管理者からのお願い!
この投稿欄はスポーツをこよなく愛し活動する方々、若しくはスポーツに
関心のある全ての方々を対象とし、政治・宗教関係を除くその他全般に関
する記事を掲載していただくコーナーとして利用して下さい。そして日頃
から思っていたこと・記録として残しておきたかったこと・提案してみた
かったこと等、公是良俗に違反せず他者を誹謗中傷しない範囲で、自分の
日記代わりに思いの丈を投稿して下さい。
(投稿は何でも連絡帖メール・手紙・はがき・メモ等でご連絡ください!)
投稿第六一号
IRONMAN 70.3 ASIA PACIFIC CHAMPIONSHIP
2010 AT LAGUNA PHUKET
2010年12月28日 JIC会員 松本 充氏 |
9月のIM70.3 Japan in TokonameでAge4位になりChampionship
Categoryでの
エントリー資格取得。 体調も良く、体重は今年最軽量を計測、疲労も抜け後は
結果を出すだけだと自分に言い聞かせる。
Phuket遠征メンバーは大阪在住アジアでは敵無しの60-64 Ironmammy (6th
time Hawaii),55-59 OK’zacky (5thtime Hawaii), 40-44 MaT’s
OKI (在日タイ
人、1st time Hawaii),35-39 Tera-Macca(太股70cm,1st time
Hawaii)、 60-64
The 32(5th time Hawaii), & OK’zackyの友人の35-39
Ms.Y & 45-49 Mr.Aの
6人、合計 Hawaii 18回というそうそうたる?メンバーです。
12月03日(金)
東京組5人は成田発 11:30 TGで一路PHUKETへ18時着、空港からホテルま
でTaxiで約40分、街中は車も多く埃っぽいがリゾートLagua
Phuketの中はゆっ
たりしてHawaiiに似た良い感じです。ホテルでBangkok transi到着1時間遅れの
IronmammyとMs.Yを待ち、Lagoon(沼)の水上レストランで美味しいタイ料理と
Beerを満喫、同じく食事中のTaroさんより軽トラが登れない激坂があり28-32T
のスプロケが必要とアドバイスされる。
12月04日(土)
朝7時からスイム会場で試泳コースは海を逆三角形時計回りに1200m泳ぎ一度
上陸100m走りLagoon 700mワンウェイーの変則コース。海は透明度が高く良
く浮き気持ちが良いがLagoonは茶色の真水で急に体が重くなり視界ゼロ、水を
飲むとお腹を壊しそうです。試泳後ホテルのバイキング朝食を食べてからバイク
試走、3ヶ所ある15%以上の坂の最後の壁(2km)を走るがとんでもない斜度
(絶句)42x25Tでは蛇行しないと登れない。帰りは道を間違え大回り、Lagoonの
水を飲んだか?お腹が痛くて必死にホテルに帰り事なきを得ました。午後からは
競技説明会、バイク&ギヤー供託、Carbo Party(会場のSheratonのタイ料理は
おいしい)、ホテルに帰り明日の準備、正露丸とメラトニンを飲んで20時就寝。
12月05日(日)Race day
朝4時半に起床、朝食はバイキング(早朝からコックが卵を焼いてくれます。日本
とは大きな違いだ!)5時半にフリーのシャトルバスでバイク&ラン・トランジットへ、
バイクのセッテイングを済ませ渡し船でLagoonを渡る傍をウォームアップか?外
人が泳いで渡っています。
スイム 1.9km
6:59 砂浜から走ってProスタート、7:00第一ウェーブ、第3ウェーブの自分は7:
15スタートIronmammyとお互いの健闘を祈りスタート、水温29度、ウェット、スイ
ムスーツ着用禁止、潮の流れでブイがやや左に曲がっているので前列2番目や
やアウト側からスタート時々ぶつかるが気持ち良く泳ぐ、終盤になるにつれ前の
ウェーブのグリーンやイエローキャップが邪魔をする、岸に上がって走り、Lagoon
へ飛び込むが全然浮かないし進まない700mの長いこと水を飲まないようにブレ
スの口も小さくする様気をつけながら泳いぐ。
37:15 (CH Age 1) T1 5:47
バイク 90km
後半の坂を考えて前半は抑え目、ゆるいアップダウンの連続、ところどころに空
いた穴や道路を横断する犬(放し飼い)に気をつけながら走る、後から聞いた話
では後ろの方の人は水牛の大群が道を塞ぎ降りて通過するのを待ったらしい。
45km地点まで快調に走り、最初の15%強の坂は乗って登る、中盤のアップダウ
ンで足を使わされ2回目の急坂で内転筋攣りに、作戦通り無理して登らず降りて
押す、乗車して登った人たちを下りで抜き替えし、いよいよ75-80KM地点の最
後の2KMの壁に突入、中盤過ぎまで蛇行もいれながら乗り後は押し、乗っている
人は数人、4〜50人が坂を押している光景は異常だ!傍にいた大きなからだの
外人に“Allen keyを貸してくれ”と頼 まれ厭とも言えず、周りにOfficialのいない
のを確認して貸す、Headが緩んだみたいだ。5分前にスタートしたMat’sを発見、
“さぁ 行こう!”と声をかけると精根尽きはてたか?“Bangkokの夜はおごります
“と力ない返事が・・・ Mat’s終わったなと思いながら下りと平たんは飛ばして
Bike finish
3:07:06 (CH Age 3) T2 3:40
Run. 21.1km
走りだしは筋肉が慣れるまでゆっくり走る、曇り時々日がさすがそれにしても暑い、
コースはリゾートの中やオフロードも走る変化に富んでいて楽しい2周回。2km
毎のAidで走りながら水を2杯もらい頭にかけコーラを飲みスポンジをお腹に入れ
てAidの途中で頭にかける。スポンジの水を飲むとあっと言う間にお腹を壊す。
口に入らないよう気をつけながら頭に掛ける。5km過ぎからピッチを上げる。暑
いが何故か気持ちが良い!10km過ぎにOK’zackyに抜かれ付いていこうとギヤ
ーを切り替えたら大腿2等筋がピクピクしてきたので仕方がなくまたペース落と
す、後は集中力が切れないよう走るがやはり15km過ぎから足が重く辛い。ゴー
ル近くまで来たらウイットさんの声が聞こえてきたサングラスを外しバイザーに掛
けウェァーのジップを上げ万歳しながらゴール!
2:09:47
Total:6:03:35 総合315位 CH Age (60-64) 3位
ホテルでシャワー浴び、着替えて再びゴールへMs.Yがまだ帰ってきていない。
制限時間に間に合うか心配するが制限時間は最後の選手がゴールした時らしい。
[注:関門はあります。]Ms.Yも無事笑顔でゴール!
70.3はRace day 夕方からAward partyウェルカム・ドリンクでもワイン、カクテルが
振る舞われ良い感じです。CH Age 44-49優勝のTaroさんもうれしそうだ、突然
ウィットさんに“Age 60-64 3rd place
Mitsuru Matsumoto from Japan”とcallされ壇上に勿論Age優勝のIronmammyと
一緒に表彰されました。 60-64 Age 優勝のHermann(Swiss)は3週間Phuket滞
在、一週前に行われた5.15も優勝している。自分がIM NZ2009 3位の時の1位、
過去にIM琵琶湖、Swiss, Australia優勝、Hawaii4位の強豪だ。本当は“こんなと
ころまで来るな!”と言いたかったが思わず”Congratulation! Nice meet you
again”と言ってしまった。・・・・[悲] 帰りにオイル・マッサージ 1:30
600バーツ
12月6日(月)
国内便でBangkok夕方着 ホテルにチェックイン後、海鮮しゃぶしゃぶ
12月7日(火)
6時から公園でJOG、朝から電車とミニヴァンを乗り継いで世界遺産AYUTAYA
観光荷台が座席の軽トラックを貸し切り観光、フローテイングレストランでタイ料
理&Beer.Bangkokに帰ってマッサージの後、MaT’sの友人のウェァーメーカーの
社長に逢いに行く、Team Thailandのトラ・タンクトップをIronmammyとプレゼントさ
れ来年4月サムイ島 で行われるITU LongdistanceにTeam Thailandととして出
場決定(本当か?)!市内でMaT’s友人Patrick(フランス人2010Hawaii出場)と
フカヒレ三昧。
12月8日(水)帰国
使用器材
SWIM: WEAR: Arena, ゴーグル: Blue Seventy (Dark)
BIKE: WEAR : Maystorm ノースリーブ、トライパンツ: 2XU,
ヘルメット:Lazer Tardie
グラス:Oakley M Flame, CERVELLO P3 Carbon, Wheel:Easton
Arero 90、
TYRE:Tufo,
RUN: Maystormバイザー、シューズ:Newton
補給
バイク :Powebar x1、マルトデキセトリンx5cup、クエン酸、BCAA,フラスコ入り
蜂蜜、multi vitamin 1tab,アスリートソルト2cap(塚さん感謝)
ラン :パワージェル 3、コーラ,Cramp-Stop
投稿第六〇号−8
T A K U M I 便 り !(その8)
2010年12月6日 JIC会員 小原 工氏 |
◇近況報告
師走を迎え何かとあわただしい季節となりました。日本アイアンマンクラブのみな
さんにはお元気でお過ごしでしょうか?1年は本当に早いものですね。
またまた大変ご無沙汰してしまい申し訳なく思っております。確か今年の1月頃に
投稿をさせていただいてから、書こう書こうと思いながら12月となってしまいまし
た。皆さんのご活躍はいつもHPを通して拝見させていただいており元気をいただ
いています。
私は今年もトライアスロンを通していろいろな経験をすることができました。現在、
米子市観光協会の方でトライアスロンを中心としたスポーツ観光を主な業務とし
て合宿誘致など鳥取県の観光振興に繋がるよう取り組んでいます。昨年は始め
たばかりで思うような誘致を出来ませんでしたが、今年は日本代表選手数名を
始め、実業団選手、一般愛好家のチーム、クラブなど100名以上の方に米子へ
来ていただき合計で270泊以上の合宿を行っていただきました。たくさんの方々
が米子へ来て下さり大変嬉しく思っております。来年は日本アイアンマンクラブの
みなさんで日本トライアスロン発祥の地での楽しい合宿はいかがでしょうか!?
さて、私も今年、出来る限り大会に出場しました。大会での成績はあまり良くなく、
石垣島大会9位、ハワイ湯梨浜大会5位、皆生大会35位、千葉国体26位と目標
としていた結果は残せませんでした。元オリンピアンとはいえ練習をしなければ
ただの人ということを本人が一番痛感しております。どこの大会に行っても期待
度は大きいのですが今はこれくらいしかできないのかなと。でも毎日すごく楽し
く充実しているのは事実です!もう少し練習しないと・・・
嬉しいこともすごくたくさんありました。現在ジュニア選手を中心に地元の選手の
指導をさせていただいていますが、指導する小、中、校生が各地のジュニアレー
スで活躍してくれていることです。一番は日本ジュニアトライアスロン選手権(長
良川)で中学2年の女子選手が6位入賞してくれたこと、オールキッズトライアス
ロン大会(昭和記念公園)で別の中学2年の女子選手が優勝し、二人ともが山陰
地方初のJTUジュニア強化指定D(15歳以下)選手に選ばれたことです。今月、
山口県で行われる全国中学駅伝にもこの二人が所属する中学が鳥取県代表で
出場します。この他の選手達もみんな努力無限を胸にがんばってくれています。
そして、この中から6年後に正式種目となる国体(成年、少年の部)や日本選手
権、さらには世界へと羽ばたく選手を育成するという願いを込めて指導をしてい
ます。指導は非常に難しくまだまだ勉強が足りないと思いますが、選手と喜びを
共有することができ、元気に成長する姿をみているとトライアスロンはいろいろな
ことを学べる楽しいスポーツであるということが分かります。これからも指導者と
選手として学び、仕事にも努力を続けます。今後ともご指導の程、よろしくお願い
いたします。少し早いかも知れませんがみなさん良いお年をお迎えください。
◇鳥取県の大会イベント情報
第3回ハワイ湯梨浜トライアスロン大会 平成23年6月19日 開催決定
再生神話の郷 マラニック50km 平成23年6月5日 開催決定
第五九号
IRON JERRYの徒然日記!
2010年12月5日 JIC会員 坂尻 仁彦氏 |
今年はIMマレーシアへも行かず、予定していたIMジャパンがキャンセルの
ため皆様とお会いする機会も無く、レースもアントワープIM70.3一本だけと
殆ど休業?状態でした。2011年はアイアンマン大会では無くなりましたが
五島ITともうひとつIMを考え中です。
12月は京都ではおなじみ高校駅伝で選手が家の前を走りますが、我クラブ
KTC・KOLA主催の東山MM(トレイルラン30km)をその前に開催しており
ます。17回目と長谷ツネにも負けない人気です。5月の鯖街道MMも有り
ます。アイアンマンクラブの皆様どうぞ 「おこしやす!」
=============♪=♪=♪=============
今年のレースはキャンセル続き、ハワイのHANU・IM70.3をキャンセルしたら
五島IMジャパンも急遽取り止め、仕方なく7月25日のベルギーのアントワープ
IM70.3に出場(予定のスイスアルペンマラソンを変更)しました。
7月17日の祇園祭ボランティアも27年目を無事に終え、翌18日格安料金南周り
のマレーシア航空でKL経由の20時間ドイツのフランクフルトに着くや鉄道パス
利用東へ5時間、妻の希望でサウンドオブミュ-ジックの舞台はザルツブルグへ
のサンクスツアー?の始まり。ハイキング(万歩計は2日で5万歩超え)やお城
でモーツワルトのコンサート等レジャーを満喫の2日間、少々御疲れでしたが、
IC特急を乗り継ぎ10時間余でアントワープに着いた。地下3階のホームからエ
スカレータを上ると大理石の立派な内装はヨーロッパで一番の駅ビル?外へ
出ると8時過ぎても未だ空は明るい、バイクケースを押して10分程でホテルに
到着。陽射しは強いが真夏と思えないヒンヤリした気候で日陰は寒い感じです。
ホテルは旧市街にも近くバイクトランジットやランゴール迄2.5kmと便利な所だ。
翌朝早くジョギンングしながらランゴール辺りやスイム会場への運河を渡る(潜
る)地下道迄下見し、午後はバイクでコースを試走する。大型トレーラやトラック
がビュンビュン走って危険なので途中から歩道(バイク道)を走行。湾岸・30km
程迄は運河に沿い延々とコンテナが積まれ、さすがは中世からの港湾都市で
扱う量が違います。1時間余り走って戻る。前日の受付を済ませレースパック
に参加賞のTシャツやバッグを貰うと、次はボードに張られたコース案内等でポ
イント確認し、パスタの列に並びテーブルで頂きながら地元の選手にレースの
事等尋ねた。
バイクの預託は必要無く助かります。帰り際にバイクメカさんにヘッドの調整等
をして貰いチェックオーライです。レースは朝11時スタート(僕は最終ウエーブ
だから+12分)なので7時半頃ホテルのブッフェで朝食を済ませ9時過ぎにバイ
クに乗って川向こうの会場へ。旧市街は路面の敷石がガタガタで走りにくい。
運河下のトンネルへエスカレーターで降り対岸で上ると、広い川沿いの道を2k
m先の人造湖がスイム会場です。
道路は封鎖されチェックゲイトの中はカーペット敷、バイクラックが並び色鮮や
かなレースバイクの見本市です。(ヨーロッパの選手は皆良いバイク乗ってま
す)参加者は1400を越えますが日本人は2人で、(商社マンでロンドン駐在の
田辺さんは海底トンネルをユーロスターで家族一緒に小旅行)彼と話をしてい
るとTVカメラがマイクで取材。(オンエアーは?)天候は曇り時折小雨に薄陽も
差し18度くらいの気温、水は少し温めの20度と暑さの心配はまるで無く、スイ
ムスタートはTAから500m程離れた土手の仮設階段を下りて水に入りフローテ
ィングで待ちます。
まず6名の障害者からスタート、(彼らのバイクはバケットシート?のレースカー
の様に進化していて驚きでした)次はエリート・エイジと続き女性とA50歳〜は
最後にGO!です。普段ヨットの練習に使われている人工湖は運河と同じベー
ジュ色の水で視界は悪いが、波もバトルも無く1ラップの1.9kmを無理せず泳い
で38分余とまずまずのタイムで上り、ラックには高齢組のバイクが残る程度で
皆空っぽ状態、KTCのバイクジャージに着替えゲートまでバイクを押してスタ
ートです。
3km過ぎて唯一のアップダウンと言える川底トンネルを潜り湾岸の広い道路を
走行、(下見の時は並走する車両が多くて不安でした)一般車はストップみた
い?で気が楽。20km過ぎから折り返し2周目のエリート達に抜かれっぱなしで
、前方からは集団がどんどん帰って来る。(コースは15〜30kmが2周回=郊外
の田舎町を折り返す人気の高速ロードです)スタートもスピードも遅いから折り
返した後は前方にはポツンとしか選手が見えず、一人旅の状況(時折後ろに抜
かれ又消えていく)です。
一般車との交差等無いのでコース監視のポリスさんも暇そう、ようやく旧市街
に戻って来るとランの選手がどんどん波のように向かってくる。陽射しもきつく
暑くなり、エイドは水を求めるランナーで溢れる。(ヨーロッパの選手は暑さに敏
感だ)やっとトランジッションに着き、着替えて我慢していたトイレに直行。(汗か
かんと近くなる?サポートの嫁はアナウンスあったのに僕がゲートを出て来な
いと心配し、後から御叱り?)
膝の調子を看ながら走り始め1km程先にある市庁舎前の広場が観覧席付き
のループになりゴールのゲートでもある。此処から3周でフィニッシュ、僕が通
過する時丁度トップ3の表彰式が始まっていた。5km程走っても膝の痛みがで
ないのでペースアップ、調子も上がり前の選手をどんどんパスして気分がいい。
中心部歩道のテーブルではビヤーを楽しむ観客?達でいっぱい。横を走り抜け
、又、コースのあちこちで妻の声援やカメラにポーズ、旧市街の景色も楽しみな
がら走れた。陽は照っても陽影は涼しく走り易いし今日は路面電車も部分的に
ストップしたのか?ご協力有難うって感じで楽しいラン。ラストは暑くなりフィニッ
シュしてしばらくは噴水の水で身体を冷やし、スタンドにいた千恵美に合図して
ゴールゲートをバックに記念写真をパチリ!タイムは6時間ちょっと、エイジ4位
で惜しい処でしたが現状の調子で完走出来て何よりです。
この大会は参加費もEu190とお安く合理的な運営でアワードパーティ等は有り
ません。バイクを取りに戻りバックを受取ってゆっくり自転車漕いでホテルに戻
る。お風呂の後早速バイクを梱包してケースに納め近くのレストランで食事を頂
き無事完走を祝ってベルギービールで千恵美と乾杯!明日は早朝IC特急でス
イスに向います。
記録 総合1048/1418位 6:04:06 (S:38:18 B:3:17:03 R:1:57:11)
(大会開催日:2010・7・25)
第五八号
アイアンマン70,3セントレア常滑ジャパン参戦記!
2010年11月4日 JIC会員 阪本 一雄氏 |
9/18(土)練習仲間の車で出発、ホテルはスタート&ゴールに近い所で予約して
いましたが変更になり大変不便でした。登録を済ませスイムとランコースの下見。
バイクコースの道が悪くてパンクの可能性あると聞いて居たので、入念に試走し
たがさすがにガタガタ。スイムはウェツトスーツ禁止と聞いて不安でしたが、水温
が低く着用可でひと安心。
当日、潮の流れが速くて流されると聞き、私は第5ウェーブだったので前の流れ
を参考にしてスタート。第1と第2ブイは計算どおりに、第3ブイからゴールがわ
からず流されました。ライフセーバーに方向を確認し再スタート。やっとのゴール
でタイム50分。いっもより8分遅れバイクに向かったところ、同エイジーバイクが
6台がありました。皆さんもスイムで苦しんで居るみたいでした。
バイクは快調にぐんぐんと抜いて行きました。コースはヘアピンカーブが多くて
大変でしたが、何とかゴールしたところ同エイジバイクが全部バイクラックに有る
ではないか。ビックリ慌てましたがしかたありませんので、気持ちを取りなをして
ランスタートしました。だがなかなかスピードが上がらず、ランタイムは3時間か
かり、合計7時間45分の自己最低記録でゴール。ところが記録を見ると何と1
位になっいました。成績を見ると皆さんスイムでリタイヤしていました。レースは
最後まで諦める事なくゴールを目指す事の大事さを思い知らされた大会でした。
お陰様で、フロリダの世界選手権大会に行く事に成りました。楽しんでこようと
と思います。友達と11月10日に出発13日がレースです。レース後シカゴに渡
りアイスホッケイ見物と観光して楽しんで来ます。帰りましたらまた報告します。
(大会開催日:2010・9・19)
第五七号
アイアンマンワールドチャンピオンシップに参加してきました!
2010年10月27日 JIC会員 中川 隆二氏 |
アイアンマンワールドチャンピオンシップ大会は、10月9日(土)ハワイ洲ハワイ島
コナを中心にして、スイム3.8km、バイク180km、ラン42kmの距離で行われた。
大会当日は晴れ、ハワイにしては少し気温が低い感じ(火山灰の影響で)、湿気
は低く大会には良い気象条件でした。プロの部は午前6時30分大きな空砲の音
とともにスイムスタートすると、周囲から大きな歓声があがる。エイジグループは
その後続々と海に入って行き、午前7時00分緊張するなか大きな空砲の音でス
タートする。
沖合い300m位まではバトルにあったがゴーグルなど取られるトラブルはなく、そ
の後しばらくは点在するブイを目標にして泳ぐことができ、沖合いに浮かぶ折り返
し地点の船をめざして行く。沖に行くにしたがってうねりが大きくなり、ブイが見え
隠れして見えにくいこともあったが折り返し地点に着く。折り返し後はただ足に痙
攣が起こらないことを祈りながら、スイムゴールまで点在するブイを一個一個クリ
ーヤしゴールする。ゴール後シャワーを浴びバイクに移る。
スイムタイム 1:47:32
ペダルを軽いめにして漕ぐが、足が重くペダルが思うように回らない。15km位か
らバイクになれてきてペダルを漕げるようになり、バイクに乗ってる感じになる。
50km地点では日本人ツアーの人々が日の丸の旗を振って応援、日の丸の旗は
素晴しく元気が出る。応援の人に有難うといって走りさる。バイクの調子も良くな
り快調に走れたのもつかの間、60km地点位からコナー風が横から少しずつ吹い
てきた。80km位の地点になると猛烈な横風と前からの風で、バイクが倒れない
ように支えるのが精一杯だ。スピードメータを見ると20km/h以下になることがた
びたび。ハイウエイ沿の溶岩に書いている白い珊瑚の落書きを見る余裕はない。
バイクゴールが出来るのか不安がよこぎることもあった。周りの人も風に負けじ
と必死に頑張ってる。折り返し地点110kmまでこの状態が続っく。折り返し後は
横風はあるが追い風、スピードはでるが、横風でひよーひょーと横に流され、横
風にあおられて転倒する人をみかけた。ハワイのバイクはコナ風をいかにのりき
るかによって決まる。幸い小生はバイク事故もなく無事にバイクゴールし次のラン
に移る。
バイクタイム 6:56:43
ランスタートの時は、自分の足であって自分の足でない感覚、ランの足になれる
まで少しゆっくと走る。ランコースは応援者が多く、日本人の応援者も多く日本語
での声援を受けると、元気がでてきてだんだんと調子が上がってきた。10km位
の地点で両足義足のランナーに追いついたが、彼はスイム・バイクでは小生より
前にいたことになる。ハンディーがあっても小生より速いって凄いことだ。勇気を
もらった。頑張らなきゃ!五体満足で健康に走れることの幸せを感じ、一歩一歩
走った。28km地点では日が暮れてコース上は真っ暗、コース上の道はセンター
ライが薄らと見える程度で、明るい場所は信号とエイドのみ。エイドに着くと楽し
みは補給食、補給を受けたときにサンキュウ−といっても、ボランティアの反応が
弱いので、「サンキュウ−」の後に「ありがとう」を付けてお礼をいゆうと、ボランテ
ィアから「ありがとう」とか「こんにちは」などと日本語の返事が返ってくる。楽しく
なり走る元気が出てきた。ゴール近くになると、沿道には多くの人が鳴り物・声援
で迎えてくれたので、今までの苦労を忘れてフィニッシャロードに入る。両サイド
の人垣に感謝の気持ちを込めてタッチしながら走り、ゴールすることができた。
ランタイム 4:24:11 総合タイム 13:19:21
第五六号
ハワイに来たからには表彰台に上がるんや!
2010年10月25日 JIC会員 滝 豊水氏 |
こんばんは!ハワイは苦しい大会でした。大会まで1ヶ月しか無いのに左足の
ふくらはぎの肉離れで、病院・針・整骨院と通いとにかく治すことに専念しました。
練習もスイム・バイクは少しずつやってましたが、ランは練習したのが10.5キロ
とまったく走れてなかったので、大会当日は走れないことは解っていましたから、
バイクで終わりだと思っていました。が、実際当日になると表彰台の味を知って
るから、何とか5位までに入りたい気持で、どうなってもいいからハワイに来たか
らには表彰台に上がるんや!と強い気持を最後まで持ち走りました。
70才台はナンバー191〜213までの23人なのでチェックしながら走りました。一
昨年1秒差で4位だった外国人が大会前から日本人を見ると、滝は来ているの
かと聞かれたと言ってました。大会当日にランで後ろから来て滝!と言って肩に
触れ笑顔で抜かれたのが印象に残りました。
肉離れは気にせず走りましたが、ラン20キロ辺りから痙攣を起こし仲間に聞い
てた事を思い出した。痙攣を起こした時は立ち止まり出来るだけ高く飛び上が
り、ドスンと足にショックを与える事で走れると聞いてたから何回もやって走り
ました。痙攣してから5回ぐらいやっては走りやっては走り最後まで諦めず表彰
台狙って走りました。 ゴールの後は係りの方に医務テントに連れて行かれ、血
圧が80−50と下がり脱水症状だったので点滴2本され、その後も記念写真を
撮る気にも成れずホテルに帰りました。帰る途中順位が気になってたので記録
だけは見て帰ろうと、美人ドクターも一緒に見てくれて3位を喜んでくれました。
閉会式での表彰式も日本人は殆どが老人ばかり4名入賞、70〜74歳は3位の
滝、75〜79歳の部で1位が小島さん、3位が遠藤さん、4位が北海道の富田さん
でした。
私は今回で12回行って5回入賞したし、練習不足で体を痛めつけ帰国後も回復
せず10日ばかり人の体みたいだったし、痛いのは自分なのでアイアンマンから
足洗おうかと思っています。事故したぐらいこたえました。
でも、来年8月22日の済州島は行きたいな。コースも空港近くでスイムも波の少
ない所らしいし、バイクも濃霧の少ないコースらしいし、仲間も行くので。徳島か
らだと関空に行って1時間20分ぐらいで済州島に着くので、近いし安いしと思っ
たりしています。大会から帰って今日初めて仲間とランの練習でゆっくり30キロ
走り、課題のランを何とかせなあかんと思ったりしています。ハワイの写真は知
り合いの方がパソコンに送ってくれましたが、1000枚も有るので自分の写真が
探せなくて難儀しています。
(大会開催日:2010・10・9)
第五五号
2010済州国際トライアスロン+IQ(Ironman Qualify Race)参戦記!
2010年9月1日 JIC会員 槙本 美恵子氏 |
出場決定まで
6月10日 同じ函館JIC仲間の冨田さんが、6月5日のハワイハーフアイアンマンで5度目のハワイワールド
チャンピオンシップ出場を果たし、その祝賀会をやった。その時、アイアンマンジャパンが中止になったが、
ハワイスロットをそのままチェジュが受け継いで、代替え大会になるらしいという情報を聞いた。帰ってコリ
アトライアスロンとアイアンマンジャパンのHPをチェック。アイアンマンジャパンのHPを見ると、ジャパンエン
トリーしていた人を対象にチェジュで代替え大会を行う。これをみるとアイアンマンジャパンにエントリーして
いた人だけが対象のように思えた。代替大会のHP、2010済州トライアスロン+IQ(Ironman Qualify Race)
をみると、そんなことは書いていない。翌日グッドウィルツアーに問い合わせると、ジャパンにエントリーして
いなくてもIronman Qualifyに参加できるとの情報をもらい、さっそくオンラインから参加手続きをとる。夫のふ
うさん(槇本深)は急に休みをとるのは無理なので、急きょ私ひとりで参加することにした。
この大会の名前は、・2010済州国際トライアスロン+IQ(Ironman Qualify
Race) ・アイアンマンアジア
・アイアンマンコリア ・Ironman Jejuアイアンマンチェジュ ・アイアンマンジャパン代替大会 ・チェジュ国
際トライアスロン など様々な名称が錯綜していたが冒頭の名前が正式らしい。しかし初めての海外単独
参戦なのでかなり心細い。いつも夫に甘えてバイクを組み立てたことがないし梱包もやったことがない。
ただ去年のハワイ70.3、西オーストラリア、今年のチャイナと連戦しているから身体は仕上がっていて好調。
レースに出たくてうずうずしていた。口蹄疫という不測の事態でのジャパン中止苦渋の決断。関係者の落
胆は想像するに余りあるが、降ってわいたようなチャレンジのチャンス。「行ってこい!」と夫が背中を押し
てくれた。
7月7日(水)
函館空港発 成田空港着 前泊。
7月8日(木)
成田空港発。バイクケースを持っている人たちがすでに並んでいるので、知ってる人がいないか探すと冨
田さんと同年代の遠藤さんがいた。遠藤さんはおしゃれな帽子を被りポロシャツにジャケット、スラックスに
革靴という出で立ちで今からトライスロンに参戦するようには見えないが、毎年チャンピョンシップに出てい
て昨年は3位の表彰台に上がった凄い方です。チエジュまでの同行を願い出て、ご一緒させてもらう。73
00円払ってバイクを預けると一安心で、ふたりで空港内のレストランで朝食をとる。76歳の遠藤さんは朝
からカツ丼をぺろりと食べ私はお蕎麦とお寿司のセット。服装といい食べっぷりといい世界の3位はやはり
普通の人とは違うと実感。遠藤さんはホスピタリティーツアーで宿泊もロッテホテルなので、チエジュに着
いたらお別れです。
グッディのツアーバスに乗り、女性の隣りの空いている席に座らせてもらう。彼女は東京在住でチームに
入ってがんがんトレーニングをしているらしい。39歳で3人のお子さんのお母さんです。名前は明子さん。
まずは宿から10kmくらい離れたワールドサッカースタジアムで登録を済ませ、隣のEマートで買い物をす
る。両替をしていなかったのでガイドの金さんに両替をしてもらう。滞在費4泊5日分のお小遣いなら3万円
分で充分だ。43万ウオンを財布にしまうと分厚い札束風でパンパンになってたいそうお金持ちになった気分。
Eマートでたくさん食料を買い込んだ。買い物が済んだら宿の韓国コンドに向かう。韓国コンドに着いたら、
まずは部屋割りの発表があり35歳のトンコちゃん40歳のマリリンと一緒の部屋になる。部屋に入ると2007
年に泊まった事があるので懐かしい気分になった。古びたバルコニーからの景色も3年前と同じでわくわく
してくるが、同室の二人は初めてなのでアチコチみて汚さに驚いてぶーぶー言っている。私はあまり古くて
ボロッコイのは気にしない。部屋が広くて、スタート会場に一番近い事、旅行会社のツアーデスクがロビー
にあるのもとても便利。私にとってはここが一番なのです。ちなみに隣の隣にあるハナホテルは、新しくてき
れいで朝食つきだが、少し狭い。隣のロッテホテルはとても有名です。韓国ドラマの舞台にも良く出てくる、
ある意味チェジュのシンボルみたいなところ。そりゃ言うこと無しの所でしょう。
今年は連戦につぐ連戦のため、予算の都合もあり韓国コンドにしたのでした。まずは自分達のスペースを
決めようということで布団3組をどうやって敷こうかとあれこれやってみるが、どうにも収まりが悪く結局私は
台所にあるダブルベットに寝て、二人は奥の部屋に布団を並べることにした。これで決まり居心地もよさそう。
さて、いよいよバイクの組み立てだ。
メモ帳を見ながら悪戦苦闘して何とか組み上がったのでさっそくバイクメンテに行ってみると、P4というかっ
こいいバイクの調整中だった。私はバイクのことはさっぱりわからないけどマリリンが言うには、とてもいい
バイクで値段も高いらしい。それもそのはずP4はプロの塩野絵美さんのバイクだった。バイクメンテのお二
人はどちらもなかなか、かっこいい!私の顔は思わずにんまりして猫顔になってしまう・・・私の愛車はフル
クラムのホイールはよく回ってとてもいいとほめられた。ノーブランドのフレームについてはノーコメントだっ
た。すぐに試し乗りに出る。ホテル付近は車の通りが多く右側通行なので緊張しながら乗るが、なかなか
快調だ。あんまり乗ってパンクしても困るのでちょっとで止める。
夕食はトンコちゃんに誘われて、のこのこついていくと何と塩野絵美さん、山倉紀子さん、モデルの藤田希
志子さんが一緒でちょっとびっくり。みんなで牛肉と黒豚の焼肉やビビンバ、ちげ定食をぺろりと食べて、ビ
ールも飲み、22万ウオン。ひとり4万ウオン出して残りは紀子さんにごちそうになった。強い方々は、やっぱ
りよく食べる。みなさんお肉が大好きでお肉をばくばく食べていた。私ひとり肉が苦手で本当は食べたくなか
ったけど、そんなことは言ってられないので顔だけはにっこりしながら辛みそをたっぷり乗っけて3枚もがん
ばって食べた。ニンニクは大好きなので紀子さんに勧められるまま全部1人で食べてしまって、あとでトイレ
のあまりの臭さに絶句・・同室のお二人にごめんなさいだった。韓国の食べ物は日本人の口に合ってとても
おいしい。過去2回チェジュに来ているが食べ物のトラブルは無かった。3月のチャイナでは前々日にお腹
を壊して吐いて前日も吐き気で夕食になってもほとんど食べられず。腹ペコ、ムカムカのトホホ状態で、力
なくレース当日を迎えた。今思っても空恐ろしい。今回は仇をとって、食べまくろう!江戸の敵を長崎で、じ
ゃなかった。海南島の敵をチェジュでだ!さあ食べまくるぞ!たくさん食べて元気いっぱいでレースに出て
やろうと誓う。というわけで今回のレポートには食べ物の話が多いけど悪しからず。
夕方「はぁ〜〜い!!」とすごくテンションの高い声が隣りの部屋から聞こえてきたので行ってみると私と同
年代と思われるおしゃれでとっても素敵な女性が名古屋便で到着していた。自己紹介をしあって彼女は今
は54歳だけど12月の誕生日がくると55歳なので私と同じカテゴリーの人だということがわかった(エイジ
アップルールといって、今年から、アイアンマンの予戦もチャンピオンシップも12月31日時点の年齢を基準
としてカテゴリが決まるということになったようです。要するに数え年齢が基準となる。名前は由美ちゃん。
明るくとってもかわいい人で、すぐに友達になれた。
7月9日(金)
スイム試泳:7時からスイム試泳なのでマリリンと二人でビーチへ行くと結構波が高くサーフィンもやれそう
だ。彼女はスイムが得意じゃないと言って400メートルくらい泳いで終了。私も500メートルくらいで終了。
トンコちゃんは絵美さんと一緒に1周2キロを試泳した。
カーボパーティ:韓国コンドから1・5キロくらいのところにあるコンベンションセンターでカーボパーティー。
マリリンと二人で赤浜さん一家4人と一緒に座る。6時からの予定が韓国時間というのがあるらしく開始が大
幅に遅れた上に韓国語のスピーチに英語と日本語の通訳が加わるので時間がかかり、みんなお腹がぺこ
ぺこになる。やっと食事の時間になり部屋の外のホールに並べられた数々のお料理をどんどん取ってきて
しっかり食べる。どれもおいしい!!
7月10日(土)
コース下見ツアー:定員50名で1人2000円のバイクコース下見ツアーに行く。イビョンホンが出ているテレ
ビドラマ「アイリス」の撮影をしたところだというホテルの前も通る。激坂も通ったけど実際にバイクで走って
みないと感じがわからない。まぁ、何とかなるでしょう。
競技説明会:英語・韓国語・日本語と3回にわけて行われた。日本語が最後で4時から始まり、韓国の選手
は参加費が15万ウオンで、もしスロットが取れてハワイに行くとなったら35万ウオン払えばいいということ
がわかり5万円の参加費を払った日本選手から不満の声が出ていた。まあ開催国の特権でしかも急遽代
替大会として便宜を図ってくれたということで仕方ないでしょう。レースをさせてもらうだけで幸せと思わなけ
れば。
自転車、トランジッション用品の預託:ランバック、バイクバックにそれぞれ必要なものを入れて肩から背
負ってバイクに乗り会場へ向かう。今にも雨が降り出しそうな空を恨めしく眺め、コンドの売店で1000ウオ
ンで買ったカッパをバイクに着せて預ける。帰りは近道で階段を上がって少し歩くと、すぐに韓国コンドだ。
ぼろっこいけれど、ビーチに近くてとても便利。前回行った時はしょぼい売店だけだったが、今回はコンビニ
もできていて冷凍食品や冷蔵食品、アイスキャンディ、フルーツ、かわいいお菓子、いろんなドリンクも売っ
ていてうれしい。豆乳や朝鮮人参入りのドリンクはおいしくて元気もでる。
ただバスタオル交換にも来てくれないしトイレットロールの補充もしてくれないのがちょっと困りもの。フロン
トに行って言うと出してくれるが、フロントマンの1人で年配の人はルームナンバーを毎回間違えて隣りの
部屋のキーを渡すし、トイレットペーパーも何と勘違いしたのかにやっと笑って無いというそぶりをして出し
てくれなかった。もう1人の若いフロントマンはてきぱき対応してくれた。Eマートから買ってきたものだけ食
べていると、どうしても蛋白質が不足してきて、おいしいものが食べたくなった。レース前日の夕食は豪勢に
いきたいね〜とマリリンと話し、ちょっと高いけど外食にしようということになり雨の中を出かけた。
マリリンはユッケビビンバ、私は石焼ビビンバとチゲ定食、さらに海鮮ちぢみを二人で食べようということで4
品注文する。注文をとりに来たおばさんが4品で間違いないのかと聞く。それでOKというと「アイアンマンか
?」と聞く。「そうです」って言ったら納得したようだけど、それにしても・・・という顔をしていた。マリリンは私よ
りももっと華奢で、ちっちゃくてかわいい女性なので見た目鉄人には見えない。隣りのテーブルの日本人男
性は4人とも石焼ビビンバ一品だけ食べていて、私達を見て「よく食べるな〜参ったな〜」と感心していた。
夜、ふうさんから電話がくる。明日は雨で風速12メートルの最悪の天気らしい。まぁ、そうならそうで最悪の
天気を楽しんでやろうじゃないのって、そんな気になり、たっぷり食べてお腹が幸せな3人は9時にはクカー
っと熟睡・・・B型2人とO型1人のお互いに気を遣わない3人の部屋は、とても居心地がよかった。
7月11日(日)
レース当日:土砂降りの雨音で目を覚ます。3時半に起きて朝食の準備をし3人で食べる。マリリンとトンコ
ちゃんはバイクボトルにスペシャルドリンクをせっせと作っている。パワージエル10個、ミネラル塩、水など
いろいろなものを入れている。私はいつも大会のスポーツドリンクをもらうだけで作ったことがなかった・・・
二人に「え〜〜?スペシャル作らないの?」って驚かれてしまった。ベントボックスにも私はクルミ餅とガゴ
メ昆布餅とチーズオカキを入れたけど二人はクリフという初めて見るパワーバーのようなものを5個入れて
いた。輸入物でネットで買うそうです。やっぱり東京在住の強い人たちは違う。
韓国コンドミニアムの裏庭の坂を徒歩で降りて行くと5分で会場に着く。雨足は少し弱くなったけど、風はび
ゅうびゅう吹いている。チャイナでアベレージ9mの風を経験したけど、それよりはるかに強い。後でわかっ
たけど、アベレージ12mだったそうだ。ウェットスーツを着込んでビーチに降りて行ってみる。海は沖までう
さぎさんが踊っているように白い波がたくさん。ビーチはサーフィン中上級者用の波が逆巻いてブレークし
ている。ウォームアップの試泳は誰もしていない。スイムの得意な人も尻込みしているようだ。6時にスイム
中止かどうかの発表があると説明を受けていたが、なかなか発表にならない。6時45分にやっと「スイム中
止」の発表があった。スイムが得意で泳ぎたかった人なのか、憂さを晴らすように、波に向かって飛びこむ
人が数人いたが、波に打ち上げられ、砂浜にたたきつけられて痛そうにしていた。波が高く、すぐに浜に戻
れないで苦労している人もいた。悪天候で、へこんでいたが、苦手なスイムがなくなったのはラッキー。
知人たちが次々やってきて「スイムが中止になって残念だね!」とか「いや〜よかったね!」 「中止と聞い
て真っ先にマッキーの顔が浮かんだよ」とかニコニコしながら声を掛けてくれる。スイムが苦手なマッキー
で有名になってるようだ。2008年、スイムに2時間31分もかかってタイムオーバーしているので、今回は
ぜひとも時間内に泳いでリベンジしたいという思いもあったのでちょっと残念でもあった。これでも西オース
トラリアでは2時間11分、チャイナでは1時間51分と少しずつ進歩しているのです。
午前8時より、3秒間隔でバイクスタート。プロに続いてリレーの選手が次々スタートしていく。そしてナンバ
ーカードの数字の大きい方から順次スタート。ナンバーカードは男性の若い順、ついで女性の若い順につ
いていた。だから、エイジの部で真っ先と言っていいくらい先に出発。オレンジ色のバイクウエアー・黄色い
シーポのかっこいいバイクの由美ちゃんは私より6秒先だ。まもなく追いつき由美ちゃんを抜く。ところがす
ぐに抜かれてしまった。う〜〜ん・・なかなか手ごわいかも・・・と思いながら、また抜いてみる。ちょっとがん
ばって離したかなと思っていたら、またもや抜かれる。そして、どんどんオレンジ色のウエアーは遠く見えな
くなっていった・・・幹線道路と、漁村の海岸道路を軽やかに行くが後からスタートした男性の若い速い選手
たちがどんどん抜いていく。スタート順のあやでしょうがない。再び幹線道路に入り、まもなく反転して、山
道に入る。風がもろに向かい風。時々横向きに風が変わるときは、ぐぐっとバイクが揺さぶられる。ヨットの
ように風上に自転車を倒しこんでバランスをとる。標高があがるにつれ、雨が強くなり、濃霧で視界が無くな
った。中間地点にはスペシャルエイドを置いてある。大勢の人が弁当をひろげてくつろいでいる。「お〜〜ひ
と休みだぁ!」とバイクから降りて預けていたみかんを次々二つ頬張る。「おんまぁ〜なんたかんら・・・」とい
う声も聞こえ、食べながら周りを見渡すと、何と韓国の人たちばかりだ。この人たちは、ローカルレースとし
て楽しみで参加した人たち。IronmanQualifyを競っている日本人らしき選手は一人もいない。「やば〜っ!」
のんびり休んでいる場合ではなかったと、気を取り直しバイクにまたがる。
うわさのチェジュ名物の激坂に来た。アベレージ10%の長い坂が2kmくらい続く。坂の最後は100mくらい
15%となってそびえている。初めはコンパクトクランクをくるくると回して淡々と坂を登っていたが、だんだん
苦しくなってきて心臓が悲鳴をあげている・・やっぱり激坂だ!こんな坂はまだ経験していない・・・やがて1
5%の坂はおわったらしく楽になった。頂点を過ぎるとアップダウンの繰り返しになるらしいが濃霧で視界が
全く無い。ハルラ山、中腹の雨雲の中。下りは恐怖でブレーキをかける。ブレーキレバーを握る手がこわば
りだるくなっていく。下っているのか、登っているのか全くわからない。ペダルが重いので登っているのかな?
軽くて手ごたえがなくなったのでくだっているのかな?という感じだ。視界が良ければノーブレーキで下り、
勢いで登れる所もあるかもしれないが全く先が見えなくて怖い。風もますます強く、雨足も強く頬を叩くのが
痛い。風は山岳セクションでは完全に逆風。スポークが唸りを上げ、DHバーが笛を吹く。山から下りると、
風向きが順風に変わる。ホッとしたらお腹も空いてきたのでクルミ餅やチーズオカキをごそごそ出してぽり
ぽり食べながら少しのんびり行く。速い人たちはみんな行ってしまったので、もう抜かれることもない。やが
てゴージャスな高速道路になり気分よく飛ばす。サッカースタジアムが近づき、ランコースと重なる。ランに
入っていい走りをしている女性が「がんばって!」と声を掛けてくれる。名前はわからないが、かなり速そう
な人だ。ここはかっこよくDHポジションをとり、軽やかにペダルを回す。あっと言う間にサッカースタジアムの
ゴールが見えてきた。途中怖かったけどけっこう楽しい180キロだったなぁと思いつつバイクゴールする。
とうとう由美ちゃんには追いつけないまま終わってしまった。疲れは全く感じていない。
ランに入る。先行する由美ちゃんとは12分くらいの差。得意のランで逆転を。と思いきや、右膝外側から後
ろにかけて強張るように痛くて走れない。だましだまし早歩きを交えたランになる。全身的には元気一杯。
筋肉も余力十分なのにじれったい。雨風で筋肉が冷えてこちこちに強張ったのが原因と思われた。暑さに
は強いが冷えにはめっぽう弱い私なのです。3ラップするので何度も由美ちゃんと顔をあわせる。会うたび
に徐々に差が開いているようだ。エイドステーションにはコーラとゲータレイド、水、羊羹、飴、バナナがおい
てある。スペシャルエイドにはみかんを預けていたので5回目でもらって食べたが果物はやっぱり元気が
でる。だんだん薄暗くなって暗くなり始めたころにいよいよ最後のEマートの前から花道に入るまでが大声
援でうれしくなるが花道には誰もいなくて物足りないゴールだ。何位かわからないけど1位ではないのでハ
ワイには行けないと思うと、よけいに寂しいゴールだった。体調が良く気力も充実して今度こそはと思った
が、またもや不本意なレースであった。チャイナでは体調不良でも神がかりで完走できたけど今度はそう
そう旨くはいかないよって幸運の女神さまにそっぽを向かれたような気がした。30分前にゴールしていた
由美ちゃんがバイク受取場にいるのを見つけて、「おめでとうハワイにいけるね!!」と声を掛ける。彼女は
「あれ?タマちゃんに言ってなかったっけ?私ハワイには行かないよ。」 「タマちゃんが2位ならハワイに行
けるよ。」と言ってくれる。(すでにお友達になって、由美ちゃん、タマちゃんと呼び合うようになっていた。)
でも、果たして2位なのだろうか?明日にならないとわからない。二人で温かいコーンスープを飲んでスイ
カをばくばく食べながら話すと、彼女は佐渡のAタイプで年代別優勝しているそうな。チャンピョンシップに
出ている師匠もいてバイクトレーニングもがんがんやっているらしい。まだ若いし強いはずです。少しのん
びりしてからバスに乗って韓国コンドに帰った。
7月12日(月)
朝目を覚ます。国際コンベンションセンターでの成績発表と掲示は10時なのでまだ時間がある。もやもやし
ていると夫から電話が来てネットで調べて2位であることがわかった。ロールダウンになるのがわかってい
るので「やったハワイにいける!!」とうれしくなる。やっぱり幸運の女神様が微笑んでくれた!ハルラ山の雨
雲は幸運の女神だった。しかし、帰りの夕方発の直行便はイビョンホンのコンサートがあったとかで、日本
の韓流ファンのおばさま方で満席。最後までキャンセル待ちを入れてもらっていたけど取れなかった。なの
で13時半のソウル経由便で帰ることになっている。表彰式とアワードパーティは出る事が出来なかった。
ロールダウン会場は押すな押すなで人が一杯。西オーストラリアで一緒だった滝さんも来ていたので、ロー
ルダウンでハワイに行けることを話すと、「よかったね!スイムがなかったもんやでね。」とにこっり笑う。
西オーストラリアで私が制限時間1分前にスイムアップしたことを知っているから。滝さんは今年70歳だけ
ど10回以上もアイアンマン・ハワイに出ていて今回もダントツ一位だった。2007年のチエジュで初めて会
って西オーストラリアでも一緒になった鈴木さんも来ていて祝福してくれた。赤浜さんは2位と30分も差を
つけて堂々の優勝、ハワイの切符を手にして手続きも済ませていた。
奥さんの絵里香ちゃんから手続きには550ドルの現金が必要なことを聞き、カードと日本円とわずかなウ
オンしか持っていなかった私は驚いて心臓がどきどきしてきた。あわてて550ドル持っている人を探すも自
分が使うかもしれないので、みんな黙っている。手持ちの550ドルが無ければ容赦なくすぐに3位の人にロ
ールダウンが進むという。冷や汗ものだったが絵里香ちゃんが、てきぱきとロールダウンをあきらめた人を
探してドルを調達してきてくれた。かなりどきどきしたけれど絵里香ちゃんに助けられた。レースをハワイス
ロットと無関係に楽しみに来た人は少なく、Ironman Qualify(ハワイスロットゲット)を狙って勝負に来た人が
ほとんど。ロールダウンは少ないと思われた。予想通り、ロールダウンは50スロットのうち4つしかなく、ル
ームメイトのマリリンとトンコちゃんはいい位置につけていたが、残念ながら呼ばれなかった。手続き用紙に
サインをして550米ドルを支払いパスワードの入った登録用紙をもらって無事手続き終了。由美ちゃんが
バスに間に合うかどうか心配してくれて手続きにも同行してくれた。空港行きの帰りのバスにも間に合い、
何とか延泊しないで帰路に着くことが出来た。バスは行きに一緒だった明子さんとまたしても一緒でうれし
くなる。お土産店に寄る時間もなくそのまま空港に直行。無事日本に帰りました。
おわりに
今回初めての海外一人遠征だったが、日本人仲間がたくさんいて、そんなに心細くなかった。プロの人た
にも食事に誘われ、お友達になれたし、マリリンやトンコちゃん、同年代の由美ちゃんともお友達になれた。
いろんな人と知り合えて、とても楽しい遠征だった。出発の時にダンボール箱をたくさん持って挙動不審?
だった人が幻の10回大会記念グッズとして、韓国コンドにて出店、販売していた。きくと、業者の方も今回
のジャパンの中止でたいへんなことになったそうで、在庫の山を抱えあわや倒産の憂き目に会うことも覚悟
するほどだったという。思いもかけず、チェジュの現地でたくさん売れて助かったと話していた。私も何点か
買い感謝してもらった。日本製だけあってとてもおしゃれでセンスが良い。今回、人の不幸を自分の幸運に
するなんてと思って、ちょっぴりごめんなさいという気持ちもあった。だけど、なにも悪いことはしていない。
むしろいいことをしたのだと救われる思いがした。西オーストラリアで初めてのアイアンマンを完走してから
7ヶ月でアイアンマン・ハワイに出られるなんて夢のようでなんだか信じられない。体育が2で運動大嫌いで
泳げなかった私が世界選手権に出る?う〜〜〜ん・・嘘みたいだ。2007年70・3アイアンマン・ハワイに
誘ってくれた冨田さん、そしていつもあたたかくサポートしてくれる夫のおかげと、こころから感謝している。
昨年12月西オーストラリアは気合が入らず、
http://www.hakodate.gr.jp/athlete/report/2009/2009ironman-w-australia/index.html
(2009西オーストラリア参戦記夫が書いた物です)
今年3月チャイナでは吐いて食べられなくなり、
http://www.hakodate.gr.jp/athlete/report/2010/2010ironman-china/2010ironman-china.html
(2010アイアンマンチャイナ参戦記同上)
今回のチェジュでは、雨風に冷えて筋肉が強張り、いずれもまだ会心のレースがやり切れていないのが心
残りだ。ぜひ10月の満月に一番近い土曜日には、会心のレースが出来るよう心身共に入念に調整したい
と思っている。
データ
開 催日 : 2010.7.11
場 所 : 韓国 済州島(チェジュ) 西帰浦(ソギポ)市
中文 リゾート
天 候 : 気温27度 湿度90% 西南西の風 12m/秒 雨 (MSN天気予報より)
参 加 : 904名
出 走 : 835名
完 走 : 797名
完 走率 : 95%
参 加者 : 888名中 韓国 641
日本 229
USA 8
オーストラリア 3
カナダ 1
ドイツ 1
フィリッピン 1
スイス 1
英国 1
成 績 : mieko makimoto 57 bike
tr run total
7:14:40
4:32 5:09:48 12:29:00
カテゴリW55-59
2/5
総合 506/797
1位辞退によるロールダウンでハワイスロットゲットできました。
第五四号
フロリダ決戦行きをGET出来ました!
2010年8月28日 JIC会員 前田 勝典氏 |
福井の前田と申します。先日のIM70.3フィリピンに 出場しましたので、結果含
め報告致します。名古屋セントレア空港よりフィリピン航空利用するも、受付カ
ウンターでいきなりバイクケース・アウト。(規格寸法不適合) とりあえず即席段
ボールを購入し梱包⇒後に更なる事件へ・・・
マニラに1泊後、レガスピー経由ナガ・カマリネススール会場着。ホテル⇔会場
間約10Km・シャトルバスに合わせた行動を要す。 (私はMy・Bikeで2往復)
レーススタート:AM6:30 (1W前に急変更)
<スイム>
人造湖のため透明度は悪く、水温27℃前後。各グループはフローティングスタ
ート。 ノーウェットスーツ。
<バイク>
丘陵地〜港間を往復。一部で高低差有るもほぼフラットであるが、農道の路面
悪い。沿道の応援やエイド・ボトル交換有リ。
<ラン>
田舎道で幅狭く日陰ほとんど無しの5Km?。エイドは水+ゲータレード+シャ
ワー。 (WC各自確保・熱中症注意) UpDown少し有りのコンクリート道で2周回
コース。フィニッシュ後記念タオル&シャツ受取る。(Sign注意) Result確認後、
(エキスポ内だが分かりにくい) 私は幸いにもAge2位&ロールダウンでフロリダ
決戦行きをGET出来ました。ラッキー!
とにかくバイク輸送ルート(方法)が煩雑で、レース前後のスケジュールも難し
く、時間もあいまいで、レース周辺の事前下調べ&余裕行動が必要です。
あと、現地では「高額チップ」を要求されるので注意。(英会話必須) またIMス
タッフも信用性が低いです。事件として⇒私の「MAVICホイール前後」が帰路、
係員に預けた以降に紛失しました!今回初めてハーフIMに参戦し、最良の結
果が得られたのはとてもラッキーでした。フルIMでも「ハワイ決戦」を目指し頑
張りたいと思います。
(大会開催日:2010・8・22)
第五三号
2週連続でロングトライアスロンに出場しました!
2010年8月4日 JIC会員 角谷 禎和氏 |
7月11日、18日と2週連続でトライアスロンに出場することになりましたが、な
んとか無事にどちらのレースも楽しんで完走できました。出場予定だったアイア
ンマンジャパン五島長崎が口蹄疫のため中止となり、ハワイへのスロットが韓
国で開催される2010済州国際トライアスロン大会での成績に付与させることに
なったのです。今の私のレベルでは到底届かないものと思い参加する予定はあ
りませんでした。しかし・・・5月の土曜練習会でNRさんから済州国際トライアス
ロンのツアー案内をいただき、「このチャンスは行かなきゃ!」と勧められ走っ
ている間に段々その気になって出場宣言をしたため2週連続出場となった次第
です。
まずは済州国際トライアスロン大会
初めての海外レースでしたが、ツアーでの参加のため登録など特に問題なく完
了。さてレース当日5時に起床。外の天気は小雨、予報どおり。スイム会場の
中文海水浴場へ到着してみると、海の状況はなんとビッグウェーブでサーフィン
にはいい波かも。やはりスイムは中止。
8時から3秒ごとにゼッケンの後からバイクスタート。スタートから90kmまでは
ほぼフラットなコースで順調。しかし110kmの激坂! 約5kmの登りが終わり
かけたら、大雨と濃霧で視界は最悪! 前方の選手が全く見えず、道がまっす
ぐなのか曲がっているのか、不安だらけでとにかく事故らずに走り通してバイク
フィニッシュ。
ランは同じ7kmのコースを3往復。しかしフラットな箇所はほとんどなく、ゆるい
アップダウンの繰り返しで精神的にはつらいコースでした。1kmをほぼ6分ペー
スで走り最後は元気よくゴール。タイムは11時間14分53秒。
エイジでは179人中57位とスロットには全く届かず憧れのハワイは今後の抽選
にチャレンジしていくことになりました。(そんなに甘くはなかった・・・)
AACでご一緒させていただいたMSさんがエイジ3位に入賞され、同部屋だっ
たYTさん(箕面在住の大学教授)がエイジ2位と日本からの選手が多く表彰さ
れていた大会でした。終わってみれば「悪魔の激坂」を除けばいい大会と思い
ました。
続いて全日本トライアスロン皆生大会
済州国際トライアスロン大会のレース後に体調を見て、出場するかどうか判断し
ようと思っていましたが思いのほか疲れがなく、出場を決意。皆生は2008年か
ら3回連続出場で、コースは把握できているので今回は楽しもうと決めてスイム
スタート。スイム前半はMYさんからお聞きしていたコースロープの左をバトル
少なく泳ぎ、57分17秒でスイムフィニッシュ。
苦手なバイクはとにかく大山への登りまでは抑え気味にして、後半に余力を残
して走るつもりで前半はまずまずのタイム。約100km地点の中山温泉癒しの
A・Sのメロンを楽しみにして走り、A・S到着後メロン約半玉をいただきゆっくり
休憩して元気よく後半バイクをスタート。しかし残り10kmの日野川土手でペー
スダウンしバイクは順位を落とし、5時間48分42秒でフィニッシュ。しかし前年
よりも5分近く短縮していました。
ランはスタートして元気よく走り始めたものの最初のA・Sがなかなか現れない?
4.1kmでやっとのA・S。氷をジップロックに入れて、常に頭を冷やしながら熱中
症に気をつけながら走りましたがやはり暑い! しかしランコースには楽しみが。
「米子空港近くのアイスクリーム」と境港にお引越しされた「YOさんプライベート
A・Sのカキ氷」。楽しみが待っていると思うと元気がでるものですね。ランはや
はりA・Sでの休憩が多すぎたのか4時間42分35秒。トータルでは前年を上回
り11時間28分34秒で総合226位。前週の済州国際トライアスロン大会がいい
練習になったのか、自分自身としては満足の結果となりました。
2週連続のロングトライアスロンはさすがに無謀かと思っていましたが、やってみ
るとなんとかなるもので、練習嫌いの私にとってはレースが練習?だったかもし
れません。今年は4月の宮古島から始まり、9月まで毎月の6レースの予定。
残り8月の珠洲、9月のハーフアイアンマンの2レースも満足できるレースにして
楽しみたいと思っています。
(大会開催日:2010・7・18)
投稿第五二号
「(元)プロ・トライアスリートのIRONMANエイジ出場問題」
について考える!
2010年4月27日 愛媛県 在住 内藤 聡之助氏 |
今年6月のアイアンマン・ジャパン参戦を予定していた有名トライアスリートの「Fさん」
が、参加出場の申し込み手続きを済ませた後に「縁がなかった」といって出場を辞退
されたそうです。
これと関係があるのかどうかは不明ですが、それより少し前に、あちこちのトライアス
ロン関係のブログで「アイアンマン・ジャパンに、プロ選手がエイジ・カテゴリーで参戦
するようだ」といった記載を目にしました。 「F選手以外のプロ選手もエイジ・カテゴリ
ーに名前がある」との記載も見ましたが、私にはそれがいったい誰を指しているのか、
名簿を見てもよく分かりませんでした。
これらのブログ内には、その是非についての記述はありませんでしたが、「プロ選手
がエイジで出てくる」という事態を大分意識していることが感じ取れました。特に「知り
合い」という仲でもないのですが、Fさんの久々のアイアンマン出場は今年初めに本
人から聞いておりましたし、40歳代後半にもなるオッサンがどれほどのパフォーマン
スを見せてくれるのかとても楽しみにしていましたので、出場辞退のニュースを非常
に残念に思いました。自分は、もともと「Fさんを気持ちよくエイジで出してあげたらい
いのに」と思っていたのですが、強豪エイジ選手の心情は複雑のようです。
そこで、(日本の)プロ・トライアスリートの定義と彼らのレース参戦の可否というか是
非について、きちんとオツムを整理しておく必要があるのではないかと感じて皆さん
に問いかける次第です。
さて、上に記した「ブログ」をみて即座に思ったことは、同じエイジグループでハワイ出
場を目指して参戦する選手や、エイジ・カテゴリーでトップを争う選手にとって、思いの
強弱こそあれFさんのエイジ出場は、自分の順位がひとつ下がってしまう可能性が高
い「困った事態」と感じているだろうといことでした。特に、ハワイ出場権のボーダーラ
インにいる選手には、非常に困ったことであります。同時に思ったことは「F選手はは
たして現在もプロなのか?プロ・カテゴリーでなくては彼はI.M.
Japanに出場できない
のだろうか?」という疑問でした。
この問題に類似した事例があります。かつてJTRC(Japan Triathlon Racing Clubの
略)に所属し、ITUのW.C.シリーズを転戦したり、宮古島大会などでも長年上位入賞し
ていたS氏。彼は、30歳代に入って第一線から離れた後の数年間、I.M.Malaysiaのエ
イジ・カテゴリーに出場して、度々ハワイの出場権を獲得しておりました。現在は40歳
代となり、今年はIM.Chinaにエイジ出場しましたがハワイ出場権は残念ながら獲得で
きませんでした。おそらく、一般的にはS氏はプロ(引退宣言していないから?)、もし
くは元プロと認識されているでしょうが、「では現在、彼は本当にプロか?」と問われて
「Yes」と答えてその理由を説明できる人はいないでしょう(しかし、S氏は、ほんの数
年前に某有名ショップのブログで「プロはエイジ出場するな!」と実名でコキおろされ
ていました)。
国内では有名な東京に拠点を置くトライアスロンのクラブチーム「V」。 国内トップ選
手を要して、平日でも合宿を組んでトレーニングをするこのチームに所属するT君が、
今年のIM. Malaysiaのエイジ・カテゴリーに出場してハワイ出場権を獲得しました。国
内のレースでは「エリート部門」に出場している彼は、ひょっとすると「若手プロ選手」
と認識している人もいるでしょうが、「まだ実力的にはプロじゃないっしょ!」と反論さ
れる方もいるでしょう。いったい、プロトライアスリートの条件・定義というのは、ナンな
のでしょうか?
我々ニッポンの一般エイジ選手が抱く「日本の」プロ・トライアスリートのイメージという
のは、大体以下のようなものかと思います。
1,生活の主な収入源は、トライアスロン大会で得た賞金か、トライアスロン
関係のスポウンサー料(この場合、現金収入を指す)である。
2,本業がトライアスロンと直結もしくは種目に関係したもので、
コーチや指導等で収入を得、他者の支援を受けつつレースに
参戦している。
3,実業団か、それに類するクラブチームに所属し、そこから支援
を得てレースに参戦している選手。
「他者からの支援を得てレースに参戦している」ことをもう少し広げて考えた場合、
5.レース機材やウエアの資材供給を受けている選手
6.(職場以外の)練習環境を無料で使用させてもらっている選手
支援額の大小はあれど、メーカーやスポーツクラブ等から、いわばレース参加費・遠
征費、ウエアや施設使用料を肩代わりしてもらっているといえます。そこまで広義で
考えると、彼らも「プロ」もしくは「セミプロ」、「みなしプロ」と言えるのかもしれません。
さらに拡大解釈をして極論を言うと、
7.バイクショップやスイミングクラブでバイトなどで短時間働き、
ほかの時間は練習三昧の生活
なんてのも「あんた、プロとちゃう?」と思えてしまいます。
これらが「プロ」と言えるかどうかは別として、「プロの定義」を色々と考えて当てはめ
てみると、エイジグルーパーと言われる選手の中にも、意外とセミプロみたいな人が
いると思います。一方、「プロ」と断定されたFさんは、必要最低限の生活費を夫婦で
稼ぎながらトライアスロン教室のお手伝いなどをし、大会では「招待選手」として参加
してもいます。こんなエイジグルーパーなど、その辺にごろごろいるのに一般的な扱
いは、なぜか別のようです。
「プロ・トライアスリート」をそれらのような曖昧な定義で認知しようとすると、プロと認
識されている選手は「間違いではない」といえると同時に、今度は現時点でエイジで
出場している選手でも、「おまんはプロじゃろうが!」と言われてしまうひとも大勢でて
きます。事ほど左様に、少なくとも日本国内において「プロのトライアスリート」の定義
は非常に曖昧というか、無いに等しいように思えます。そもそも、日本のプロ・トライア
スリートというのは「明日から自分はプロになりま〜す!」と自分で宣言しただけに過
ぎないものだったと思います。他に何か定義があったような記憶がありません・・・。
「日本のプロトライアスリート」は、自称プロ宣言した彼らの生活様式の共通点を取り
上げて、彼らを含めたこの業界(?)が勝手に作り上げたイメージだけなのではないで
しょうか?
● 閑話休題。
ここではハワイへの出場権が限定されているIRONMAN出場者を問題にしているの
で、WTCや海外におけるプロトライアスリートの定義について考えてみます。
WTC(world triathlon corporation:世界のIRONMAN大会の元締め)では、「IRONM
ANレースのプロ・カテゴリーに出場する選手は、WTCでプロ登録しなければならない
」という条件があります。
プロ登録しなければ、どんなに強かろうが早かろうがWTCは「ノンプロ」=「エイジ・グ
ルーパー」扱いになっちゃうみたいです。
一方、51.5qのレースが中心の世界的組織ITUはどうなのでしょうか?(JTUもそう
ですが)。こちら主催の世界規模のシリーズ戦では、特に「プロ」という名前のcatego
ryはなく、「エリート」という表現になっています(日本国内で同様ですね)。この「エリ
ート部門」に出場するのに、「プロであること」の条件があるのかどうかは分かりませ
ん(たぶん、ないように思います)。
すると、プロトライアスリートというものは、WTCにプロ登録した選手以外に「プロ」と
呼べるトライアスリートは定義上存在しないことになります。多くのエイジ選手が「プロ」
と思っている選手たちは、「引退宣言」しようがしまいが、実は最初から「エイジグルー
パー」ということになります。たとえプロ登録していたとしても、「今年からはもうプロ登
録しない」となったらノンプロ(?登録しないだけですが)となってしまいます。
少なくともIRONMAN RaceにおいてはFさんもSさんもTくんもみな「ノンプロ」=Age
categoryで問題ないようです。
とはいえ、先にあげた「ハワイ出場権のボーダーラインにいる選手」や、トップ・エイジ
選手にしてみれば、「だからといってねぇ、つい2〜3年前まで(自称?)プロだった選
手が、いきなりエイジ出場してハワイ出場権を取っていかないでよ」といった感情が出
てくるのも当然でしょう。
しかし上記のとおり、「去年まではプロ登録」選手のレース参戦を止める権利はない
わけですし、有名選手が年齢を重ねてもレースに参戦して勇姿をみせてくれるのは、
それは嬉しいものです。今後、元プロのFさんやSさんだけでなく、現在は現役バリバ
リの選手たちも含めて、最盛期を過ぎて50歳になっても60歳になっても、末永く笑顔
でIRONMANに限らず地方のレースでも気持ちよく出場できるような業界環境になっ
て欲しいものです。エイジ・グルーパーの我々も、そのように意識しすべきではないか
と思う次第です。
【提案】
「プロトライアスリート」=(所定の競技団体に)プロ登録した選手と規定し、「かつてプ
ロ登録していた選手は、IRONMANのエイジ・カテゴリーに参戦することは認めるが、
プロ登録最終年から●年間はハワイ出場権を与えず」くらいの基準をもうけることで
解決してはどうかと思います。
他のレースでは、いまの所「エリート」でナンも問題ないようですが。
皆さんはどうお考えでしょうか?
投稿第五一号
2010アイアンマン・マレーシア大会に参加!
2010年3月11日 正会員 中川 隆二氏 |
今年の出場トライアスロンは、宮古島・皆生・珠洲?と予定をくんでいたが、宮古島は
年令制限65才までとの発表があり、今年は宮古島大会で頑張ろうと思っていただけ
にショックでした。宮古島よー誰でも出来る生涯スポーツ・トライアスロンに年令制限な
んて作らないでくれ!
そこで宮古島がだめなら、アイアンマンチャンピオンシップハワに今年のレース焦点を
変更。ハワイに出場するためにはマレーシアでハワイの出場権利を取らなければなら
ないと思い、2月27日に行われるにアイアンマンマレーシア大会に申し込みました。
大会会場マレーシア・ランカウイ島は、年中暑く乾季と雨季に別れていて、2月は乾季
の季節。レース当日は35℃位、晴れ時々曇り、太陽は容赦なく照りつける中、スイム
3.8Km・バイク180Km・ラン42Kmを、制限時間17時間内で走りきるレースです。
スイム
プロAM7時30分、エイジAM7時45分スタート。プロ・エイジ合わせて出場者約550人、
沖合い1.9Kmを1往復する。海水温度が高く、海に入ったときは温泉のような感じ、水
温が高いのでウエットスーツ着用禁止です。スタート付近の海はうねりも波もなく泳ぎ
やすい状況でしたが、沖合い1Km位から水の流れが左から右へと速い流れ、右に見
えるはずの赤いブイが左に見える。私だけかなと思い前をみると、多くの選手がブイ
より右に流されていた。過去のマレーシア大会では海はいつも鏡のような水面であっ
たが、今年は荒れ模様の中を折り返し地点まで泳ぐ。折り返し地点ではあと半分、長
いなーと思うが体調は良く、足の痙攣の心配もなく気を引き締めて泳ぐ。帰りは右から
左に流されるけど、早め早めのコースの修正をおこないながら泳ぎ、1時間41分でス
イムをゴールする。
バイク
AM9時26分05秒スタート、これからバイク180Km走る。練習のときは車優先、車に注
意しながら走るが、大会のときはバイク優先に走らせてくれると思うと楽しくなります。
コースは島をほぼ一周約60Km走り,島の約半分の周回コース40Kmを3周回します。ま
ず30Km位まではスイムの足の疲れをとるために、ペダルは軽い目に漕いで身体をバ
イクにならしてゆきました。それ以後は足と身体の調子をみながら暑い中漕いで行き
ましたが、距離が120Km・150Kmになってくると、暑さと疲れで頭がボーとしてくる。頭
に水を頻繁にかぶり集中力が欠けないようにしながらペダルを漕いで行きました。エ
イドは気温が高いので10Kmごとに設置、水・スポーツドリンクは豊富にあり、エイドで
困ることはなかった。ボトルは外から冷えにくいので、ボトルの中に氷を入れてくれる
ところもあり、暑い国ならではのアイデアで大変たすかりました。こういった暖かいボラ
ンティアの人がいるから楽しいトライアスロンが出来るのです。
ラン
PM3時45分12秒にスタート。太陽が、がんがん照り返し身体に大きなダメージを与え
てくるので、無理せずスピードを落として走る。日差しが下がり、少し気温が下がって
からスピードを上げる作戦にでました。昨年のエイドは1.5Kmごとにあったが、ことしは
暑さ対策のためか1.0Kmごとに置かれていた。1.0Km毎に止まると、1回30秒としても
21分のロス、エイドでは立ち止まらず、走りながらペットボトルの水をとり、走りながら
一口二口飲むと、後は頭にかけるようにして、エイドでの時間ロスを減らすようにした。
前半は人に抜かれることはあったが、後半は日が落ち始めて涼しくなると、どんどんと
ピッチを上げ前の人を追い越してゆきゴールしました。
トータル時間 12時間46分11秒
翌日の成績発表で総合154位、年代別1位、アイアンマンチャンピオンシップハワイの
出場件を獲得しました。アイアンマンチャンピオンシップハワイ大会が楽しみです。
順位 154位/550人 年代別 1位/10人
(大会開催日:2010・2・27)
投稿第五〇号
マラソンレースにおける”距離”について!
2010年2月26日 正会員 宗政 義仁氏 |
今回のテーマは、日頃からあまり誰も気にしてない、マラソンレースの距離について
考えてみたい。走る距離は当然大会主催者が発表している 距離=長さ がある(
正確だ)と誰もが思っている。だが、実際はそうとは限らないのだ。
ジョギングによる健康志向の楽しいランニングに親しむ中で、段々と走力が付いてき
たので次はマラソンレースに参加したいと思う。そして、自分の走力を試してみたくな
る。いつの間にか仲間と一緒に喜びを共有したくなって、クラブ活動に参加するように
なるのは自然な流れである。
マラソンレースに参加し完走する事によって新鮮な達成感を知ると、レース直後の
あまりの苦しさにもうレースには出ないぞと思ったとしても、次の日には次の参加
レースを探してる。これって、思い当たる人が多いと思う。そして、回を重ねるにつれ
今度は完走時間を気にするようになり、次回はモット速く走り自己新記録を達成し
たくなるのはランナーの性である。
我が”芦屋浜アスリートクラブ”の活動目標は @楽しく A健康で B一生涯
スポーツを楽しもうと言うことだが、この目標を達成しようと走る中でマラソンレース
に参加すると言う事は、非常に大きな励みとなる。そして、そういう中での自己新記
録の達成は大きな喜びとなる。
だが、そこで問題になるのがマラソンレースにおける距離である。距離の設定方法
については大きく分けて2種類ある。
1、日本陸上競技連盟の計測基準によって設定した公認コースの距離で、
国際大会や一部民間大会でも採用されている。
その詳細は下記をご覧ください。
http://www.rikuren.or.jp/athlete/rule/pdf/19b.pdf
http://www.rikuren.or.jp/athlete/rule/pdf/10-6.pdf
2、各大会が独自に設定した未公認コースの距離で、計測値は短い場合い
長い場合もあり多々バラツキがある。
自らの成長と距離・時間を楽しんでいるだけならいいが、自己新記録の達成を目標
にするともなると話は違ってくる。近年、衛星から電波をうけて正確な時間や距離を
計測する腕時計が販売され、またパソコンでも知ることが出来る昨今である。そんな
時代になってるのに、未公認コースの大会とは言いながら走る距離が、10kmやハ
ーフで数百メートルも短い大会がある。こんな時代の流れに乗れない大会って情
けないではないか!
こんな大会で幾ら自己新記録達成をしても幻に過ぎない。せっかく大会を開催する
のだから労を惜しまずに、コース上に折返個所や乗越スロープなど工夫して設け、
より正確な距離にする努力をすべきである。またついでの事ながら、高低差の大き
い大会は高低差グラフも公開して欲しい。この様な問題のある大会の主催者は、意
識改革と猛省改善して、お客様であるランナーがより満足できる素晴らしい大会を
開催して欲しいと切に願うものである!
投稿第四九号−7
TAKUMI便り!(その7)
2010年1月14日 準会員 小原 工氏 |
日本アイアンマンクラブのみなさん新年明けましておめでとうございます。
久々に鳥取県のチームエフォーツ小原工です。いつもあたたかい応援をい
ただき誠にありがとうございます。昨年は地元での活動がいろいろと重なり
なかなか投稿することができませんでしたが、今年はこちら鳥取県トライア
スロン協会や中国ブロックの活動報告も兼ねて投稿させていただきたいと思
います。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
現在、チームエフォーツの活動の中心はエフォーツ米子トライアスロンスク
ールでのジュニア選手の育成、キッズ・シニアへのトライアスロンの普及活
動、高い目標を持つ若手選手の育成・強化です。キッズスクールは現在22名
、ジュニアは5名指導しています。あとは地元や県外の若い選手数名を指導
しています。その他、二つのスポーツクラブで週に1度ずつスイムセッショ
ンを行っています。参加者のほとんどがトライアスリートですが、中にはオ
ープンウオータースイムやマスターズスイムをやっている人、これからトラ
イアスロンを始めたい人、健康のために泳いでいる人などもおられます。
指導する上で一番大事にしていることは参加された方が楽しいと感じてもら
えるように工夫すること。楽しいと思えることは長く続けられますからね。
もちろん子どもたちには「礼儀」と「感謝」を一番大事に指導しています。
◆6時間耐久スイム
新年の1月10日、島根県トライアスロン協会主催の6時間耐久スイムに参
加してきました。このイベントには昨年と今回で2回目の参加。今年はエフ
ォーツジュニア(中学生)4人とエフォーツ2世代(小学生と小原両コーチ)
5人の2チームで参加。1人で泳ぐもよし、グループ(最高5人まで)で泳ぐも
よし、楽しむことが1番のイベント。もちろん泳いだ距離は自分たちのチー
ムでカウントしていきます。交代する距離も自由なのでトップを目指すチー
ムは前半から短い距離で交代していました。
スタートは午前10時ですので終了時間は自動的に夕方4時。ジュニアチーム
はたくさん泳ぐというより認定記録会に向けたトレーニングと位置づけ、前
半は長めの距離や個人メドレーで泳いで交代させ、後半に短い距離(100・
50m)で刺激を入れました。みんな泳ぐフォームは前半の元気のいい時より
後半の方がいい動きになっていましたね。
2世代チームは前半コーチ陣が400mを泳ぎ小学生が200mを泳いで交代してい
ましたが2時間も経つと「距離を短くしてほしい」と小学生が言うので50mず
つ短くしていき、ラスト1時間半は全員50mで交代して泳ぎました。それまで
トップを独走する隣のコースを泳いでいた小学生(スイミングの選手達)5人
チームが最初から最後まで50m交代で泳いでいて速かったので、「追いつ
くためにはマネしないと」という2世代チームの小学生の提案があったからで
す。上位に入ると賞品があったからそれを狙っていたようです。その小学生
はうちの長男でした。
6時間でジュニアチームが23,600m泳ぎ、4人チームの部2位、2世代チームが
24,300m泳ぎ5人チームの部3位でした。1日貸切りにしてプールサイドで飲食
OKなんて出来るところはなかなかないと思いますが、一日中みんなで楽しく
泳げて最高でした。子どもたちはたくさん泳いで賞品ももらえて大変満足だ
ったようです。島根県協会のみなさんありがとうございました。
また投稿いたします。
チームエフォーツ ホームページ http://efforts.mycms.jp/
小原 工 ブログ http://blog.try-a.co.jp/takumi/
投稿第四八号
第1回日本消防トライアスロン大会の開催について!
2010年1月4日 準会員 酒井 秀夫氏 |
私は、JICの準会員の酒井秀夫と申します。昨年に私は日本消防トライアスロンクラブ
(JFTC)を設立しました。このクラブは全国のトライアスロンを楽しむ消防職員を対象に
したもので、以前から、このようなクラブを作りたいと思っていましたところ、JICの存在
を「JTU」から存在を知り、そしてそのJICの組織とその「設立趣意書」や「名簿」等を片
っ端から参考にして、早々、当クラブの設立に至りました。現在のクラブの活動といえ
ば、メールを通じての「情報交換」が主ですが、しかし、トライアスロントリップ誌第3号
に掲載された私の記事のとおり、私はクラブ設立の年に「第1回日本消防トライアスロ
ン大会」の開催にこぎつけました。
通常、大会を開催するってことは本当に難しいことですが、私は、チームケンズの協力
を得て、10月11日に開催された「2009年 ジャパン トライアスロンスーパー駅伝・個
人スプリントイン長良川大会」との併催という形で大会の開催を実現しました。当大会
には、その大会を宣伝する時間がなかった中でも「50人」の消防職員が参加し、そし
て、その成績たるや全体の中でも優勝と準優勝等々を消防職員が占め、「やっぱり体
力勝負の消防士や!」との声が表彰式会場のあふれました。
私は、この大会の開催を今後も続けたいと思っています。そして、この大会を世界中
の消防士が集う「世界大会」にするつもりです。今、世界はインターネットでつながっ
ています。そして、その恩恵を私は常に感じています。つまり、私はトライアスロンを通
じて多くの外国の消防士と電子メールを交換をしているのです。この交換では、トライ
アスロンというのは、トライアスロンを楽しんでいるものにとってはたとえ言葉が違って
も「共通認識」が可能となるツールです。ですから、ほとんど、彼らが表現していること
は理解できます、特別に英語が出来なくてもです。これから、私はこの素晴らしいトラ
イアスロンを人生の友として歩みたいと思います。それには当然JFTCの皆さんと手を
携えてですが。最後になりましたが、本年も、皆様方のトライアスロン生活が充実する
ことを祈念しています。