マイル毎のエイドステーションはオアシスです。暖
       かいチキンスープとパンがありがたかったです。アリードライブに近ずくとこうこうとし
       た照明の下盛んな声援を受けハイタッチしながら感激のフイニッシュです。レイと完
       走メダルをかけてもらいましたが今回から同伴フイニッシュは許されず記念撮影も
       一緒にできず残念。家族とは宿に戻って合流。一日中よく応援してくれました。シャ
       ワーを浴びカップヌードルと缶ビール2缶を飲む元気がありました。

       
10月11日(日)  ハワイ島コナ 晴れ夜雨
       よく眠れました。右足首の痛みはそれほどでもなくよかったです。家族はケアホウま
       で海水浴に出かける。バイクのパッキングを済ませてキンカメに行きリザルトを見る。
       70歳台でK氏がトップ、75歳台JICのE氏が3位にランクされていた。日本人高年
       齢者が絶好調です。65歳台、60歳台では残念ながらJICメンバーのトップ10入り
       はできませんでしたが皆さんよく健闘し完走してくれました。18時からのアワードパ
       ーテイではN選手、E選手が再び席取りにがんばってくれてJICメンバーや日本選
       手と同席できました。カーボパーテイと違いビールは飲み放題です。早々にステー
       ジをバックにJICメンバー次に日本人選手の集合写真をとりました。T誌のHカメラマ
       ンも撮影してくれました。食事後ビデオでレース前、当日のボラ、選手の活躍が紹
       介されました。特に両足義足や車椅子などの障害者選手の健闘に感動しました。
       若い選手から5位までの表彰に移ります。70歳台トップのK氏、75歳台3位のE氏
       が壇上で表彰され我々を大いに勇気ずけてくれました。最後はプロ10位までの表
       彰です。女子トップはウエリントン(英国)3連覇です。男子トップは連覇のクレイグ
       アンダーソンです。ボラ、スポンサーに感謝、選手の健闘を讃えていましたがその
       他理解できませんでした。21時30分散会しました。

       
10月12日(月) ハワイ島コナ→成田→静岡自宅

       8時30分ホテル発→コナ空港11時30分発→10月13日(火) 成田16時40分着→
       21時帰宅着
       機内ではワインをしっかり飲み無事成田着。皆さんと再開を期してお別れしました。
       車内で食べた深川や名古屋ひつまぶしのお弁当はとてもおいしかったです。やはり
       日本食に限りますね。




投稿第四五号
     
FORD IRONMAN CHAMPIONSHIP 2009 AT KONA
                   
 Oct.10,2009

2009年10月24日
正会員
松本 充

       10月6日(火)
        四谷のN原さんにLEO(スコティッシュ・テリア生後70日)を預けて成田へ、出発
        直前まで坐骨神経痛と腸腰筋の違和感がありKaneko先生に治療してもらった。
        ハツさんとラウンジでまったりして、Mamikoと待ち合わせ搭乗。先乗りのEmiの
        情報どおり今年のKonaは暑い!空港のHerzでMini-Vanを借り、Costcoで水や
        食料を買出し,Official HotelのKing Kamehameha
s Kona Beach Hotel(KKKB
        H)の受付会場で受付、King
s Burgerでランチしてここまでは何時もどおり。

        今回宿泊のWyndham Kona Hawaiian Resort(Konaから1.3km)にCheck-inする
        がフロントのオネイ系アフロヘャーのポリネシアン(男性)の要領が悪く待たされ
        る、まだか?と催促すると
More 10 minutesを5回くらい繰り返す、そのうちに
        フロントの女性が出勤し、ものの5分でCheck-in完了(何だったんだ怒)。
         案内された2-bed rooms コンドは超豪華!King bed room事にトイレとシャワー
        があり、我々の部屋にはジャグジーまで付いる。リビングは30畳くらい、ベラン
        ダ(ラナイ)も広く6人がけのテーブルもあります。ハワイ名物のトカゲ(Geko)もお
        出迎えしてくれました。5時から各国の旗の元Ironman パレード。夕飯はBoss
        Big west、Yurikaさん初め総勢13人でKona Brewingへ、Kona beerを4種類飲み、
        ピザとサンドウィッチで盛り上がる。


       10月7日(水)
        Kona beerのせいか?熟睡!Mamikoと7時(レースと同じ時間)に泳ぐべきjogで
        Kailua Pierへ、Swim suitのせいもあるけど下半身が浮き楽に泳げる。今年も50
        0m沖のヨットのでコーヒーサービス。帰りにファマース・マーケットで果物を買い
        歩いて帰るが腸腰筋に違和感が。。。朝食後,本日到着のSachieさん、hareさん
        を空港に迎えに、コンドまで送り届けて再度、Kaoruを迎えに空港へ。トラブル続
        きでホノルル経由にてやっとkonaにご到着。“無事に到着できて良かったねKao
        ru。
彼女をKKKBHの受付に降ろし我々は日本人説明会へ、日本人参戦者76
        人中2年連続は26名、5年連続は7人だけ。夕方バイクで最初の折り返しのKu
        akini Hwyを試走。夕飯はコンドで総勢6人で奥さん特製カレー・ディナー。Mami
        koにマッサージで再発していた坐骨神経痛と腸腰筋の張りをとってもらう。


       10月8日(木)
        Jogで朝7時にSachieさん、hareさんのコンドまで行き、Kailua Pierで試泳、朝食
        後3人でQueen Ka
ahumanu HwyをAirportまでバイク試走40km、ランは痛み
        あるがバイクは大丈夫そう。夜はCarbo Partyで日本Ironman Club石井会長、
        皆さんと同席。料理は相変わらず不味い。


       10月9日(金)
        JogでSwim会場へ、坐骨神経痛と腸腰筋はMamikoの献身的な連日のマッサ
        ージで大分良くなって来た。
Alii Dr.をバイクで軽く往復、バイク供託の会場には
        各国からのMediaが沢山カメラを待ち構えている、Taroさんからも声をかけえも
        らい選手としてここにいるのが少し誇らしい。明らかに飲んでいる赤ら顔のボラ
        ンティアの叔父さんに付き添って貰い無事セッティング完了。 スパゲッティでC
        arbo loadingして21時就寝。


       10月10日(土) RACE day
        レース当日、真夜中の携帯のメール(Osawa君だよ)で起こされたが何とか2度
        寝、午前3時半起床後、奥さんが作ってくれたおにぎりとバナナで朝食、4時半
        コンド出発。会場側のSachieさん達のコンドに駐車して会場へ、Body Number
        ing.のスタンプを押してもらい、バイクにドリンクや補給食、最終チェック。周りに
        は去年の優勝者AlexanderなどProの姿もちらほら、何時ものようにヘリコプター
        が飛び米国特殊部隊SEALがパラシュート降下。アカペラの米国“歌の後6:45Pro
        スタート

  
      Swim 2.4Mile(3.9km)
        前から5列目くらい右側で防岸壁につかまりながらスタートを待つ。いきなりの大
        砲の音で約1700人が一斉にスタートと切った。何時もと違い右側はサーフボー
        ドでブッロクされていて左によるしかなく直ぐにとんでもないバトルになった。何回
        も外人の太い腕で頭にパンチや蹴飛ばされ、完全にオーバーペース。まずい過
        呼吸で苦しくなってきた。一度平泳ぎで体制を立て直すが苦しいままだ、一瞬こ
        のままリタイヤと頭によぎる。通常の両サイドオープン3ストローク・1ブレスを左
        サイド1ストローク・1ブレスにしたら少し楽になってきた。スピードは落ちるが折
        返しまでは我慢の泳ぎ。やっと右にターンすると又バトル!うねりで前が見えな
        い、波酔いか少し気持ち悪い。最後の直線でやっと自分のペースで泳げるよう
        になってきた。UPしてから時計を見てがっかり。トランジッションテントでハツさん
        に先行され又がっかり“。
 1:21:14  Age13/50

        Swim-Bike Tr1 6:22

        Bike 112mile(180.2KM)
        トライパンツ、ノースリーブジャージに着替えてBike Transitionへ走る。同じエイ
        ジのBikeはまだ在る。声援を受けながら走り始めるが足は重いし全然トルクがか
        けられない。Kuanini Hwyの最初の折り返しまでのゆるい上りでさえ辛い。きつい
        登り坂のPalani Rd.を凄い声援に背中を押されながら左折してQueen Ka
ahuma
        nu Hwyへ。追い風基調だが腰が痛くDHポジションが長く続けられない, 港を左折
        してHawiへ向かう。もうTOPが折り返して来た白いTrekはLieoか?5−6分遅れ
        てAl Sultanの率いる第2パックの5−6人とすれ違う。パックの中には優勝候補
        のMacca, Alexanderなどがいる。Norman(リタイヤ)は少し遅れて苦しそうだ、直
        ぐにChrissieがダントツで行く。すれ違うProやAgeを見ながらHawiまでの上りをド
        ラフティングに気をつけながらただひたすら軽いギヤーで回す。やっと折返し、下
        り坂で54x12のギャーで60km以上で駆け降りる。毎年このまま一気に港までの
        はずが直ぐに左前から向かい風(涙)。何時もと違い全然スピードに乗れない。
        港を右折すると正面からの向かい風に変わった。下りでも30km出すのがやっと
        だ。幾つもの上り坂と灼熱の太陽がこれでもかと苦しめる。ワイコロア・リゾート付
        近では皆beerを飲みながら声援してくれるがもうヘロヘロ、GPSを見るとありえな
        いくらいの時間。腸腰筋が痛く足が上げられなくなってきた。こんな状態ではラン
        は歩くしかないと思いながらBike finish
  7:10:44  Age27/50

        Bike-RunTr.2 6:30

        RUN 26.2mile(42.2KM)

        もう歩くしかないと思ったが何故かリタイヤは考えなかった。先のことは考えずま
        ずは次のAidまで走ろうと暑いAlii Dr.を走り、トランジッションでは歩いて補給。氷
        をパンツや上着に入れるが直ぐに溶け次のAidまで持たない。応援する人が多い
        ので最初の折り返しのケアホーまでは走ろうと辛抱する。ウェァーの五月嵐の日
        本語を見てか“頑張って!”外人も声援してくれる(ここでは自分が外人?)。沿
        道の奥さんにサングラスを渡し。Palani roadの上りでAidが見えたら思わず歩いて
        しまった。なんとか再び走りだしK.Q.HIGHWAYに。もう殆どのProはゴール?友人
        達とすれ違いパワーを貰いながら無心で走る。既にKonaの海に日が沈んできた。
        最後の折り返しのNatural Energy Lab.が遠い。やっと折り返しで預けてあったS
        pecial Foodsを貰い一息。街頭の無い真っ暗な道を転ばぬように気をつけながら
        走る、ゲートの電光掲示板に
No.334 M.Matsunmoto Ironman is my lifeとの
        電飾を見ながらQKへ、復路はもう人もまばらだ、Madonna(女性79歳後でリタイ
        ヤ)が早歩きですれ違う。右側に選手と自転車が一緒に歩いている。リタイヤし
        たのかな?と見るとIkegata-proとAiちゃんだった。“シゲお疲れと”声をかける。
        Konaの町手前の上り坂頂上でMamikoが心配して待っていてくれた。励まされな
        がら。Palani rd.を駆け下り左折すると奥さんがいた。奥さんに“32さんちゃんと走
        っているよ!”とMamikoが報告してくれた。やっと帰ってきた。Alii Drに入ると
G
        ood job
You are an Ironmanなどと声援が凄い、ラスト100mは皆とハイタッチ!
        ウィットさんの
No.334 from Japan! Mitsuru Matsumoto Youre an Ironman!
        頑張ったね32
とのコールを聞きながら僕の長い一日が終わりました。
        
Sachieさん達のコンドでシャワーを浴びコンドに帰り奥さんが作ってくれたおじや
        を食べBEERは1本しか飲まず就寝。
        Run: 5:07:43   総合13:52:33  1421/1653    Age (60-64) 26/50


       10月11(日)
        朝食前にBIKEでAlii dr.をリカバリ-で走る。朝食後みんなとドトールコーヒ園へ。
        KONAの海や町が一望でき何時ながら心が休まる。
マッサージ・ベッドを返しに
        Kealakekua Bay近くの友璃香さん宅へ。海に張り出した六角形の家で最高の眺
        めでした。帰りにはマカダミアナッツ工場に併設されたNUT & CANDY FACTORY
        でお土産を買う。夕方からの
Award partyはBeer飲み放題、JAPAN IRONMAN
         CLUBや日本選手一同で写真を取りAg
eの表彰を見る。日本人3人表彰台にか
        っこいい!


       10月12日(月)
        朝一番の飛行機のKaoruの空港までの送りはMamikoに任せ、11:00のフライトの
        Mamiko・ Sachieさん達を空港に送る。午後からCostco, K mart,Ironman shopで
        お土産を買い、夜は大阪の松田夫妻、Kona在住のHitomiiさんとお別れカレーパ
        ーティ。Ironman & X-terra World Championship Wエントリーの松田さん(妻)の
        武勇伝を聞きながら楽しい時間をすごしました。


       10月13日(火)Kona発 14日(水)成田着
         ただでさえIronman Hawaiiは難しいのに直前の故障は論外です。もう一度一から体を
          作り直して再挑戦します。


        器材/SWIM: WEAR=Blue Seventy Point0   ・ ゴーグル=Blue Seventy
             BIKE: WEAR=Maystorm ノースリーブ  ・ トライパンツ=2XU
                 ヘルメット=Lazer Tardie     ・ グラス=Oakley Radar
                 BIKE= CERVELLO P3 Carbon ・  Wheel=Easton Arero 90
                 TYRE=Tufo
             RUN : CAP=Maystormバイザー     ・ シューズ= Saucony First witch
        補給/バイク :梅干入りおにぎり小x4、マルトデキセトリンx5cup、Gu ジェル2
                  multi vitamin 2tab
                  BCAA とクエン酸、アスリートソルト3cap、乾燥梅干
             ラン  :パワージェル3、Top-Ten 2本、コーラ、オレンジ、乾燥梅干



投稿第四四号
        
初めまして、中村正史と申します !

2009年10月23日
準会員
中村 正史

        トライアスロン暦は21年になり、1989年小豆島オリーブトライアスロンがデビ
        ュー戦です。スポーツ暦は、40歳まで軟式野球をしておりました。トライアスロ
        ン以外の趣味は、機械イジリが好きで車・バイク・自転車(組み立て)メインテ
        ナンスは自分でします。

        私はとても怪我が多く、右肩骨折・左鎖骨脱臼・左手薬指腱断裂・頚椎捻挫・
        椎間板4番・5番・6番が機能しておりません。腰痛に関しては2005年から1
        年間ドクターストップがかかり、ウォーキングか軽るめのスイムしか出来ない状
        態でした。手術しても直らないと言われ、それで、腹筋及び背筋を鍛えて行き
        徐々に回復してきましたが、疲れがたまると再発します。予防としては、現在サ
        プリメントを飲んでおります。低ヒアルロンサン、グルコサミン、コンドロイチン、
        コラーゲン、ルテイン、ウコン等を捕食として愛用しております。

        自己紹介としては、なぜトライアスロンをはじめたか。30歳に成った頃、自分の
        体力に自身が持てなくなったからで、私は消防士として日々訓練等に励んでお
        りましたが、今まで出来ていたことが大変きつくなっつたのです。それで、ラン
        ニングから初めからだを作り直すことにし、先輩に誘われマラソン大会に参加し
        たのがそもそものきっかけでした。その先輩はトライアスロンもしておられ、小
        豆島オリーブトライアスロンがあるので参加しようと誘ってくれて参加し、1000
        人中347位でこれなら出来ると思い今に至っております。

        その頃から、アイアンマンに参加し完走が目標でしたが、琵琶湖でやっていた
        ときは抽選で選ばれませんでした。長崎県五島で開催されるようになってから
        は子育て等で経済状態が悪く参加できない状態でした。2年前に自転車でトレ
        ーニング中道路にあいていた穴にはまり転倒し、鼻先欠損・顔面切創打撲・頚
        椎捻挫と顔だけで60針も縫う手術もしました。いまだに、首が痛くリハビリに通
        っております。

        しかし、私の中でチャレンジしようという気持ちがまだ有ることで初心に帰り、目
        標であったアイアンマン完走を目指し、今年は自分がアイアンマンとして完走で
        きるのが最後になるかもしれないと思い参加しました。完走できて本当に嬉しか
        ったです。それから、五島ではたまたま入ったお店のまぐろ屋で、皆様のとても
        良いお話を聞くことができ何か勇気を貰いました。これからも宜しくお願いします。
        では、失礼します。


投稿第四三号−6
           
T A K U M I 便 り !

2009年10月13日
準会員
小原 工

                トキめき新潟国体トライアスロン競技

     秋冷の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。平素はチームの活動
     につきましてご支援とご声援をいただきまして厚くお礼申し上げます。標記大
     会にチームより
2名出場して参りましたので報告いたします。

         □大 会 名:トキめき新潟国体トライアスロン競技(公開競技)
         □開催日時:平成21927日(日)
         □開催場所:新潟県村上市
         □競技距離:スイム1.5km・バイク40km・ラン10km
         □参加人数:各都道府県代表 男子47名・女子46
         □結  果:男子25位 小原 工 2時間0031
             女子
19位 小原千絵 2時間1325

        ◇男子レースリポート
     栄えある第
1回目の国体トライアスロン競技に鳥取県代表選手として参加でき
     たことに嬉しさと誇りと責任を感じた。私は高校生時代、競泳と水球で
3度の
     国体経験があるので
24年ぶりに3種目目での国体出場となった。

     スタートは海からのフローティングだったので、北の北海道の選手から入水し
     ていき、順にスタート地点のロープをつかみ沖縄県の選手が最後に入水した。
     国体ならではだ。


        そして、午前10時に男子47名が一斉にスイムスタート。オープンウオーター
     元日本代表の疋田選手(静岡県)とシドニーオリンピックに出場経験のある
     福井選手(愛知県)が序盤から抜けだす。
750mを2周するコースで1週目は20
     番目あたり、
2週目は少し挽回し16位で上陸した。バイクに入ると周りの選手
     とともに前を追いかけ、
10kmあたりで先頭の二人に追い付き22名の大きな
     先頭集団となった。その後は最後の峠で松丸選手(茨城県)がアタック。
     集団は
20秒差でバイクを終えランニングスタートとなった。

     私はこのレースの
3週間ほど前に大腿部に肉離れを起こして、ランニングはほ
     とんど練習せず国体に望んでいたので走りきれるか正直不安であったが、お
     世話になった病院の先生、治療院の先生方、スクールのみなさんの励ましの
     お陰で痛みを出さずに走れ、完走できたことに感謝と感動と喜びを覚えた。
     怪我をしてしまった時は正直、出場は無理?と少し思うこともあったが、絶
     対治してレースに出場すると決めて治療に専念してきたことが、早い回復に
     つながったのではないかと思う。人間は何事もプラスに考え行動すること、
     やれると思いこむことで、難しいこともできる可能性があるということを学
     んだ。

     そんな状態であったのでランニングに
41分も費やしてしまい、順位を落とし
     て
25位でのフィニッシュとなった。優勝は佐藤治伸選手(愛媛県・日本食研)
     であった。


        あらゆる年代の選手が集まった今回の国体は、普段のトライアスロン競技と
     は一味違ったレースでした。大会運営も大変きびきびと行われ大会関係者、
     スタッフの方々のご努力は容易ではなかっただろうと感じました。お世話に
     なりました皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。


        また、今回私たちのサポートとして同行いただいた岡崎さん、大西さんのお
     陰でレースに集中できました。そして、いつもご支援、ご声援いただいてい
     る皆様にも感謝申し上げ報告とさせていただきます。次は今年最後のレース、
     日本選手権東京港大会(
1018日お台場にて)に6年ぶりに出場します。
                               小原 工

            

        ◇女子レースリポート
        アシスタントコーチとしてスクールの指導をすることになり、13年ぶりに動
     き始めた。


        子育てにどっぷりとはまり、全くと言っていいほど、使っていない身体を戻
     すことから
4月・・・私の挑戦は始まった。泳げない、走れない、自転車はバ
     イクケースに眠ったまま。


        子供達と同じく新しいスタートに不安と楽しみでいっぱいだった。トライア
     スロンを始めたあの頃のように、毎日新しい発見があり、日々進化していく
     自分が楽しかった。


        なにより現役時代のような、気負いは一切なく限られた時間で出来る練習に、
     喜びさえ感じた。皆生の海、大山を眺めてのトレーニングは私をますますや
     る気にさせた。そして、思いもよらず県の代表となり記念すべき第
1回目トラ
     イアスロン競技の国体代表となった。


       ゼッケン31鳥取県・・・”。久しぶりの大きなレースと練習不足でかな
     りの緊張もあったが、幸せな思いでスタートの号砲を待った。今回のレース
     では、スイムの遅れをどこまで押さえられるかがレース展開を決める鍵とな
     ると思っていた。予想通りナショナルメンバーの崎本選手(愛媛県)を先頭
     に若手の代表選手が続く展開になった。この集団でレースをしたかったが、
     今の泳力では、第2集団で泳ぐのが精一杯。予想通り
16位辺りでバイクに移
     った。前に点々と3,4人の選手が見えたので何とか追いつくようにと、一
     人ずつ前を追った。
5人の集団になりかけた時、後ろからすごい勢いで加勢
     選手(新潟県)が集団を引いてきて
10数人の集団となる。最後の坂でバラけ
     ランスタートした。前にいた選手に追いつき抜いたが、また抜き返された。
     後で何人かの若い選手に、「抜かれて横を見たらチエさんなので焦りまし
     た。負けている場合じゃないと気合いれました!
」と嬉しいようなくやし
     い様なコメントをもらった。


        最後ラスト勝負で置いていかれ、19位でのフィニッシュとなった。力不足で
     上位集団には全く絡めなかったが、今の力は出しきれたと思う。


        今回のレースは、2人での出場は無理かと思いましたが、本人のあきらめな
     い思いと、応援してくださる方々の暖かい思いに、改めて支えられている幸
     せを感じました。又今回の短い期間の挑戦で、たくさんの出会いと感動があ
     りました。この体験を今後の指導に活かせる様、これからもキラキラの子供
     達と頑張っていきたいと思います。これからも変わらぬご指導、ご支援をよ
     ろしくお願いします。ありがとうございました。
   小原 千絵(右側)  



投稿第四二号
             
○ IRONMAN JAPAN参加選手へ5つの提言 ○
                〜真のIRONMANになるために〜

2009年7月14日
愛媛県 在住
内藤 聡之助

       IRONMAN JAPANでは、今年もまた関係者の皆さまに色々とお世話になりました。
       どうもありがとうございました。

       昨年同様、自分の成績はイマイチでありましたが、この場所にまた戻ってこれた事、
       やればできるというお手本、沿道の方々の今回の大会開催に向けた苦悩と期待な
       どを色々と感じ、考えさせらる5日間でした。

       全部書きだして記録しておきたいところですが、書いているうちに忘れそうですし、
       とても大変な作業になりそうです。ただいま、松山市から高松市に移動する高速バ
       スのなかですが、色々と思ったこと、考えたことの中から、レースに関係したことを5
       つに綴って記してみました。

       今回は、「どす鯉節」(ん、生臭そう!)からちょっと趣向を変え、Scot Tinleyを真似
       てTinley Talk調に語ってみたいと思います。 (いつもティンリー・トークの和訳をご
       投稿してくださる大谷様へ、次回のT.T.和訳を楽しみにまっております!)

            

     1.コース上の応援者、ボランティア、スタッフに「ありがとう!」と声をかけてみよう。
       レース会場の町に入ったら、道ですれ違う住民や子供たち、大会関係者、初めて会
       う選手、海外からの選手・同伴者、悪天候にもかかわらず沿道で選手を見守ってく
       れる応援者たち、ボランティア、中高生達、同じ道を走る選手同士・・・に、恥ずかし
       がらずに自分から「こんにちは!」、「ありがとう」と声かけてみよう。

       今日、この日、この場所でレースに参加させてもらっていることの有難み・悦びが、
       今まで思っていた以上に大きなものになるだろう。
       IRONMANは、それに関係する者みながファミリーなのだ。

     2.ドラフティング場面をみたら(パックに入ってしまったら)、声を出して注意しよう。
       どんなに早くゴールしも、どんなに誇らしげに表彰台に立っても、ドラフティングをした
       結果で手に入れたものなら、それは間違いなく「ニセ物」だ。IRONMANの風上にも
       置けない。そして、それはいつまでも消えることのない心の傷となって彼らに残るの
       だ。誰も知らないだろうと思っていても、自分の心は必ず見ているものだ。

       ドラフティングは、自分が当事者になる・ならないに関わらずよく遭遇する場面であ
       る。そんな場面に遭遇した時、「他人は他人。自分はフェアに戦っているからそれで
       いいのだ」と、アンフェアと解っているのに黙って知らぬ振りをするのはN.G.。結果と
       して、ドラフティングに協力しているのと同意なのだ。捕まらない窃盗の見張り番をし
       ているのと同じことだ。そんなパックを見かけたら、ぜひ勇気を持って声を出してみよ
       う。IRONMANにチャレンジするよりずっと簡単なことだ。「みんな、IRONMANのルール
       は知っているかい?」と。

       しかし、ツラの皮が厚いドラフターたちは、そんな君の勇気ある言葉を無視するかも
       しれない。そういうときは、こうだ。ドラフターのレースナンバーを呼んでから『後方か
       らマーシャルが来ました!ドラフティングを申告します!』。おそらく、効果てき面だ。
       他にもっと効果的でオモローな方法があったら、ぜひボクにも教えてほしい。みんな
       でドラフターを滅ぼしてしまおう。

     3.レース翌日、コース上で「ごみ拾い」をしてみよう。
       TRIATHLONが開催される地域というのは、少なくとも日本では自然豊かで風光明
       媚なところが多い。コース上にゴミが落ちていたために、町外から集まってきた選手
       ・関係者が「汚ねぇ町だな」なんて思われたくないし、大抵は綺麗に掃除をしている
       ものだ。

       しかし、我儘なIRONMANたちが大軍で侵攻したあとというのは、どんなに気を付け
       ていたとしても、コース上にはゴミが散乱してしまうものだ。これを片付けるのは、ボ
       ランティアやスタッフ関係者、地元の応援者や沿道の住民の方々の、「選手以外の
       人達」が殆どだ。

       レースの翌日、痛い体を引きずりながらコース上のゴミ拾いをするというのは、単に
       「来たとき以上に町を綺麗に」という躾の意味だけでなく、レースそのものが「いか
       に非日常的であったか」ということや、コースを改めて歩いて辿ることで、レース中に
       感じたこと、出来事を思い出し、次なるレースに向けてmotivationを高めたり戦略を
       練ったりするいい機会にもなるのだ。

       ナニナニ? スケジュールがタイトだし、体が痛く手でゴミ拾いに出られないって?
       キミ、IRONMANに出場するためにどんなに苦しいトレーニングも積んできただろうし、
       色々な難題を整理してスケジュールを調整してここへきたのではなかったのかね?
       それと、ゴミを拾ったあとにaward partyに出席したら、ゴミを放り投げて帰っちゃいけ
       ないゼ。

     4.閉会式・表彰式(award party)に出よう。できたら、最後まで会場にいてみよう。
       閉会式だって、立派なIRONMANの公式行事だ。HawaiiのChampionshipだったら100
       ドルもするaward partyのチケットを、300ドル出してでも買おうとするくせに、ほかのレ
       ースでは「他人の記録や表彰にはまるで興味がない」とか「仕事が忙しくて」なんて
       うそぶいてホイサッサと帰ってしまう…。まったく、IRONMANなんていう気違いじみた
       スポーツを「楽しいからやっているんだ」なんて言っているくらいだから、自分勝手な
       変わり者も多いのだろう。

       表彰される上位入賞者が痛々しく歩いてステージに上がる姿、しかし、振り向く時に
       見せるとても誇らしい表情。ただ単に「あいつはオレと違って素質があるから」とか、
       「彼はトレーニング時間が取れるいい職場環だからだよ」と安易な言葉で言いくるめ
       てしまうのは簡単だ。

       しかし、もう一歩こちらから彼らに近寄ってみて、「一体いつから、いったいどんな決
       心をして、このレースのためにどんな準備と苦労を積み重ねてきたのか」を、ぜひ想
       像してみて欲しい。そんなことを思いめぐらせてみた後、きっと、僕らは少しだけ誇ら
       しくなって、こう思うことだろう。
       「ああ、おれも彼と同じレースに出て完走したIRONMANの仲間なのだ」と。

     5.ゴールの制限時間まで、ゴール会場で選手を応援してみよう。
       「IRONMANの完走者は、みな勝者である」とは、Hawaii Championshipだけでなく、世
       界中のIRONMAN Raceに当てはまる黄金律である。しかし、IRONMANの制限時間
       の最後の最後までゴールを見守ってくれた人たちにも、なにか、そういう称号を与え
       てあげたいと思う。それほどまでに、IRONMANのゴールを最後まで見届けるという
       行為は素晴らしいことだと思う。

       本当のIRONMANのドラマは、ゴールが近づくにつれ、制限時間が近づくにつれて凝
       縮されてくる。許された時間の限り、這ってでもゴールを目指す選手たちと、ゴール
       会場でそれをたたえる応援者(とウィットさんらスタッフたち)が三位一体となってこそ
       出来上がる情熱と熱気。規模は小さくても、そこにはKONAやドイツの熱気のエッセ
       ンスを感じられるはずだ。TVモニターを介してみていたのでは、これは「体感」できな
       い。なぜなら、それはゴールを目指す選手と、ゴールで声援を送る人たちとが共同で
       織りなすハーモニーだからだ。

       自分もそこに身を置き、ゴールの一点を見て走ってくる選手たちをみていると、自分
       の時とは一味もふた味も違った感動が、何度も何度も押し寄せてくるだろう。感動の
       場面は、自分のドラマだけではないのだ。ゴールはもう目の前なのに、まだ真剣で
       射抜くような必死の眼差し、クシャクシャになった笑顔、寄り添う家族(中にはペット
       の犬も)・・・気が付くと、大きな声で声援を送っている自分がいる。

       ゴール後に「もうオレは頑張って完走したんだし、もうなーんもしたくない。動きたくな
       いもんね。ビール早よして、ね、ビール!」なんて言っていた自分の体に、また新た
       に不思議に大きな力が湧いてこようというものだ。

       I.M.Japanでは、一昨年から制限時間15分ほど前になると、ゴールゲート前に突如
       IRONRAINBOWができるようになった。それは、22時丁度に最大となって、突如消
       え去る。今年は、その後もしばらく見られ、最後はM.C.のウィットさんを包んで胴上げ
       してから消えました。

       「IRONMANなら全て知っている」「IRONMANはおれの生き甲斐だ」と豪語している
       キミ、キミは22時に出来るIRONRAINBOWを体験したかい、ン?



投稿第四一号
          ハワイは私にとって夢の舞台です!

2009年7月10日
正会員
藤木 藍子氏
    こんにちは!藤木です。アイアンマンのレースレポートを書かせていただきます。
    まず結果は
12:14:50でゴール、完走者826人中総合328位、女子では22/81人で
    した。全体ではやっぱりまだまだですが、とにかく、ハワイの権利が獲得できて
    うれしいです。みなさんが応援してくれたり、いろいろな面で力になって下さっ
    たおかげです。本当に感謝しています。ありがとうございました。
    ハワイは私にとって夢の舞台です。そこでは私など全然相手にならないでしょう
    が、これからに向けて今のベストのレースができるよう、これからの3か月、ま
    た新たな気持ちで足りないものを一つ一つ積み重ねていきます。

    木曜晩に
K倉さん、K本さん、O田さん、チーム外の仲間2人の6人で出発し、金
    曜朝に長崎港着、その後朝一のフェリーで福江港まで行き昼前に着きました。競
    技説明会、カーボ・パーティーはインフルエンザ感染防止のために中止だったの
    で、この日は選手登録だけでした。でもでもやっぱりカーボパーティーがなくち
    ゃ!ということで、上のメンバーに
H口さん夫婦も加わり、お刺身やケーキなど
    を囲んでワイワイとしていました。
    土曜はバイク預託です。バイクラックには、ライバルのバイクが既に置いてあり
    ました。相手には結局会いませんでした。
    レース当日はバスでスイム会場まで向かい、準備を済ましていよいよです。宮古
    島では準備にあたふたとしてしまいましたが、今回は流れを覚えていたので時間
    的にも精神的にも、以前よりはゆとりがもてました。シュミレーションって大事
    なんですね。
7:00にいよいよスタートです。

    ●SWIM 1:13:51(354)
    前列やや左側でスタートしました。はじめの数百
mはバトルで気持ちが焦ってた
    せいか、息が上がり不安になってしまいました。でも、先は長いのでマイペース
    でいくことにしたら、徐々に落ちついてきました。
1周目は33:30で予定通りのタ
    イムでしたが、
2周目に時間がかかりました。H口さんとトランジッションで会い、
    バイクへ移ります。


    ●BIKE 6:47:18(498)
    はじめの
30kmはアップととらえ、ばくばく補給しながらマイペースでいきました。
    
70km位で持っていた補給食がほとんどなくなったのは誤算でしたが。(^^;)
    ちっちゃい子どもも「アイアンマーン!!」と応援してくれるのですが、島の
    行事だからやらされているという顔ではなく、笑顔で楽しんでいるようで、それ
    がまた嬉しかったです。それからボランティアの方たちだけでなく、選手からも
    力をもらいました。場所によって雨が一時的に降ったりして手がぬるぬるして、
    エイドでボトルを落してしまい、しばらく
2つともボトルのないときがあったので
    すが、近くを走ってた選手が大丈夫か、とボトルを譲って下さりました。アイア
    ンマンってすごいな、と改めて感じました。
90?100kmあたりまでは10km20分く
    らいでしたが、その後
120km辺りから足が動かなくなってきました。相手の存在
    が気になりましたが、ランが勝負だと思っていたので、最後はランのことを考え
    ながら走りバイクを終えました。


    ●RUN 4:13:41(240)
    数百人抜きしてやろう!しらさぎキャップを被り気合いを入れてスタートします。
    
4時間切りならずでしたが、今回もランが一番楽しめました。ランでは途中霧雨
    が降ったり空は曇っていて涼しかったです。はじめは足にカテゴリー
M60と書い
    た元気なおじさんに着いていき、
10kmまで5km26分ペースでしたが、その後`
    
6分となりました。最後も大きくは落ちませんでしたが、そのままベースのスピ
    ードは上がりませんでした。バイクもスイムもですが、スピードがやっぱり課題
    です。鬼岳という山の周りを
2周するのですが、1周目でシーポの田中さんに「
    
1位や!
」と教えてもらいましたが、2周目で本人と出会うまで、油断はできま
    せんでした。前に、プロの河原さんと、一人一人の応援に答えながら走ってすご
    いですね、って話をしてたのですが、「答えたほうが力になる」と仰ってました。
    それで、今回私もできるだけ声で答えるようにしたら、ほんとに、とても力にな
    りました。宮古島でラストにばてたのが悔しかったので、ラスト
5kmが勝負!と
    考えていました(実際あまり上がってませんが)。それにしても、抜きつ抜かれ
    つしていた方や、「
ライバルや!」とレース前に言ってた方にも、抜くときに「
    いけ?!」「がんばれよ!」と声を掛けて頂き、本当に力になりました。ラスト
    
1kmはもういろんな気持ちが込み上げてきて走りながら涙が出てきました。やっ
    ぱり、アイアンマンは特別です。「相手を気にするな自分に勝て」「最後まで
    あきらめるな
」「ロングはラン勝負」「思いきりレースを楽しめ」。世界を舞
    台に戦ってきた方々がくれたいろんな言葉を思い出しながらレースをしました。
    強い人の言うことは共通していました。実際は相手を目で確認するまで気になっ
    ており、実力もメンタルもまだまだだと思いました。相手を気にするのではなく、
    相手に気にされるような存在になっていきたいです。

    この
5日間、振り返ればあっという間でしたが、1ヵ月滞在していたほどの濃さで
    した。レースの前後も、みんながいたから本当に楽しめました。
3回目のロング
    でしたが、私にとってロングは一つ一つのレースが大きくて、特別なものになり
    ます。ロング一つ出るのに
1年生きた位の濃さを感じます。
    みなさん!来年またいきましょう!!
ありがとうございました。
     (大会開催日:2009・6・21)



投稿第四〇号
            == グロスタイム と ネットタイム ==
     
    これで良いのか?公式完走時間!

2009年7月6日
正会員
宗政 義仁氏

        

                           ネットタイムを公式完走時間にする会

                                 2009年3月1日

                             代表 宗政義仁   

                     連絡先:兵庫県芦屋市大東町18−6−913

                    
090-5676-8060munemasa@nike.eonet.ne.jp
                                       読者の皆さんの忌憚のないご意見をお寄せください!
                                     ご意見・ご感想はこちらから・・・ 
    1、はじめに!

      マラソンを心から愛するランナーの皆さん、これから始めようとしている活動の内容を
      よく理解してください。その内容は『自動応答計時システムを使用する民間マラソ
      ン大会の公式完走時間は、全て「ネットタイム」を採用し公開すべきだ!
』と言う
      趣旨で、現在日本のマラソン界で常識化されている「グロスタイム」を「ネットタイム」
      公開に改革しようという活動なのです。この度、この場を借りて公開に至った理由は、
      先ず皆さんに活動内容を正しく理解していただき、今後の活動に是非ご協力願いた
      いと言うことを思ったからです。

      今年の1月22日付で日本陸上競技連盟・(株)ランナーズ・(株)ベースボールマガジ
      ンの3個所に【提言文】と【検討依頼書】を送り回答を求めました。その内容は下記
      に示すとおりですがその結果現時点では、日本陸上競技連盟として近日中に開催さ
      れる競技運営委員会で協議しますとの回答あり、また(株)ランナーズとしては検討し
      改めて回答します、(株)ベースボールマガジンは無回答と言う状況です。

      そこで今回の要点をまとめて見ますと下記の様になります。変更する実作業は簡単で
      あってもマラソン界の常識を大きく変える内容だけに、そう簡単には変革が出来るも
      のとも思えません。そこで今後、マラソンを心から愛するランナーの皆さんのご賛同を
      得ながら共に活動して行き、是非目的を達成したいと思いますので、ご協力のほどよ
      ろしくお願いいたします。今後の経過動向に付きましてはこのホームページで公開し
      ていく他、今後の推移に応じて他メディアおよび走友を通じ、状況報告やご賛同者を
      得るための呼びかけをして行きたいと思います。 今後の動向にご注視下さい!

      【改革の要点
        @公式完走時間を「グロスタイム」から「ネットタイム」に変更すると言うこと。
        Aマラソンを愛するランナーの皆さんが要望する姿に変えて行きたいと言うこと。
        B今後のマラソン界発展に繋がる事であれば積極的にやって行こうと言うこと。
        Cランナーの安全性を最優先し気持ちよく走れる場を提供して欲しいと言うこと。
        D大会主催者に技術的・金銭的・運営面で大きな負担にならないと言うこと。
          等々が考えられます。


    2、提言文
      『完走時間はどうだったの?』 
      『3時間2分25秒だった! でもネットは2時間59分55秒だったんだヨ! 
     畜生、実際は3時間を切ってたのに悔しい・・・

      このような会話をあちこちでよく耳にする事がある。誠に残念な事だ。その度に、本人
      は悔しい思いをし、いつも何か割り切れない気持ちになるのは私だけではないだろう。
      『そんなに目くじらをたてて時間ばかり気にする事は無いよ!』と言われても、何
      故か気になってしまうのが「公式完走時間」なのだ。「本当の実力」って何なのか?
      これって何とかどうにかならないのか!?

      結論から言うと『自動応答計時システムを使用する民間マラソン大会の公式完走
      時間は、全て「ネットタイム」を採用し公開すべきだ!
』と考える。
      (以下、自動応答計時システムは「本システム」と言う)

      昔と違って現在は計時技術が開発され進歩し、路面に敷いた発信機と走者の体に取
      り付けたセンサーによって電気的に通過時間を瞬時に測定できる本システムが採用
      されるようになった。従って走者がゴールラインを通過すると二つの完走時間、つまり
      スタートラインを通過してからゴールラインを通過するまでの「ネットタイム」と、自分
      がスタートした場所からスタートラインを通過するまでの時間を含んだ「グロスタイム
      が正確に計測できる事になった。

      この本システムの採用によって、従来から行われてきた目視やストップウオッチによる
      「手動計時」では到底対応不可能な千人単位の所要時間が瞬時且つ正確に記録され
      、しかも現在では直ちに「完走証」まで発行できるなど画期的な計時システムに至って
      いる。全ての大会がこのような本システムを採り入れるのは経済的に無理だが、今後
      一つでも二つでも採用する大会が増える事を願っている。

      最近では、この本システムと相まって大会参加申込時に自分の予想完走時間を書くよ
      うな大会も増え、その申告時間の順番に従って並ぶ事によってスタート直後の混乱を
      避け事故発生を未然に防止し、且つスタートまでの待ち時間を短縮できる等を目的と
      するような大会が増えてきたことも大変に喜ばしく思う。

      さて、現在の日本陸上競技連盟(以下、陸連と言う)では本システムの適応基準を
      陸上競技ルールブック2008 の第165条(計時と写真判定)に定め詳しく解説され
      ている。この第165条のただし書きに「非公認ではあるが、競技者がスタートライン
      を通過してからフィニッシュラインに到達するまでの時間を知らせることができる

      とある。このことは、ここで言うネットタイムの事であり、非公認としてだが公開する事を
      一応認めている状況にある。もちろん、世界を対象とする競技に関与・運営する日本
      陸連が、このルールブックを採用し「公認記録」で公開することに異論はない。

      そこで問題なのは、『民間のマラソン大会なのになぜ公式完走記録はグロスタイム
      なのだ、なぜネットタイムを採用し公開しないのか!?
』という疑問がわいて来る。
      スタートラインを通過した後でも自分本来のペースで走れないので、個人が持つ「真の
      走力
」の計測は出来ないが、これは参加者が多いので仕方のない事と諦めよう!
      しかし、各個人の「ネットタイム」が正確に記録されているのに、なぜ未だに公式完走
      記録が「グロスタイム」のままなのか理解できない。少なくとも本システムを採用す
      る民間マラソン大会の公式完走時間は全て「ネットタイム」を採用し公開して欲し
      い』
と願うものである。


      入賞を目的とする人に限らず、速い人も遅い人も全国でランニングを楽しむ多くのラン
      ナーは「自己新記録」を目指していて、「自分の本当の完走時間を公開して欲しい
      !」
と痛切に望んでいる。公開される事によって益々マラソンに興味を持ち、新たな意
      欲が湧き上がり、マラソン愛好者が増え、マラソン界がより一層発展するものと確信し
      ている。またネットタイムで公開される事によって、完走予想時間を虚偽申請してまで
      も前に並ぼうとする人がなくなり、かつ走力に劣る人が無理して前に行こうとする事も
      なくなるので、危険を冒すことなくより安全な大会となる。
公式完走時間は「ネットタイ
      ム
」であり、参考値として「グロスタイム」が公開されても全く問題は無く、誰に迷惑を
      かけるものでもないはずだ。逆に民間マラソン大会の「公式完走記録がグロスタイム
      で無ければならない!
」と言う理由があれば是非答えて欲しい。

      少なくとも現在、日本の民間マラソン界に大きな影響力のあるランニング雑誌を発行す
      る
(株)ランナーズ社発行の「ランナーズ」誌や、(株)ベースボール・マガジン社発行の
      「ランニングマガジン・クリール」誌が紹介する、日本全国で開催されている民間マラ
      ソン大会の公式完走時間は、速やかに「ネットタイム」で公開される事を強く要望する
      ものである。 <<Yes! We can change.>>

    3、まとめ
      【ネットタイム】を採用する事による利点および理由
      1、真の走力を公開する事によって個人の正当な評価ができる。
      2、それによって益々マラソンに興味を持ち、新たな意欲が湧き上がり、マラソン愛好
        者が増え、第二次マラソンブームのマラソン界をより一層発展さす事ができる。
      3、完走予想時間を虚偽申請してまで前に並ぼうとする人がなくなり、かつ走力の劣る
        人が無理して前に行こうとする事がなくなり、スタート直前直後の安全性がより大き
        く向上する。
      4、トップ集団の走者は駆け引きだけではなく、自分の本当の走力を発揮することが必
        要となり、数秒差の事とは言え最後まで全力を出し尽くす走りをすることによって記
        録向上が期待できる。
      5、ネットタイムを採用しても技術的・金銭的・運営面で特に新たな問題は発生しないと
        考える。
      6、公式完走記録がグロスタイムで無ければならない正当な理由が見付からない。

      【ネットタイム】を採用する事による問題点
      1、希に、最初にゴールした人が1位になるとは限らなくなる。
      2、よって、ゴール直後に総合順位入りの完走証を渡せなくなる。
      3、従って、順位の確定は総合・年代別共に、最初にゴールした人の時間からスタート
        時の最終走者がスタートラインを通過するまでのロスタイムだけ待ってから決定す
        る必要があるが、通常このロスタイムは2〜20分程度なので、完走証発行や表彰
        式などの進行上特に問題は起こらない。

      現状はどうなっているか
      1、(株)ランナーズが公開する年代別ランキングは全てグロスタイムか?
        「グロスタイム」と「ネットタイム」が混在した状態でランキング公開されている。
      2、ホノルルマラソンは全てネットタイムでの発表だそうだが本当にそうか?
        その通りだ。
      3、掛川・新茶マラソンの記録発表はどうなっているのか?
        総合は「グロスタイム」で、年代別は「ネットタイム」で公開されている。
      4、その他の大会はどうなってるのか?
        継続して調査中である。

    4、検討依頼内容
      1、日本陸上競技連盟に対して
      「民間マラソン大会における公式完走時間」について・・・
     1)公式完走時間を「グロスタイム」から「ネットタイム」に変更して

            公開する事に関しての見解はどうか
     2)もし変更する事に問題がある場合はどの様な理由なのか、また問題

       を解決するための具体的な助言はなにか
     3)本件に関し今後連盟としてルールブックの変更を視野にいれ検討し
       て頂けるか、または民間レースに関しては黙認されるのか


      2、(株)ランナーズ・(株)ベースボールマガジンに対して
       「民間マラソン大会における公式完走時間」について・・・
     1)公式完走時間を「グロスタイム」から「ネットタイム」に変更して
       公開するよう
に出来るか

     2)もし変更する事に問題がある場合はどの様な理由なのか、また問題
       を解決するための具体的な助言はなにか

     3)貴社発行の「ランナーズ」または「ランニングマガジン・クリール」
       誌に【提言文】(これで良いのか?公式完走時間!)を掲載して頂
       けるか

     4)読者に意見を求め集計し、取りまとめ結果を公開して頂けるか
                                                            以上

         <参考:公開後の動き・・・>
        
(株)ランナーズ社が企画・主催する2008年度「フルマラソン1歳刻みランキング」での評価対象
         レースは、52大会中22大会では既に「ネットタイム」が採用されており、上記で主張する問題解決
         に一歩近づいてきている。今後ともより多くの大会が「ネットタイムで正当な評価」がなされ、かつ
         公式完走時間が「ネットタイムで公開」されるよう、各大会の主催者や関係機関に於かれましては
         一層の努力をお願いしたい!
                            
2009年5月




投稿第三九号
            よく走ってくれた私の足よ あれが福江の街の灯だ!
              
(アイアンマンジャパン五島長崎を完走して)

2009年7月2日
正会員
小林 留美子

       最後のラン。《2LAP 39キロ》の表示をみて、あと3キロ。汗と雨でくもった眼鏡の
       右手遠くに明りが見えてくる。2周回目に入ってからは、一キロ一キロをつぶして
       ゆくような気持で走っていた。暗くなった中に、傘をさし椅子に座って応援の声をか
       けてくれる人の姿がおぼろげに見える。
       「ヒロシ」商店の人達も暗い中で2周目戻ってくるのを待ってくれていた。応援して
       くれる人たちのためにも頑張らなくちゃ。もうエイドに寄らなくても走り切れる。
       武家屋敷に入った。 すぐお城の方に右折する。もうゴールにたどり着くことしか頭
       にない。お城の濠の石橋を渡って、ゴールまでの何十メートルかがやけに遠い。
       まぶしい明りの中に出た。 13:52:・・・の掲示。14時間切ったんだ。
       やったぞーー!!(さくら、猫の神通力をありがとう)

       6月7日に1か月以上闘病の飼い猫さくらが亡くなって、きっと心おきなく大会に行
       かせてくれたんだろうな。事前の体調も悪かったなかでのランの頑張りは自分で
       もよく走り通したと思う。今年は最後まで走ってゴールしたいという思いがあったの
       で充足感でいっぱいになった。

       そして年代別での思いがけない優勝につながりました。会の仲間の応援もいただ
       いてありがとうございました。つい年を言い訳にしたくなるこのごろですが、できると
       ころまで頑張りたいと思います。

       最後に、今回もたくさんの出会いがありました。中でも同じカテゴリー(60歳代女子)
       のカナダから参加したValerie Gonzalesさん63歳。彼女はバイクで転倒してケガ
       をしながらも完走。 その頑張りは目標です。そして五島からの帰路、ケガをして
       不自由な彼女に忙しい中手を貸して、ホテルまでバイクケースを届けてくださった
       長崎の山口さんご夫妻、千葉のChibaponzの皆さん、ありがとうございました。
       彼女に代ってお礼を申し上げます。Valerieがケガから復帰してまたどこかの大会
       で出会えたらうれしいですね。 スポーツ万歳!
      (大会開催日:2009・6・21)



投稿第三八号
                    
IRONMANに賭ける思い!

2009年6月10日
愛媛県 在住
内藤 聡之助

        ◆トライアスロンを始めてからの数年間は、レースの成績はイマイチでも、もう楽しくて楽しくて仕方が
          ありませんでした。地元新潟とその近辺で開催されていた51.5kmのレースと、年1回の佐渡Bタイプ
          (ハーフアイアンマン)に出場し、スイムだけは一桁順位で上がれましたがゴールまでは終始抜かれ
          っぱなしで、総合的なレベルは「中の上」といったところでした(『ゲッツ!』のダンディー坂野の芸は、
          自身の評価では「下の中」だそうで・・・)。レース参戦が旅行みたいなものでしたし、30歳越えても「
          まだ速くなれそうだ」という期待感と、スポーツ競技選手にあるまじき酒豪集団の“ワイルドなトライ
          アスリートたち”の一員として見られることも無性に嬉しかったのです。レベル的には、本当に普通の
          エイジ・グルーパーでしたが、トライアスロンに完全に魅せられてしまいました。

          キャリアも8年目となり、そろそろ競技レベルのピークを迎えたくなってきた1998年の佐渡大会。ITU
          ロング世界選手権を誘致して開催された、あのプレミアム大会です。運よく抽選に通って出場権を獲
          得し、当時では納得のいく走りができました。そして、仲間うちにも「こんな練習をして、こんなに記録
          を縮められた」ことを、コンコンと説明していました。つまり、自慢こいていたんですね。

          そのとき、そこで自分よりも遅れてゴールした、当時同じチームのベテラン選手にこういわれたので
          す。「どす鯉さん、51.5kmのレースや佐渡のBを何百回完走  しても、アイアンマンにはなれ
         ないんですよ。宮古島? あれはストロングマンじゃないですか。スイムもバイクも距離が短
         いし。宮古島や佐渡を何回完走しても、どんなに速くゴールできても、アイアンマンとは言わ
         れないんですよ
」。

          ショックを受けたというよりは、目から鱗が落ちたような感じでした。1998年の佐渡大会が終わったそ
          こから、ワタクシめのアイアンマン・ディスタンスへの挑戦が始りました。それまで宮古島大会へは3
          回ほど出場して、全て完走はしていましたが、フルマラソンすらまともに走ったことがありませんし、
          バイクだって練習で180kmや6時間なんて乗ったこともありません。スイムは割りと得意とはいえ、正
          直、自分にとってはバイクもランも未知なる、恐れおののく距離でした。そして、翌1999年から主戦場
          をロングに変更しました。

         ◆佐渡Aを2回完走し、アイアンマン・レースにやっと出場できたのが、琵琶湖から舞台を長崎福江島に
          移して4年ぶりに再開された第1回の五島長崎 アイアンマン・ジャパンでした。この大会で、初めてト
          ライアスロン大会に出場したときと全く同じような、いえいえ、それ以上だったかもしれません。最高
          気温38℃の炎天下の中、死力を尽くしてゴールを目指す選手、自分に鳥肌が立つような興奮と感動
          を覚え、完璧にアイアンマンの虜になってしまいました。結果はボロボロでしたけれど。それでもこの
          ときはまだ、アイアンマンをしっかり完走することだけでも大変で、目標は「最後まで元気よく走り
         通し、完走すること
」でした。

          その後、再び転機が訪れたのが、忘れもしない2005年の6月3日。海外初レースとなったHawaii Big
          Islandで開催されたHonu Half Ironmanでした。この大会のバイクコースは、プロ選手でさえ嫌がると
          いうコナ・ウィンドが吹きすさぶChampionshipと同じ“Queen K Highway”の後半部分です。スイムと
          ランのコースこそCham pionshipと違えども、スイム会場はビーチがきれいなこと!(USAキレイな
          海水浴場の第一位を獲得したところです)別荘街とリゾート・ゴルフコースの中を縫って走るラン・コ
          ースは、大小のアップダウンがあって飽きません。

          そして、コースの何処からでも見えるのは、溶岩大地と何処までも開放的な青空、そしてBig Island
          の中心を走る巨大な山塊です。これら目に入る景色は、ことごとく強烈なエネルギーを放ち、「この
         島は、俺に来いと呼んでいる!アイアンマン・ハワイに、いつか必ず来いと言っているのだ!
         
」と確信したのです(全くの勘違いでしょうが)。そして、翌年も再びこのレースでBig Islandの地を踏
          みましたが、その体験、記憶は全く薄れることなく、さらに強烈に自分の魂に訴えかけてきました。「
         また来い、今度はアイアンマンで
」と。

           実は、そこで自分の目標をハワイ出場に本当に変えさせたのが、最初の2005年のHonu大会ツアー
          でご一緒した先輩選手「Aさん」でした。Aさんは、1980年代の後半からトライアスロンにのめりこみ、
          全国でもトップレベルの選手として活躍され、数回ハワイ大会に出場されたご経験をお持ちの方でし
          た。しかしご結婚を機に、家族を支えて人生の基盤を整えるため、トライアスロンから離れていった
          のです。そして10数年たって「仕事の基盤もできたし、子供らも手がかからなくなってきた。そろ
         そろ自分の人生を再び充実させようか
」ということでアイアンマンに戻ってこられた・・・のです。

          Aさんは再起後初レースにもかかわらず、5時間を切ってChampion ship出場権獲得まであと一歩
          の好成績でした。一方、自分はこのレースを「ハーフだしな、楽勝で完走!」と完璧になめていて
          「楽ちい楽ちい海外旅行」の気分。結果は、6時間以上で完走でしたが、完全なる惨敗でした。

         ◆本題はここからです。私が非常に感心したのは、Aさんが10年ぶりにトライアスロンに復帰するた
          めに、半年以上前の12月頃から準備をしてこられた、という事実でした。「10年前も今も、ハワイ
         出場を目標に綿密に準備をして臨んだ
」ということが、当時の自分には物凄く大きなショックでし
          た。これほどまでのパフォーマンスを発揮するには、自分のように2-3ヶ月程度では土台無理な話
          で、初めからAさんのような人と伍して走れるわけはいのだと、やっと気付きました。

          そしてその年の所属クラブの忘年会で、「来年から、Hawaii出場を目指します」と周囲に宣言し
          ました。1年を通じてトレーニングをるようになったのは、そのときからです。そして去年のIronman
          Chinaで、またしても「13年ぶり にアイアンマンに戻ってきた」という復活アスリートに出会いまし
          た。Aさんとは別の、自分と同い年で地元愛媛の選手「Bさん」です。Bさんも、聞けばAさんと全く同
          じ動機でアイアンマン復活を決意されていました。「40歳を過ぎてようやく仕事も軌道に乗ってき
         た。もう少し余裕を持って人生を楽む時期にきたとおもったし、社員にはそういう自分を見せ
         たかった。そして、みんなにもそうあってほしい。それがHawaii出場を目指してトライアスロ
         ンに復帰した理由(のひとつ)
」。さらにBさんは、その目標達成のために2年間の綿密な計画を
          立てて、そのI.M.Chinaのために準備をしてきたというのです。2005年以来、もう一度頭を殴られるよ
          うなショックを受けました。

          「ハワイを目指す」と宣言はしたものの、これまでの自分はまだまだ甘かった、と。左膝半月板損
          傷で1年半ほど走れなかったこともあって、少々腐りかけていたところでしたが、彼らの「10数年振
         りに復活してハワイを目指す
」という決意の強さと、「半年単位、年単位で1レースのために準
         備をしてきた
」という話は、正真正銘のアイアンマンの真髄を見たようで、自分の心は大きく振動し
          ました。

          今年の5月。GWでBさんと「合宿」と称し、(天候がす ぐれなかったので)たったの2日間だけでした
          が、二人で早朝にLSDをしました。二人並んで走りながら、色々な事を話しながら25kmと30kmを走
          りました。ここで、もう一段Hawaii出場への思いが強まりました。もっと正確にいうと、「アイアンマン
         に賭ける心構えと、その楽しみ方
」と言えるのかも知れません。「その楽しみ方」は、いろいろな
          意味がありまして、トレーニングもその中に包含されます。

         ◆AさんとBさんに共通して感じたことは、Hawaiiへ向け たトレーニングの量や質などではなく、「普段
         の生活の中でHawaiiを目指したトレーニングを取り入れることによる、毎日の、人生の充実
         化
」ということでした。それ以降、週末は毎週のように一人でも160km前後のロングライドにでかける
          ようになれましたし、ロングライドを終えた後にも10km〜20kmを走るようになりました。「走れるよう
         になった
」というべきでしょうか。

          平日の朝は5時には目を覚まし、15km以上のジョグや、90分のローラー練習をこなせるようになり
          ました。日中の勤務時間は、夕方のトレーニングを確保するために、「残業しても何時までには終
         了させる
」と決めて取り組むようになりましたし・・・。今まででは考えられない自分です。

          「IRONMANは未知なる自分の発見である」とは、アイアン・レジェンド、神様Dave Scottが1990 
          年のアイアンマン・ジャパンで来日したときの言葉です。
          さて、2週間後に迫ったIronman Japanで、一体どうい う「隠されていた自分」を発見することができ
          るでしょうか? 今からとても楽しみです。




投稿第三七号
                       IMマレーシアを楽しむ!

2009年3月20日
正会員
村中 信一氏

          昨年始めて参加したときこんなにリラックスできる外国はないなと感じた。食べるもの
      が安いし口に合う、気候は温暖、人は良くてボラれる心配はない。常連の方たちは日
      曜日には移動していて十分レースの準備期間を楽しんでおられ、「物価が安いので
      長く滞在してもそんなにかからないのが良い
」とのことだった。私の今年はせめて
      レース後1日余分に滞在して表彰式に参加しようと思い6泊7日のコースを選んだ。
      これがなんとレースを2倍楽しむことになったのです。

             さて、レースまでのあらすじですが、マレーシアのクアラルンプールで国内線に乗り換
      えてランカウイ島に夜到着した。ここはどちらかというとタイに近い位置でとても美しい
      暖かい島でした。ホテルに着くなりウエルカムパーティーが始まり中華フルコースとビ
      ール、紹興酒などでもてなされ、今まで毎日つけていた体重・体脂肪率はどこえやら
      とてもいい気分になってしまった。

             次の朝はバイクを組み立て試運転やら大会受付、スイムの下見など忙しく動き回った。
      夜はカーボパーティー。マレーシアのエキゾチックなステージを見ながら又、腹いっぱ
      い食べてしまった。  

      その次の日はレース説明会の前に有志でタクシー1台チャータ(10人)してバイクコ
      ースの下見に出かけた、途中きれいな海岸で観光したりこれがまたとても楽しい下
      見をしたもんです。午後バイクを委託してスタンバイすべて終了早く寝ることにした。

             レース当日は朝食のあと塩をもらっておにぎりを作りレース会場へ、夜中に雨が降っ
      たみたいで靴下などがびしょびしょ、雨対策していなかったので失敗であったが特に
      問題なし、同じエイジの気になっていたイギリスのDomoney選手に根掘り葉掘り聞く
      とランは同じぐらいだがバイクは向こうが早い、ハワイのタイムでは相当負けているこ
      とが分かった、まあこの国は暑いから暑くなれば何とかなるだろうと思って一緒に海
      に入った。スイムは透明度は悪いがとても泳ぎやすくウエットなしのベストタイムがで
      た。1:24:30

             バイクに移っても快適さは代わらず平均時速30kmを維持するよう走った。ところが
      例のイギリス人が50km空港付近で追いついて来た、やれやれしかたないなついて
      いくか・・・とペースを上げ見える範囲で追走しているうちうアップダウンのキツイ場所
      に来たとき相手のスピードが落ちてきたので抜き去った、バイクは自重して走ろうと
      決めていたがいつの間にかフル回転平均時速も32km近くなっていた、ここは周回
      コースになっているのだが最後の一周で案の定スピードが極端に落ちてライバルの
      イギリスに再び抜かれてしまった。後で本人に聞くと「あそこは集団にまぎれて、し
      かも気づかれないようにさっと通過したのだが分かった?
」と言われ「ちゃんと
      抜いていくのを見ていたよ!
」といったら大変笑っていました。5:52:24

             ランに移ってさあ追いつこうと頑張ったがなかなか足が重くタイム差が変わらない、
      逆に少しずつ開いているのでこんなはずでは・・・と思いながらもがいて走りました。
      当日はマレーシアにしては涼しかった、途中で小雨が降ったぐらいで、とうとう1位の
      奪回はあきらめてしまい差はどんどん広がって残念な結果になってしまったが、どうい
      う訳かとてもさわやかなフニッシュであった。バイクタイムも初めて6時間切ってベスト
      5:52台、総合タイムもアイアンマンベストの11:44台で記録的にも大満足である。
      喜び勇んで荷物を背負ってバイクに乗ってホテルに帰りました。4:19:17 11:44:51

         次の日もうひとつの楽しみ開始です。朝のうちバイク片付けて一応ハワイスロットに
      出かけました、イギリス人見つけたので「ハワイどうするの?」と聞くと「悪いけど戴
      くよ、貴方はジャパンで取ってハワイで再開しましょう!
」と言われてしまった、
      隣にいた奥さんに聞くと「主人と貴方のタイム差を計測していましたのよ、最初は
      5分だったのにネ!
」と言われてしまった。ホテルに帰り予約しておいたマレーシア
      マッサージ2時間コースに行きました、日本では先ず行けないので大変楽しみにして
      いたひとつです。なんとも気持ちのいい2時間でアットゆうまに終わってしまいました。

         夕方表彰式に出かけました、マレーシア国王がこられると聞いて楽しみにしていまし
      た。やがてお供をたくさん引き連れて国王(今回弟?)が入場されると全員起立して
      厳かな雰囲気で始まり少し緊張した気がします。表彰式が始まり私も年代別2位での
      表彰を受け気持ちが良かったです。しかし、その後事件が起きました。国王が退席さ
      れるときまた全員が起立してお見送りするのですが、通り道のじゅうたんの横にいま
      したら、私に「どこからこられましたか?」「日本です。お目にかかれて光栄です。
      「何歳ですか?」「60歳です」「おう!それは私よりは10歳若いだから、は、は、
      は、、、
」などと握手しながらの会話をして戴きました。これは今回貴重な経験となり
      ました。

        最後の日、荷物をホテルに預けてもうひとつの楽しみマングローブツアーに行くことに
      なりました。メンバー13人、なんとも幻想的な海?両側にマングローブの木が茂って
      いる河のような湖のような海をどんどん移動していくのですが、ある時点からカヤック
      に乗り換えて大自然を十分満喫しました。お昼はきれいな無人島に上陸して少し泳ぎ
      ました。昼食においしいマレー料理をマレー式に食べました、スイムとカヤックの運動
      した後なので最高においしかったです。

             マングローブツアーを満喫した後、ホテルに帰って最後の夕食会を楽しみました。出て
      くる料理がまた最高で皆さんと楽しくお話しすることができました。もう何も思い残すこ
      とが無い状態で飛行機に乗り寒い日本に向かうことになりました。
      来年できればまた行きたいなと思っています。
    (大会開催日:2009・2・28)



投稿第三六号
                      NZ IRONMANレース編!

2009年3月18日
正会員
松本 充氏

       NZへ向けて12月から自分でメニューを考えながら友人に手伝ってもら
     い大井で練習しました。

         SWIM 4,000M X 2回、100M X 4 X 5SETSスピード練習などの泳ぎこみ
         BIKE 135KM + RUN 9KM X 3
         BIKE 90KM + RUN 18KM X 1回など乗り込み、約1000KM/
     最後の追い込みで3週前
         BIKE 36.8KM + RUN 3.6KM/27.6KM + 3.6KM/18.4KM + 3.6KM
         RUN 200-250KM/

     SWIM
        one way 3,800m小雨の中、前から5列目くらいからスタート、きれいな湖
     で泳ぎやすい。自分よりちょっと速い集団に付き教わった伸びを意識して
     泳いだ、何度か丸太のような腕で殴られるもイーブンペースで泳げた。
     復路で付いていた集団が右にそれ復帰するのに2〜3分ロスしたが自己ベ
     スト。
1:07:18

        TR1:
     バイク
TR急な上りを含め500mくらいか?結構走らされる。保温に着て
     いたアンダーを脱いでノースリーブジャージに着替えトイレへ。
8:19(遅)

        BIKE:
     2周回、乗った感じは悪くない、2kmくらいの上りの丘を一つ越えて平
     坦へ、路面は日本でありえないくらい悪い、往路は追い風で
35-40km 同じ
     パックにグリーンのジャージの女性が二人いる、二人ともに積極的に前に
     でる、一人は
age50-54だ、折り返し手前の700mくらいは日本だったら未
     舗装の荒れた路面、バーの上を持って重いギヤーを踏むまるでシロクロス
     だ!同じ
ageを二人抜かしてこれで多分TOPと思ったら凄いスピードで二
     人に抜かれた。まったく反応できず・・・復路は向かい風
30-35kmまでス
     ピードが落ちる、ダウンタウンへ向かう長い上り坂が辛い、2周目で大
     腿四等筋が痙攣を起こし始めた、ハムを使うペダリングに代え何とか粘る。
     最後の下りと平坦は目一杯飛ばした。
5:59:12

       TR2:
       
ゼッケンを前にしようと思ったら何とナンバーが裏に?又トイレに行き。
     
 5:15(遅)

        RUN:
     最初は5’30”/km位で入るがバイクで消耗した分ペースが落ちてきた、
     細かいアップダウンは
JAPAN・HAWAIIよりきつい、先日逝去した友人の事
     を思い彼の為にも絶対に歩かないと決め、6分ペースで粘った。晴れた
     り途中大雨になったりと変化が激しい天気だ。ところどころに現れる堀
     さん夫妻や奥さんの応援にパワーを貰い最後まで粘りゴール。
4:23:21

     総合 11:43:25 517/   Age 3/31
        BIKE & RUN共 当日出せる力は出し切りました。ハツさんからAge3位と
     メールで教えて貰う。(感謝)


     翌日:
        Slotは二つだったが2位のAustralianが放棄して無事に取れました。ロール
     ダウン会場で外人は泣き叫び、家族友人と抱き合いそれは大変な騒ぎで
     した。最後に
Men 60-64 1 ロールダウンとcallされた時は感激してYoko
     さんと思わずガッツポーズをしてしまいました。指導していただいた監
     督、寒い中練習に付き合ってくれた仲間、
NZで面倒をみていただいたYo
        ko
さん&Naoさん、バイクやホーィルのお世話をしてくれたメイストー
     ム大西さん、メカの高峰君に感謝です。

     (大会開催日:2009・3・7)



投稿第三五号
            第10回アイアンマン・マレーシア・トライアスロン!

2009年3月17日
正会員
中川 隆二氏

      アイアンマン・マレーシア・トライアスロン大会に芦屋浜ACから6名が参加、クラブ員
      から大会の完走の願いとハワイ・アイアンマンチャンピオンシィプ参加権利ゲットの激
      励用バンダナを頂くなど、参加者全員力の入った大会となりました。


      2月25日(水)、 関西空港からクアラルンプール、乗り継ぎしてランカウイに到着、ラ
      ンカウイは今回で3回目ですが、行くたびにホテルがなどの施設が増え、ランカウイの
      人々の生活向上が見られます、マレーシア人は日本人に対して好意的に迎えてくれ
      る国です。


      10回アイアンマン・マレーシア大会は記念大会、過去の大会では開催事態危ぶま
      れたときもありましたが、回を重ねるごとに運営もよくなり参加者も増えてきおり、なに
      よりも地元の参加者が増えているこれは良いことです。


      スイム(3.8km)
      水温が高いのでウエットスーツ着用禁止、湾内なので海の波はほとんどなく泳ぎやす
      いコース、夜明けの午前7時30分プロの部スタート、回りからどよめきの声、その後エ
      ージグループは海の中に入り、ウイットレーモンド氏のかけ声で気勢をあげる、7時45
      分スタートする、コースは直線、スタート時のバトルは少なく恐怖感はなかった、私は
      遅いので速い人はどうぞ追い越してくださいと自分のペースで泳ぐ、できるだけ蛇行を
      防ぐために6ないし7ストローク毎にヘッドアップし、コースをたしかめながら泳ぐ、折り
      返し地点を過ぎ疲れがでてきた、疲れたときほどフオームを正確にと自分に言い聞か
      せ、一つ一つのブイをめざして泳ぐ、結果1時間34分でスイムゴールする。

      バイク(180km)
      苦手なスイムをクリア、さあバイクだと気合を入れてバイクラックに移動、これから気温
      が上がるので、水分補給は十分にして脱水を防がなければと思いバイクスタートする、
      足がペダルになれるまでは軽い目のギヤでゆく。コースは島の北東約27km+周回
      コース約38km×4周回+約6km(バイクゴールまでの距離)のコース、今回の周回コ
      ースは意外と上り下りがあり、2週目位までは気持ち良く走れたが、それ以後は暑さ
      と疲れのためか頭がボーとしてくる、後2周回は集中力がとぎれないようにエイドごと
      に水をもらい、集中力が欠けないように頭に水をかけながら走るが、トップ集団の選
      手は周回遅れの私をどんどん追い越して行く、なぜ彼らは速いのかと思いながら走る、
      彼らのペースに少しでもついてゆけばすぐにオーバペースになるし、私は私、マイペ
      ースでペダルをこぎ無事バイクゴールする、時間6時間18分。


      ラン(42km)
      コースは片道4km×5往複+2km。バイクが終わりテントでラン準備完了しランコー
      スに入る、時計は午後3時45分頃、気温は高く、気温が少し下がるまでは少しペース
      を落として走ることにした。1.5km位にさしかかったとき、ゴールに向かうトップの選手と
      会う、その走る速さにびっくり、私はこれから40km以上走らなければならない、彼は
      彼、私は私、この暑い国でランを楽しんで走ってやろうと思った。エイドは1.5km毎に
      あり、水の補給は十分で水切れすることはなかった、私はエイド毎にスポンジとペット
      ボトルの水をもらい、飲んだ残り水を頭にかけながら走る、夕方になると気温も下がり
      少し走りやすくなってきたのでスピードを上げる、最後の周回(5週目)では5分40秒/
      km位で走ることができ、4時間27分でゴールする。トータル時間12時間28分50秒、目
      標12時間30分クリアーできたので満足したレースでした。


      翌日成績発表会場に行き、成績表を見て65歳〜69才のカテゴリで一位、ハワイアイ
      アンマンチャンピオンシップ参加権利ゲット嬉しいの一言でした。
      
<大会結果内容:全参加者 524名・日本人120名・DNF57名・完走率89%>

    (大会開催日:2009・2・28)


投稿第三四号

      
トライアスロン入門とアイアンマン西オーストラリア大会!

2009年1月9日
正会員
高木 茂雄氏

       学生時代からの延長で春夏秋冬、山登りやスキーを楽しんでおりました。しかし、
       平成8年の冬に八方尾根から唐松岳に出かけた時、2度も失態を演じ、中年の運
       動能力のなさを思い知らされました。そこで、スポーツジムのトレーニングに真剣
       に取り組むようになり運動能力の向上を図りました。

       そんな冬のある日、ジムのトレッドミルで走っておりますと、インストラクターから1
       0kmマラソンに誘われ43分くらいで走りました。ジムの仲間から『歳にしては速い
      ですね!』
とおだてられ、おだてられると舞い上がり、益々トレーニングに励みま
       した。その後、何度かマラソン大会に参加しておりましたが、ある日シドニーオリ
       ンピックのトライアスロン競技が51.5kmであることを知り、このくらいの距離なら自
       分でも出来るのではと思っておりますと、平成10年(55歳)の春、吹田市の市報で
       トライスロン教室の生徒募集を知り、教室に入れて頂きました。新人ながら最高齢
       とのことでメンバーの皆様から何かと注目され、インストラクターの方からは懇切
       丁寧に熱心な指導を受け、山とは別の世界を知り仲間を得ました。

       その後、ショートからロングの大会を経てアイアンマンを楽しむようになりました。
       しかし、フルのランでは走り切ったことが数少なく、いつも歩きが入っておりました
       ので、一昨年と昨年は70.3マイルのモナコ、シンガポールで楽しませてもらいまし
       た。今年も8月の70.3のドイツにエントリーしておりましたが、義父の入院で直前に
       キャンセルし、フルを走り切る自信もなかったのですが、ツアー会社に旅費を預け
       ておりましたので西オーストラリアに参加するはめに陥りました。バッセルトンでは
       同年代の石井氏や小倉氏、大先輩の小島氏など日本からのツアー同行者とワイ
       ナリーツアーなどを楽しみ12月7日いよいよ大会の日が訪れました。

       当日は3時に起床、4時朝食、ホテルから歩いて数分の本部で受付を済ませ、カテ
       ゴリー(J)の記入、当日のギヤの調整、スペシャルニーズ預託など済ませ、一旦ホ
       テルに戻りウエットスーツに着替えいよいよ大会のスタートです。

       水温は20度、気温は12度と少し寒いくらいです。波もなく穏やかで透明度も高く、
       スイムが苦手でも桟橋に沿ってゆったりと泳げました。桟橋の先端を折り返し陸地
       に向かうのですが、疲れが出てきたのかなかなか辿り着けません。1:33:48掛か
       りました。

       ノースリーブの下着と半袖ジャージーを着てバイクを走らせますと、寒くて体が硬直
       しそうでしたが、次第に気温も上がり、全くフラットなコースで1周目は快調に走れ
       ました。しかし2周目は100kmのところで前を行く281番の選手の追い越しを試み
       ましたが15秒で追い越せずドラフティングでペナルティを取られ、Pボックスに5分
       間入りました。その間トイレはさせてもらえず、ストレッチはOKとのことでした。3周
       目に入ると後半疲れが出てスピードがめっきり落ちてしまい6:36:19掛かりました。

       ランに移る時、半袖ジャージーを脱ぐか否か迷いましたが、結局ジャージーを脱ぎ
       ノースリーブの下着で走りだしました。2kmも行くと右膝関節に痛みが出て全く走れ
       なくなり、ストレッチをしたり、救護テントでスプレーして貰い、なんとか走れるよう
       になりますと、今度は左膝関節から痛みがでるというような有様で走ったり、歩い
       たりして気分は落ち込みました。それでも、周回毎にすれ違う日本人選手の励ま
       しや沿道の応援のお陰で膝のほうも次第に回復し、まっ白な砂浜や海に突き出て
       いる桟橋の直線など素晴らしい眺めを満喫しながらゴールを目指しました。3周目
       に入りますと気温も下がりノースリーブでは寒く、長袖が欲しくなりましたが、なん
       とか耐えることができました。これまでのフルでは真っ暗の中ライトに照らされての
       ゴールでしたが、バッセルトンでは8時前でも明るく大歓声の中、ランを5:28:51で
       気分良くレースを終えることができました。2年間フルを走っておりませんでしたの
       で、錆びついた体で完走できるか否か心配でしたが完走できた喜びで一杯でした。
       計13:38:59でした。 エイジ(65〜69歳)3位/6名 総合870位/1023名

       翌日のアワードパーティではエイジ優勝の石井JIC会長と2位のOliver氏と共に表
       彰台に上がれ、望外の喜びに包まれました。今では来年もフルのアイアンマン大
       会に出てみようかなとの心境に陥っております。
       この度石井会長のお勧めでJICに入れて頂き、皆様とレースを楽しみたいと思って
       おります。よろしくお願い申し上げます。
    (大会開催日:2008・10・1)