小原 工(おはら たくみ)氏トライアスロン講演会の要旨
同氏は、神奈川県藤沢市に生まれ、4歳から鳥取県米子市で育たれました。
中学で水泳(自由形長距離)を始められ、2年の時、日本初のトライアスロンに
出合いました。その後は鳥取県立由良育英高校(現/鳥取県立鳥取中央育英
高校)、仙台大学を通じて水球をされました。同じ大学の先輩にトライアスロン
選手(八尾彰一氏)がおられる事を知りトライアスロンに興味を持たれました。
その後、その先輩らが開催された鳥取合宿に参加され、刺激を受け本格的に
練習に取り組んでいかれました。初めて参加された大会は、1990年7月、地元
の「皆生トライアスロン」。その時一緒にトライアスロンを始めた弟さんが3位に
入賞されました。しかし、「結構いける!」と思っていた自分は後半沈んでしまっ
て50位と落ち込み、ゴールまでは「これきりで止めよう」と思っていたが、ゴー
ルテープを切った瞬間にその悔しさから、本格的にトライアスロン練習に取り組
む気持ちになったのでした。
そして、翌年の同大会では2位、1992年大会では念願の優勝を勝ち取られまし
た。自分でも驚きだったそうですが、その勢いでその後もチャレンジされたので
した。1993年の世界選手権では104位と惨敗。この時も、初トライアスロンの時
のように悔しさをバネに、世界のトップを目指そうと決意されました。そして1995
年に世界選手権で13位に入り、丁度その頃オリンピック種目として採用されそ
うだとの情報があって、オリンピック出場の目標を立てられました。
その目標と努力の結果、2000年 シドニーオリンピックの日本代表となり参加さ
れ、バイクの時には一時トップで快走される事もありました。結果21位ではあり
ましたが、沿道に駆け付けた故郷米子市や兵庫県川西市の方々、日本でテレ
ビを見て応援していた国民への大きなアピールをされて、見ている我々に感動
を与えてくれました。
現在は、米子市でチームエフォーツの代表としてトライアスロンスクールでのコ
ーチ、米子観光協会のヘルスツーリズムプロデューサーとして、年間を通じて
「トライアスロンのまち米子」にするため、地域を盛り上げる方策を考えたり、
スポーツ観光マイスターとして全国で講演されたり、鳥取県の良さを紹介する
広報責任者としても活躍されています。
幾多の困難と挫折を経験されながらもその都度立ち上がり、世界のトップを目
指すまでに到達された同氏のお話は非常に重みと説得力があり、ぐんぐん引
き込まれました。そうした経験の中から感じられた事を次のように述べられて
いました。
*失敗の数だけ成長し強くなれる
*元気・勇気・本気で取り組めば夢と目的に近ける
*自分を信じることは苦手な事にチャレンジする気持ちを呼び起こす
*感謝できる選手になろう
*学ぶことは素直になれる
*明るく元気に取り組もう
*人には平等に可能性がある
最後に、元エスビー食品陸上競技部監督の、故)中村清氏の言葉を引用され
ました。 「天才の力は有限、努力無限なり」
(参考)スポーツ観光マイスター
2010年7月に観光庁が設けた制度。第1回の任命式で、
小原工氏の他、元サッカー日本代表監督フィリップ/
トルシエ氏、レーシングドライバー寺田陽次郎氏が選ば
れています。その後の任命式では、元オリンピック体操
日本代表の塚原光男氏、元スキーノルディック複合選手
の荻原健司氏、スキージャンプ選手の船木和喜氏、元
バレーボール全日本代表の大林素子氏などがおられます。
文責:日本アイアンマンクラブ